第三幕 090話 踏まれる手順_1



「トワさまぁ」

「いい加減にしなさい、オルガーラ」


 縋りつき指を這わせようとする手を払った。



 雨上がりの夜半の林。

 もうほんの少し休憩をとねだるオルガーラに苛立つ。


 トワを抱えて駆けているのだから、疲れるというのはわかる。

 大楯の裏に乗せられて運ばれていた。トワよりずっと重い大楯を軽々と持つのだから、考えてみたら疲れたなど嘘だ。


 休憩と称して、トワにお仕置きを求めた。

 清廊族を裏切るような言葉を吐いた自分を責めてほしいと、ねだる。

 それも嘘で、ただトワに噛みつかれたりするのを望んでいるだけ。



 オルガーラの肌は瑞々しく、それについては不快さはない。

 トワに好きなようにされることを悦ぶ姿も、見ていて気分がいい。


 彼女はトワよりずっと強い力を持っているくせに、命じられるがまま全てをトワにゆだねる。

 口を開けと言えばそうするし、背を向けて額を地面につけろと言えばそのまま。



 大切になど扱わない。

 これは大切なものではない。

 けれど、ぞんざいにでもトワにされることを、オルガーラはなんでも悦ぶ。


 全くお仕置きになっていないとは思う。だがある程度は彼女を満たしてやる必要もあった。

 オルガーラはトワにとっては使える手駒だ。ずっとそうあるように、褒美を与えるのもトワのため。



 だとしても、いつまでも遊んでいる暇はない。


「オルガーラ、言うことを聞けないなら帰りなさい。私には必要ありませんから」


 蜜なら与えた。次は働け。


「ごめんなさい! トワさま、ごめんなさい。うそうそ、ボクちゃんと聞く。聞きますからぁ」


 慌てて衣服を正し始めるオルガーラ。

 捨てられては困ると。



 オルガーラは、もう壊れている。

 人間の拷問により心を削られ擦り切れてしまった。


 掬い上げ許しを与えたトワに、庇護されていなければ生きていけない。それにすがり、自分の形を保とうとする自己防衛。


 都合がいい。

 トワにとってはちょうどいい。


 少し面倒な相手を篭絡しなければならない。

 既に種は撒いておいた。ちゃんと思い悩んでいるだろう。




 あれは愚直な女。

 恐怖と責任感とで揺れる中、我欲に火を灯してやった。欲しいものは欲しいと言えばいい。


 考える時間はあっただろう。考えるくらいしか時間を使うことも出来なかったはず。

 己の胸中だけで。誰にも言えずに。


 思い悩め。どうせ答えなど出ないし、答えなど最初から決まっているのだから。


 ミアデがほしい?

