第四幕 080話 怖れを知る者、知らぬ者



「それで、どうされますの?」


 堂々とした振る舞いで、しかし立ち止り鋭い視線だけを向ける女に訊ねる。


「その距離では届きませんわ」


 巨大な戦斧ではあるけれど、間合いが遠い。

 魔法使いのリュドミラを相手に距離を詰めない。



「わたくしの魔法は、届きますのよ」

「……」

「怖いのでしょうか?」


 ぴくりと、斧を持つ手が震える。

 表情は動かないが、動かさないようにしただけ。


「あら」


 誘うつもりで正解を引き当ててしまったらしい。


「案外と可愛らしいものですわね。素直に謝るのでしたらわたくしが飼って差し上げてもよろしくてよ」

「……黙りなさい」



 冷たい声が、リュドミラの心をくすぐる。

 氷乙女などと呼ばれていても所詮は女。圧倒的な力を示したリュドミラに恐怖するのも自然。

 彼女自身が相当な強者だからこそ感じ取れるのか。超越的なリュドミラの力が。


「でしたら、さっきの魔法は使いませんわ。ご安心なさい」

「黙りなさい」

「可愛らしいこと。思い出しましたわ、戦斧のティアッテ」

「……」


 否定しない。

 有名な名なので聞いたことはあったが、実際に会うことになるとは思わなかった。

 戦斧のティアッテ。リュドミラが生まれる前から戦い続ける影陋族の英雄。


 年上なのは間違いないけれど、そんな伝説のような戦士がリュドミラの前で竦む。

 気分が良い。

 股の奥が疼く。楽しい。影陋族にとっては神のような女でさえリュドミラより下にあると思うと。

 性的な興奮を覚えた。



「わたくしのペットにしましょう」


 極上の獲物に、リュドミラはなまめかしく舌で唇を舐めた。

 お行儀が悪いことだけれど、獣の雌を相手にお上品でいる理由もない。


「……」

「怒らないのですか?」


 なかなか攻めてこないティアッテに片手を広げて促す。


「お前が」


 ちらりと、少し離れてスピロと戦う連れの少女に視線を流してから。


「ただの魔法使いであるはずがありません」



 父スピロと、ミアデと呼ばれた少女の攻防はスピロが防戦一方。

 あれは父の性格だ。ある程度敵の情報を把握するまで自分からは仕掛けない慎重さ。

 少女の方の腕も侮れたものではない。筋力や速度では母より劣るが、バランス感覚や瞬発力では同等以上に見える。



「ウヤルカは」


 ティアッテが戦斧を構え直してリュドミラを見据えた。

 ミアデを見て、死んだ仲間のことを思い返すように。


「彼女の力は、いずれ氷乙女に届く器でした」


 リュドミラが殺したウヤルカのことをそう評する。


「メメトハ様やエシュメノに並ぶ才覚だったはず」


 それを倒したリュドミラを警戒するのは理解できるが、それだけにしては警戒心が高すぎる。



「足りぬ器を無理やり誤魔化しているあの女とは違う。大戦士としての器量で産まれたウヤルカを、お前は倒した」


 誰のことを言っているのか知らないが。


「わたくし、魔法は得意ですのよ」

「狡知な物言いはやめなさい。人間」



 ティアッテが、濡れた大地を踏みしめた。

 踏みしめた足が、震えている?


