第四幕 039話 在らざる手_1
「ふむふむふむふむ」
気色が悪い。
呪術師というのはどうにも誰も彼もが気色悪い。
ブリス・オーブリーだけがそう思うのではなく、誰もがそう感じるのだろう。
ヘズを守る為とはいえ、あまり話したい人種ではない。
嫌だから避けたいと選べる状況ではないが。
「成功でございますぞ」
「……ああ」
頭痛を感じながら、首尾よくいったとご機嫌な様子の呪術師に答える。
ひどい頭痛だ。耳鳴りもする。
気のせいでもないだろう。室内で断末魔の叫びのようなものをずっと聞いていれば耳鳴りもする。
途切れた断末魔が、今も耳の奥に響いているような。
錯覚のはずだが。
案外、錯覚ではないのだろうか。
不遇な死をもたらされた魂が、死して尚も怨嗟を叫び続けているのかも。
無惨なその死体を見ればそんなことも信じてしまいそうだ。
煌銀製の鉄柵を握る手は、死を強いたブリスに激しい恨みを込めて今も離れない。
片方の足首は千切れている。
目を見開かれ、開いた口からは異様なほどに伸びた舌がだらりと垂れさがり。
檻の中で死んでいる男。
ヘズの町の高官で、町を放棄して撤退すべきだと訴えていた男だった。
理屈が通らないわけではない。通るのがよくなかった。
彼の言葉が影響を広げる前に捕らえ、この結果。
「ぴたり半刻でこの通り」
「そうだな」
自慢げな呪術師の様子に吐き気を覚える。
最悪の事態を想定して、醜悪な実験を。
哀れな現実主義者は実験の材料として町の礎になったということ。
ムストーグが敗れたと聞いた時点ではここまでの覚悟はなかった。
非常事態かとは思ったが、影陋族にも英雄級の敵はいるのだ。奴らが死力を尽くしたならそういうことも起こり得ると。
その時点ではまだ理解の範囲内での非常事態だった。
イスフィロセが十万の軍勢を率いての敗戦。
これには理解が及ばない。
ムストーグを倒した影陋族がヘズにも来るかと備えてはいたが、決戦という気構えではなかった。
調子に乗った蛮族に仕置きを、という程度の備え。
そんな状況ではない。
前代未聞の事態が迫っている。
ヘズの町とその周辺人口は三十万。
前線の為に常駐兵士の割合は多く一万だが、十万の軍勢が敗れたとなれば全く足りない。
イスフィロセは民兵も多かったはず。
慌てて民間に臨時の兵を募ってみても、イジンカの町から逃げて来た住民の噂で集まりが悪い。
強制的に徴用した。
農夫を中心に急遽用立てて、軍勢とすれば五万。
ヘズ近隣の冒険者にも多額の報酬を約束して、三百人を集める。うち百人は中位以上の実力者で勇者級も二人。
ブリス・オーブリー自身も勇者級の実力を有する。
ヘズの町の防衛長官でもある。ヘズの県令に次ぐ責任者だから、こんな場所で呪術師と話しているわけで。
「ブリス様、本当に……」
「言うなジョフロワ」
付き従った副官ジョフロワに首を振った。
「負けるわけにはいかんのだ」
「だからといってブリス様が……ルフォールのクソ野郎め」
「気持ちはわかるが俺の前で県令殿をそう言われては、俺まで言いたくなってしまうだろうが」
ヘズの県令トゥサン・ルフォールからの命令……ということではない。
表向きはというか、表沙汰にしてはならない。
裏向きの仕事だけれど、こんな命令を下すことが下っ端役人に出来るはずもなく。
だからブリスがここに来ている。
「よろしいのでございますかな」
質問形式だが、そこに疑問符などない。
呪術師は既に確定事項としてブリスに確認させているだけだ。
「アトレ・ケノスでは御禁制の呪術。ロッザロンド全てで固く禁じられておりますものを」
使えば極刑というのに。
「作っておいてどの口で言うのか」
狂死した死体を一瞥し、戯言をふんと鼻で散らした。
禁じられた呪術。
効果もそうだが、材料がまたよくない。
魔石と毒草と、生々しい人の心臓。
狂気の呪術をもたらす薬。
注文したブリスが言うのも何だが、この呪術師が短期間で作り上げたと言うことがまた釈然としない。
「そもそも禁じられた薬の製法をなぜ伝え聞いているのか」
「ふむふむふむ、おかしいでございますか。おかしいでございますかな?」
まともに答えるつもりがないのか、ブリスの言葉の意味が本当に理解できなかったようでもある。
呪術師が呪術の業を知っていて何がおかしいのかと。
「
ブリスの質問とは違うが、疑念が残る点に思い至ったのか勝手に喋り出す。
「先日より、
難民。
消えても騒ぎにならぬ者。
どういう手立てか知らないが、材料を用立てるのには困らなかった。
「呪枷ほど繊細なものでもなし。さほど時はかかりませぬよ」
「……ご苦労だった」
少なくない金貨や宝石の入った袋を渡し、代わりに呪術薬の入った麻袋を受け取る。
「呪術の詠唱などは必要ないのだな?」
「見ての通りでございますれば」
実験体の有様に、ブリスも改めて吐き気を覚えつつ頷いた。
禁制の薬を依頼して、二日で出来たと言う呪術師と共に地下牢で確認をした。
地下牢というか、これは拷問部屋だ。
人目につかぬ場所を選ぶ必要があったのだから仕方がない。
「それを使うのであれば、たとえ万の魔物が相手であろうと畏れることはありませぬ」
「……」
「また必要であればいつでも言ってくだされ。人の役に立てるのであらばこの身は幸せに震えましょうぞ」
呪術師の言葉に付き合う気になれない。
ブリスの雰囲気がわからないのか、わからないのだろう。勝手に続ける。
「我が業で人々が光を得るなら、それまさに女神のお気持ちに沿うこと」
お綺麗な謳い文句を、汚れた口から吐く。
「至上の喜びでございますぞ。ふむふむふむふむ」
嗤い声、なのか。
腹を震わせて。
気持ちが悪い。
何が本当に気色が悪いかと言えば、呪術師の言葉が本気で言っているかのように聞こえるところだ。
嘘を並べているのではなく、本当に人の世の役に立っていると言うかのように。
百を超える心臓を抉り、生のそれを怪しげな術でこねくり回したその手で、人の役に立てて幸せだ、とか。
頭がおかしい。
それを命じたブリスもまた既に頭がおかしいのだろう。
禁じられて当然の呪術。
なぜそれが伝わっているのかを考えることを拒絶する程度には、まだ理性が残っていた。
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