第三幕 082話 顔を上げて
半分ほどひしゃげて、町の南東の平原に落ちていく黒い塊。
飛行船の前方には、飛行船の半分より小さいほどの氷の塊が突き刺さっていた。
半分より小さいとは言うけれど。
飛行船そのものが、普通の家を十どころか五十近く集めたほどの大きさだった。
その半分の氷塊となれば、凄まじい質量だ。
ユキリンの背から放たれた今までで一番に太い氷の矢。
放たれてからさらに大きく膨らみ続けて、日の光に煌めきながら飛行船の前に激突した。
迎撃しようもない。
巨大な質量の前に、魔法を受け流す冥銀の鎖もほとんど意味をなさなかった。
楕円形だった形がひしゃげて、そのまま浮力を失い落下していく。
「敵が逃げるぞ!」
「逃がすな!」
落ちかけた飛行船から飛び降りる影もあった。
それを見て、清廊族の戦士たちが追いかけていく。あれに乗っていた敵は生かして帰さない。
ルゥナは、そちらとは逆に走っていた。
ユキリンが大きく揺れ、乗っていた者が落ちていく。
片方の大きな影――ニーレを抱えたオルガーラは、体勢を整え直したウヤルカが掴もうと飛んでいた。
もう片方の小柄な影。
メメトハだけは、彼女らと別方向に落下していく。
意識がない。
あれほどの魔法の力を使ったのだとすれば当然だ。
考えられないほどの氷の塊。それだけの力はアヴィにだってないだろう。
命を削って矢を放っていたニーレと同じことをしたのではないか。
「メメトハ!」
まさか、ここでメメトハまで。
ダメだ。そんなこと、絶対に。
ルゥナとて、夜明け前からの連戦で相当な疲労が溜まっている。
だけど、どれだけ疲れていたとしても、どれだけ傷ついていたとしても。
もう、これ以上親しい誰かが死ぬのは見たくない。
戦争をしているのだ。わかっている。誰も死なないなんて、そんな甘いことを考えていたわけではない。
最初にミアデ達を仲間にした時は、そう考えていたはずだ。アヴィの為なら死なせてもいいと。
そういう決意をして、覚悟をしていたと思うのに。
なのに、ユウラが死んで、こんなに打ちのめされている。打ちひしがれている。
これ以上は無理だ。今、これ以上の悲しみを抱えるのはルゥナには無理だ。
立ち上がれなくなってしまう。
自分が、自分で思っていた以上に弱いのだと思い知った。
苦境を共に越えて来た仲間に対して、思った以上に親愛を抱いていたのか。
甘い。甘いのが好きで、甘ったれたい。
もう苦いのは嫌だ。嫌だ。
「メメトハ!」
大地を揺るがす轟音の中、ルゥナは跳んだ。
落ちてくるメメトハを受け止めようと、思い切り。
それではぶつかる勢いとて馬鹿にならないだろうに。
「
どこかの谷の御伽噺だったと思う。
春先に霧が立ち込める谷に幼子が落ちそうになった。
そこにふっと谷底から吹いた風が、白い花のように見える霞を舞い上げ、幼子をふわりと持ち上げてくれたのだとか。
ルゥナではない。ルゥナにそんな余裕はなかったし、そもそも魔術杖を持っていない。
見れば、ああ。アヴィだ。
膝を着いたまま、遠くから魔術杖をルゥナとメメトハに向けていた。
ふわりと、優しく包む風。
メメトハを傷つけぬように。飛び込んだルゥナも風に包まれるとゆらりと勢いが落ちる。
高威力の魔法ではない。だとしても、あれほど疲弊した状態で咄嗟に紡ぐなど。
「メメトハ」
優しい風の中、メメトハを抱き留めた。
意識はない。けれど、命はある。気を失っているだけだ。
後ろで、また爆音が響いた。
先ほどの轟音は、飛行船が墜落した時の音だろう。
今度は……?