「お前がただの魔法使いであるはずがありません」


 先ほども言われたことを。

 稲光が、ぎらりと戦斧の刃を輝かせる。



「雪鱗舞と共にあった彼女です。お前に近付けなかったはずがない」

「あれは綺麗でしたわ。思わず消してしまいましたけれど」

「近づいても死地、というのでしょう」


 なるほど、歴戦の戦士だと納得する。


「冷静ですわね。大事な仲間の命を物差しにしてわたくしを測るだなんて」

「さほど親しかったわけでもありません」


 これがミアデという少女の方なら容易く乗ってくれただろうが、ティアッテは違う。


 俊敏な魔物の雪鱗舞と戦士として一流のウヤルカ。

 確かにリュドミラに肉薄して戦い、そして敗れた。

 見ていたわけでもないのに正しく状況を理解するとは、経験の差を感じる。



「では仕方がありませんわ」


 挑発は意味がなさそうだ。

 先手を取らせて、その戦斧の一撃を正面から跳ね返すことで動揺させたかったのだけれど。

 もっと言えば、澄ました彼女に驚く顔をさせたかった。綺麗な顔が歪むところを見たかったのに。


「ではわたくしから」


 いつまでも遊んでいたらまた母に叱られる。

 リュドミラでも、母に叱られるのは嫌なのだ。拳骨をもらうこともあるし、反撃するほどリュドミラは悪い子ではない。


「行きますわ」


 近接戦闘も苦手ではない。それを言うなら、近接戦闘でリュドミラに勝てる相手もいないのだけれど。




 こうした戦い方を教えてくれた師に感謝する。

 父や母ではない。師と言っても勝手にリュドミラがそう思っているだけで。


 いつも保護者同伴が嫌だと言ったことがあった。

 自分だけで冒険をしたいと。

 一人旅など許してもらえず、かと言って家の誰かの同行を拒絶して。冒険者を雇った。


 両親が確かな腕だと見込んだ年若い女の冒険者。

 今のリュドミラと比較すれば明らかに弱いけれど、その時は自分に並ぶ力を感じた。当時なら勇者級の域。

 若く美しいのに汚れ仕事も厭わぬ、そんな少女。今はもう少女と呼ぶ年齢ではないはず。


 彼女の戦い方を見習った。

 リュドミラが初めて好いた他人で、無理にねだって彼女の初めてをもらった。初めてを捧げた。

 そうならぬよう同性の冒険者を雇ったのかもしれないが、まあそんなこともある。

 雇用期間が終わるとふらりと消えてしまったけれど、今でも彼女のことは師だと思っている。



「出来れば死なない程度に頑張って下さると嬉しいかしら」

「己の心配をしなさい」


 リュドミラの一撃をティアッテの戦斧が防ぐと、それだけで衝撃が大地を走った。

 お互いに弾け飛び、今度はお互いに飛びかかる。


「凄いですわ!」


 今まで感じたことがない強さ。


 ああ、強い女には興奮する。

 今の力が以前のリュドミラにあったなら。

 師のことも、無理やり組み伏せて従わせたのに。顔を跨ぎ、その体を貪る選択肢もあったのに。


 リュドミラに並ぶ力を持つ女を屈服させて、従わせる。

 当時出来なかった欲求が思い起こされた。



「こんなに凄いのは初めてですわ」

「それが死です!」


 交差したラーナタレアと戦斧が再びぶつかり、衝撃が音となって雨粒を震わせる。


「炎よ」


 左手だけを軽く振って唱えた。


「小賢しい!」


 簡易詠唱。

 簡易と言ってもリュドミラが使えば普通の魔法使いの爆炎魔法並。

 その二つの火球を、ティアッテは右手の甲で払い除ける。



「まあ!」


 驚いた。

 熱くないはずがない。けれど躊躇わず。


 弾かれた火球が宙で破裂する前にリュドミラが飛び退いた。

 ティアッテは爆炎に飲まれながら、真下からリュドミラを斬り裂こうと――


「?」

「勘の良い……」


 炎の中から苦々し気に。


 戦斧ではない。

 リュドミラの右手のラーナタレアと打ち合っていた戦斧が、真下から攻撃出来たはずがない。

 では、下から何が?



 風雨で爆炎が消えた先にあるティアッテを見て、目を疑う。


「いつの間に?」


 甲冑を身に着けている。


 先ほどまで、彼女は素手に素顔だった。

 それが、茶褐色の甲冑で顔の両側を覆っている。手の甲にも同じく甲冑……というか、甲殻が。



「尻尾……?」


 打ち合っていた武器とは別に、リュドミラの股を裂こうとティアッテの股下から突き出されたもの。

 それはまるで甲虫の尾のような。


「産卵管かもしれませんが」


 雌なのだから、そうかもしれない。

 影陋族はこんな器官を……いや、リュドミラも影陋族は多く知っている。こんな部位は存在しない。


 丸い節々が連なる尾のようなもの。

 切り裂くという風に感じたが、その形状から考えれば打突だったか。



「……魔物、ですの?」


 驚いた。

 驚かされた。


 ティアッテが驚愕する顔を見たかったのに、逆にリュドミラが驚き戸惑う。

 こんなものは見たことがない。

 一瞬で甲冑を着たわけではない。この女の体そのものが甲殻を持つ魔物に変化した。



「何でも構いません」


 仕切り直しと、甲殻を纏ったティアッテが戦斧を構え直す。


「お前を殺すものです」


 刃を交えたことで、怯えは振り切ったらしい。

 片手で軽々とリュドミラに向ける刃は震えない。



「……はあ」


 嵐の中、軽く首を振った。


「せっかく綺麗だと思いましたのに」


 汚い。

 歪で醜い姿に、心の昂りが急速に冷えていく。


「遊ぶ気にもなりませんわ」


 母に叱られないで済むと考えれば、その程度の利点はあったということでいいか。



「わたくし、虫は嫌いですの」

「お前たち人間こそ、この大地を蝕む忌まわしい虫です」


 言ってくれる。

 醜穢しゅうわいな蛮族の分際でリュドミラに対して。


「冥府に還りなさい、人間」

「巣穴に籠って怯えている程度なら可愛げもあるでしょうに」


 興が削がれた。

 さっさと片付けてしまおう。だいたいに雨風も鬱陶しい。先ほどまでは気にしていなかったけれど。



「わたくしを不快にさせるなんて万死に値しますわ」


 リュドミラが放つ光のごとき閃熱魔法を戦斧が切り裂き、死闘の幕が上がった。



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る