第四幕 037話 満つる辱め
「ふふっ」
笑う。
嘲る。
隷従の呪いというのは素晴らしい。
何が良いかと言えば、意識が埋没しないことがいい。
命令には逆らわない。
だがその顔には苦痛と屈辱が強く浮かび、憎しみと怯えを同居させた目を向ける。リュドミラに。
二対の小さな瞳が、リュドミラの体の芯を震わす。
最近覚えた遊びだ。
「やめていいと、誰が言いました?」
濡れたその手が止まったことを責める。
「続けなさい」
「う、ぁぁっ……」
「もう……うぅ」
二つの小さな手が、二つの小さなモノを掴んでまた動き出す。
湿り気がある分だけ先ほどより潤滑なのではないかとリュドミラは思うが、すぐに渇いて痛いらしい。
まあどうでもいいけれど。
遊ぶのなら野良がいい。
牧場のものは生まれつき飼い馴らされてしまっていて、興が乗らないのだ。
屠殺される運命を受け入れている家畜のよう。
野良は違う。
自分たちの置かれた境遇を受け入れられず、我が身に降りかかる不幸に怨嗟の言葉が漏れる。
それがいい。
言葉が通じるというのもいいし、羞恥心があるから面白い。
情けない泣き顔で、畜生同士で有り得ないことを命じられその姿を笑われる。
最近のリュドミラの楽しみだ。
ヘズの町から北東、ニアミカルム山脈を分け入った先に影陋族の隠れ里があった。
連中は隠れ住んでいるつもりだろうが、実際は違う。
ミルガーハ家が方々に手を回して影陋族を放牧している場所だ。
保護区、というのだろうか。
牧場ももちろん使っているが、実験的に影陋族の村を残した。
南部を狩り尽くしたところでその集落を発見して、慌てて狩ることもないと放置することに。
慈悲と言ってもいいのではないだろうか。
このままでは絶滅してしまう野生の影陋族を存えさせてやろうと、ミルガーハからの慈悲。
稀に、野良の影陋族をと希望する客もいる。
牧場の方が高級品というはずだったが、このままでは希少価値から野良の方が高くなりかねない。
見た目の珍しい配合は高級牧場でなければ手に入らないが、野生には野生の楽しみ方がある。
保護区から、こっそりと。
密漁が許されるのも、リュドミラがミルガーハの未来の当主だから。
長寿の影陋族の奴隷には、過去には彼らの村で普通に育った者も少なくない。
だが、百年を越える人間の支配の中で、そういう個体はそれなりの年齢だ。
若い個体の入手は難しい。
西部でも最近はあまり新規入荷が少ない。
影陋族だけが目的ではなく、その他の資源で充分に潤っているのだから経済としてはそれでいい。
こっちは、ただの性的な嗜好だ。
リュドミラは何でも許される。何でも手に入る。
西部が妙なことになり、ヘズの町も危ういとは聞くけれど。
こういう波も時にはあるものだろう。むしろ自分の時代で良かったと思うくらい。
様子を見る時期ということで、祖父から軽挙を
冷静に自分を見てみれば、若さもあって気が急いていたのかもしれない。
ハルマニーのことは笑えない。
強敵が来る。戦わなければ。
そういうのは軍人の役割であって、リュドミラの役回りではない。
損得の分岐を見極め、なるべく得になるよう、なるべく損をしないよう立ち回る。それが商売。
一時的な損も、より大きな傷を避ける為なら厭わない。
祖父の考えを理解した。この辺、ハルマニーなら説明を受けても理解できないのだが。
父スピロや母ゾーイが慌てた様子はなかった。
両親はニキアスの考えを察していて、若く物事の優先順位を取り違えているリュドミラに祖父から話を聞くよう言ったのか。
祖父が孫を可愛がっていることはわかっていて、どうせ教えを受けるなら祖父からと。
妹のことを短慮と笑うくせに、目の前に置かれた情報に飛びつきそうなリュドミラに教育を。
「う、ああぁぁっ」
「ひぃぁっ、く……あ……」
小さな体が震えて倒れた。
倒れてからもびゅくびゅくと、目は半開きのまま。
だらしなく、白く濡れて。
「ふふ、哀れなこと」
口にしてみて、実際には何の哀れみも覚えない自分に笑う。
影陋族のあるべき姿だ。リュドミラの前に伏して震えていればいい。
重なり震える小さな姿に、また体が熱くなった。
自らの手で自分の熱を燃やす。
今日は、変な臭いを身に着けたくない。
倒れている畜生は、シペーとテクと言う。
昨年手に入れた二匹。
見た目は際立っていなくとも、年齢がリュドミラとそう変わらないというのがいい。影陋族の生態で同年齢となれば、まあ。
拾った頃はひどく痩せこけていた。
山奥の隠れ里でろくな物を食べていなかったのだから当然か。
リュドミラが齧ったパンを投げると、御馳走でも得たかのような目でそれを追う。
食べろと言えば、がつがつと。
卑しい。
あさましい姿も、また一興。
美味しいかと聞けば、唇を震わせて答えない。
正直に答えろと命ずれば、涙を浮かべながら美味しいですと。
屈辱を噛み締めながら、リュドミラの与える餌を噛む。
その姿がたまらなく快感だ。