柔らかく大地に着地して振り向いてみれば、落ちた飛行船から爆発がいくつも巻き起こっていた。
先ほどまで受けていた爆裂の魔法のようだが。
「……魔法使いが死んでも発動する?」
黒い球を投げつけていたが、あれに魔法を込めて放っていたのではないのだろうか。
あるいは、あらかじめ込めていた魔法が今になって爆発しているのだろうか。
空から落下した飛行船は、かなり南に流れて墜落していた。
清廊族の戦士たちは、落ちた飛行船にまで届いていない。あの爆発に巻き込まれてはいなかった。
町からもだいぶ離れてくれたおかげで、サジュへの影響も心配なさそうだ。
燃え広がるようであれば困るが、昨日までの雨で大地は湿っている。それほど心配はないだろう。
飛行船から逃げ出そうとした人間どもも、どうやら爆発に巻き込まれて多くが死んだ様子。
手の届かぬ頭上から魔法を放っていた卑劣な連中だ。
まさに自らの蒔いた種で死ぬというのなら、それも然るべき報いだと言える。
「ルゥナ様が拾ってくれたおかげで助かったわ」
「いえ……貴女もお疲れ様でした。ユキリンも」
治療もまともにせずに役目を果たしてくれたウヤルカ。ニーレとオルガーラを掴まえてルゥナの所に降りて来た。
どちらもメメトハと同じく気を失っている。
無意識でもオルガーラがニーレを離さなかったのは、トワから命じられていたからだろう。絶対に弓使いを守れ、と。
事情はわからない。
よくわからないが、オルガーラはトワにずいぶんと親しく……懐いていた。
それを思い出して少しだけ不愉快な気持ちになるのは、気の緩みだろうか。
「……終わった、んじゃの」
ウヤルカに言われて、しばらく呼吸を忘れてから、ああと息を吐いた。
肩の力が抜けると共に、膝が崩れる。
見ればウヤルカも同じだ。ウヤルカだけでなく他の仲間たちも。
全力を尽くして、愛する仲間を失って。
ようやく終わった。
「今日は」
気を緩めていいと思うわけではない。
けれど。
「もう……戦えません」
「ああ、そうやね」
強がることも出来ない。
死力を尽くしてなお届かなかった勝利。
ユウラだけではない。多くの清廊族の戦士や、戦士ですらない者も。
大地に残された死体は、人間と清廊族どちらが多いのだろう。
形だけ見れば、勝利。
サジュの町から人間どもを撃退して町を取り戻した。
敵の英雄を討ち果たし、人間どもの戦力だった飛行船を落とした。
けれどこの空虚な気持ちはなんだろうか。
今もまだ、腹を抉るような苦しみと悲しみが続く。
戦いが終わったと思えば余計に。
「けどなぁ」
膝を抱えたまま続ける。
「ちいと休んだら、みんなのとこを回らんといけん。ルゥナ様はな」
「……」
「あんたは頭じゃけぇ、な」
リーダーは誰なのかと言われれば。
アヴィだとは思う。だけれど、アヴィは全体の指揮者という雰囲気ではない。
メメトハならばと思うが、意識のないメメトハの顔を見れば、それも酷な話だ。
「今日はこれで終わりじゃ。けんども、今日で終わりじゃないんよ」
「……ええ」
気が付けば、日はもうだいぶ高く昇ってきている。
長かったと言えるだろうか。けれど、開戦からここまでが目まぐるしくて、時間の感覚がついてこない。
「そうですね。皆に勝利を伝えなければ。次の戦いの為に」
「あぁ」
ここで終わりではない。
どれだけの犠牲を払ったと言っても、勝利して生き延びた。
生きている自分たちは、次へと進まなければならない。
今、ここで膝を抱えていては、勝ち取ったものの意義を見失う。
惨めな気持ちばかりが残ってしまっては戦えなくなってしまう。
サジュの住民たちにも、次の戦地へと向かってもらわねばならないのだ。
俯くことに慣れさせてはいけない。
「優しく、ないのですね」
ひとときの休息の時間だから。つい愚痴が零れた。
「私には」
「はん」
短く笑う。
「なんね、優しくしてほしいちゅうなら、後でじっくりしちゃるわ」
「その前にちゃんと傷を治して下さい」
軽口を叩き合い、それから溜息を吐く。
どうしたってどこか空々しい。
今はまだ、お互いに本調子ではない。体のことではなくて。
失ったものの大きさを改めて感じ、また溜息が漏れた。
「……ユキリンに乗せちゃるけぇ、な」
優しくないと言ったことに対する返答だったのだろうか。
小さく喉を鳴らしたユキリンも、見ればあちこちに汚れている。人間の血なのか何なのか。
「ありがとう」
仲間を慰撫するにしろ鼓舞するにしても、あるいは残敵を警戒するにしても。
ユキリンに乗せてもらえるのは有難い。
今までも興味はあったけれど、乗せてほしいというのは子供っぽい気がして言い出せなかった。
「皆に上を向かせるのに、ちょうどいいでしょう」
下を向いて生きる為に戦ったわけではない。
そんな生き方を否定する為に戦った。
ユウラもまた、そうだった。
「私も……上を」
「ああ」
澄み渡る空を見上げても、溢れる涙を止めることはしばらく出来なかった。
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