 なら、お前は戦場に戻るしか道はない。ティアッテ。

 戦うくらいしかしてこなかったのだろうに。戦う以外で何を得られるものか。



  ※   ※   ※ 



「力を、あげようかと」

「……」

「アヴィの力は伝播する。私にも、望むのであればティアッテ。貴女にも」



 強い衝撃を受けたのは、オルガーラの姿を目にしたからか。

 サジュから逃げ延び隠れていた清廊族や、溜腑峠の砦で助け出した者たち。中には戦えない者も少なくなかった。


 サジュの東で待機していた彼女らも、勝利の報を聞きサジュへと向かっていた。

 翌日の夕刻くらいには着いたかもしれない。

 それを迎えに来たトワとオルガーラの姿に、元サジュの住民たちは大きく湧き立った。


 オルガーラの無事を目にして、本当にサジュを取り戻したのだと実感できたのだろう。

 色々と役に立つ女だ。



 ティアッテはひどく動揺していた。

 困惑と罪悪感と。

 トワのことを責めるような目も。どうしてオルガーラを連れて来たの、と。


 話があると言ってティアッテを連れ出すことは難しくなかった。

 氷乙女同士、色々あるだろう。


 足を失ったティアッテを抱き上げていくオルガーラに、誰も疑問など思わない。その言動が多少怪しかったにしても。


 ティアッテは、まるで締められる直前の鳥のような有様だった。

 逃げることも出来ず、まな板に乗せられ調理場へと運ばれるように。

 ちょうど大楯に乗せられているのもそれらしい。




「……で、この扱いですか」


 オルガーラに組み伏せられたティアッテを見下ろして頷く。

 悪くはない。

 こういう挑戦的な瞳も。


「逃げられても困りますし、貴女がその気になれば私では敵いませんから」

「力をくれるなどと言ってこれでは、抗いたくもなります」

「ごめんねぇ、ティア」


 オルガーラが、押さえつけるティアッテに上辺だけの謝罪を囁いた。



 後ろ頭と背中を大地に着き、足は高く上げられた姿勢。

 肩で倒立をするような形だけれど、もちろんティアッテが自分でやっているわけではない。


 オルガーラが逆さに持ち上げたティアッテを地面に叩きつければ、そんな姿勢になるだろう。

 叩きつけたわけではなくて、優しく傷つけぬようにやっている。


 ティアッテの背中から尻を、胸で支えるオルガーラ。

 地面に伸ばされたティアッテの両手首を、これもオルガーラががっちりと掴んでいる。



 ひっくり返った姿で拘束されたティアッテの頭の上からトワが見下ろしていた。


「……下穿きが見えていますが」

「あら、どうぞご遠慮なく」


 悔しそうなティアッテにトワは鷹揚に頷いて見せる。このくらいはおまけだ。


「ミアデではなくて申し訳ないですけれど」


 どうせならその方が楽しんでもらえたのだろうが。



「んー、ティアはミアデがいいの?」

「っ!」


 きっと、ティアッテの視線に怒りが滲む。


 ああ、そうか。

 オルガーラとティアッテはサジュが落ちるまで相愛の仲だったのだと。

 もちろん知っていてやっているのだけれど。



「オルガーラ……違います、私は……」

「あのさぁ、ティア」


 逆さにしたティアッテを胸で支えるオルガーラは、ちょうどその顔がティアッテの両腿の間から覗く。


 股越しに覗き込まれて話されるという気分は、どんなものなのだろうか。

 とりあえずその股の辺りが、オルガーラの息遣いでくすぐったそう。



「ボクねぇ……ああ、これティアの匂いだ」

「ちょっ、いや……やめて」


 脈絡のないオルガーラの行動に、反発心ばかりだったティアッテの瞳に恥じらいが生まれる。

 水浴びも満足に出来なかっただろう状態で、いくら清廊族の氷乙女といえども恥ずかしくないわけもない。


「んー、やっぱりティアの匂いも嫌いじゃないんだ、ボク」

「……」

「だけどね、ちゃんと言わないとダメだよね。こういうの」


 うんうん、と頷くオルガーラの顎がティアッテの腿から尻あたりに触れて、やはりくすぐったそうに身じろぎする。

 オルガーラに拘束され、片足を失いバランスの悪い今のティアッテでは抜け出すことも出来ない様子。



「ボクさぁ、トワさまにぜんぶを捧げることにしたんだ」

「……?」


「だからぁ、ティアとの関係はおしまい。ティアが一緒にトワさまにぜぇんぶあげるって言うなら、また一緒でもいいんだけど」


 理解が追い付かないというように戸惑う瞳が、オルガーラからトワに移る。



「きらいじゃないんだよ、ティア」

「……」

「だけどほら。ボクとティアって、ただ他に誰もいないから慰め合ってたって感じもあるじゃん」


 並べる者が他にいなかった。

 だから、お互いにお互いを求めた。他にいないのだから。

 一時の癒しを、温もりを。


「トワさまはね、ボクを助けてくれたの」

「貴女を、トワが……」

「うん、だからね。ボクはもうぜぇんぶ、ボクをトワさまにあげたいの。わかってくれるかな?」



 心のつかえになっていたはず。戦いから逃げたいと思うことと別に。

 ミアデを求める気持ちとオルガーラとの折り合い。自分の心変わりをどうしたらいいか。


 生きているかどうかわからなかった。

 オルガーラが既に死んでいたなら、そのことは気にしなくても良かっただろう。

 けれど生きていて、それをトワが連れて来た。


 人間どもに汚されたティアッテ。オルガーラに合わせる顔がない。

 戦いに怯えるティアッテ。オルガーラに合わせる顔がない。

 他の誰かに心を寄せるティアッテ。オルガーラに合わせる顔がない。


 その辺りの罪悪感について、いくらかほどく。

 ティアッテが自らを縛るつまらない感情を、トワが解いてあげる。



  ※   ※   ※ 

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