泣きながらリュドミラに感謝する影陋族。
這いつくばって啜るスープにリュドミラが足を入れたこともあった。
美味しいですリュドミラ様、と。
思い出しただけで自らを慰める指が強くなってしまう。
「……姉様?」
「あら、ちょっと待って下さい」
戸を叩く音と遠慮がちな声に、自分の身の熱を慰めていた手を止めて慌てて立ち上がる。
いや、慌ててはいないか。
見られるわけにはいかない。
でも見せつけたい。
自分が、お前をどうしたいのかと。
乱れた服を整え直して、小さく戸を開ける。
「どうしたのかしら、ユゼフ?」
「姉様が言ったんです。今日は寝る前に本を読んでくれるって」
ドアの隙間から覗く金髪の幼い男の子。
後ろには使用人が控え、朱色の装丁の本を抱えていた。
「そうでしたわね」
忘れていた……わけではない。
ぎりぎりまで遊興に耽り、もしかしたらユゼフに見つかってしまうかもという状況をめいっぱい楽しんだ。
幼い弟。
純真な瞳がリュドミラを映し、それを汚したい気持ちが湧きあがる。
さすがに駄目だ。色々と。
だから代用で我慢しているのであって。
「では、あなたの寝台に行きましょう」
「疲れているのでしたらいいんです」
気遣うようなユゼフに小さく頷いて自分の部屋を出る。
「そうですね」
可愛い。
ハルマニーは幼い頃から生意気で、リュドミラも幼かった頃にはよくケンカをした。年の近い姉妹なのだから仕方がないとして。
顔形は似ていても、ユゼフはハルマニーと違って生意気な様子はない。
従順で素直。おとなしい性格。
「疲れています」
「それなら……」
「だから」
小さな弟を抱き上げた。
「ユゼフが私を癒して下さい。一緒に本を読みましょう」
沈みかけた表情が、ぱぁっと明るく変わる。
単純ということならハルマニーも変わらないのだが、どうして受ける印象はまるで違うのだろうか。
「はいっ、姉様!」
「しばらくは時間がありそうですから、明日は剣の稽古も一緒にしましょうか」
「姉様がしてくださるなら喜んで!」
部屋の奥で失神している影陋族二匹のことなど忘れて、ばたんと部屋の戸を閉じた。
※ ※ ※
シペーとテクは山間の村で産まれた。
ニアミカルムの崖の陰にいくつかある小さな村のひとつ。
崖沿いの極地。昔は清廊族が住むことが出来ない土地だったという。昔より気候が温かくなった為に何とか住めるようになったのだと。
好き好んで居を構えたのではなく、追われて。
道も何もない山の中に、逃げて来た清廊族が寄り添って暮らす。そんな村。
人間どももこんな場所にまでは来ない。
他の地域がどうなっているのかわからないが、崖伝いの洞窟の住居から離れることはなかった。
僅かな畑だけでは暮らせない。
狩猟や採取が主な生活。冬の蓄えは乏しくひもじい日々が当たり前だった。
罠を仕掛けて獣を取る。
幼くとも村の仕事は分担だ。罠に獲物がかかっているか確認するのがシペーとテクの役目になっていた。
人間が来る気配などない。
思い込みだったのだろう。奴らは巧妙に痕跡を隠して窺っていたのだ。
山狸と呼ばれる獣が仕掛けにかかっていて、このくらいなら誰かを呼ぶこともないだろうと。
それが罠だった。
気が付けばシペーとテクは囚われ、山狸は魔物が食い千切られたような有様で偽装されている。
戻らぬシペーたちを探しに誰かが来たとしても、この周囲には普段いない珍しい魔物が現れたのかと思うだろう。その犠牲になったのかと。
シペーたちとて、決して油断していたわけでもない。
また、過酷な環境で暮らすことで相応に鍛えられていると考えていた。
最悪でもどちらかは村に危機を知らせられる程度の力はあると。
人間どもはその上を行った。
気配を殺し、声を上げる間もなくシペーとテクを捕らえて。
これが冒険者という奴なのだと、後から知った。
囚われ、首輪を嵌められて。
苦渋の日々が訪れる。
汚辱の中で、何より耐えられないことがある。
食べ物が豊富だ。
村では腹を空かせていることが当たり前だったのに、ここでは質はともかく腹いっぱい食べられる。
質だって、村で口にしていたものより上等だと。
悔しい。
村の皆は草の根を噛み獣の骨をしゃぶって生きているのに、人間どもはずっと良いものを当たり前のように食べている。
虐げているシペーとテクに与えるものさえ、奴らには余りものの残飯のようなのに、村の食事よりずっといい。
情けない。
おいしいと感じてしまうことをシペーは嘆き、テクは何度も己を呪う言葉を吐いた。
本当ならきっと、村の皆も食べられたのではないか。
人間さえいなければ、当たり前のように。
奪われた当たり前を思い知り、悔しさに涙する。
隷従させられて虐げられることもつらい。
けれど、ここの生活が村より豊かであると感じてしまう瞬間が、何よりも耐えられなかった。
※ ※ ※
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