第三幕 007話 霧中の初陣_1
巨大な鉤爪のような刃を有した大薙刀で、丸太を組んだ門を打ち砕く。
これが鉄の門扉だったり、クジャのような石材の城壁だったらこうはいかなかっただろう。
木造の砦。
それでもウヤルカの住んでいた村よりも立派な造りだったし、規模も遥かに大きい。
人間の軍が駐留するというのだから、軽く千はいるものなのか。
ウヤルカは振るった大薙刀――先に倒した鉤手暴駝の魔石を使い強化した《
「エシュメノに感謝やね」
ウヤルカの全力でも軋むこともないほどの強度。これなら思う存分に戦える。
人間の振りをしなければならなかったことは、不愉快といえば不愉快。
不愉快でも、勝つ為の手段なら厭わない。
手段を選んでいられる状況ではない。絶望の中で、ルゥナがウヤルカに頼んだ役目なら喜んで引き受けよう。
汚れ役、上等。ウヤルカにしか頼めないと言われて嬉しかったこともある。
何のかんのと言っても、ウヤルカは彼女らの最も辛い時に一緒にいられなかった。一緒にいてもそこに線があるような、そんな引け目を感じていた。
――囮として、人間の振りをして砦の敵を挑発してほしい。
危険な上に、忌まわしい人間として名乗れと。その挙句に背中を見せて逃げろなど、遠慮していたら頼めないだろう。
だから、こんなことを言うのはもちろん悪いのだが、勝算の少ないこの戦いが有り難かった。ウヤルカが本当の意味で仲間として認めてもらえるような気がして。
元より命を惜しんで戦いに臨んだわけではない。危険でも何でも、役に立てるというのならそれ以上の望みはない。
――勝利の為に、貴女の力は今後も必要です。勝手に死ぬことは許しません。
ルゥナはウヤルカを
「貴様ぁ!」
門を破られ度肝を抜かれた兵士が、言葉だけでウヤルカに敵意を示す。
恐れて、飛びかかっては来ない。
「はっ、ははっ!」
思わず、笑ってしまった。
初めてだったので、思わず。
「どうしたんじゃ、いびせえんか?」
初めて人間を見たのだ。こんな間近で。
倒すべき敵。忌まわしい種族。
魔物とは違う。清廊族にとって最も憎むべき相手が目の前にいる。
数名が集まって槍を構えて、だがその腰は引けていて。明らかに怖れを抱いている。ウヤルカに。
(っと、違うんじゃったね)
ウヤルカに、ではないのだ。今は。
人間どもが怯えてえるのは、見知らぬウヤルカに対する恐怖ではない。彼らの敵の人間の噂に対してだ。
「なんよ、この
「く、この田舎女がぁ!」
どうして見ず知らずの人間がウヤルカを田舎者だとわかったのか不思議だが、挑発は成功したらしい。
嘲笑はうっかり漏れただけだが、いい具合に煽っただろう。
二人ほどまとめて槍を構えて突っ込んでくる。その踏み込みも突きも鋭い。
訓練された兵士というのはこういうものかと感心させられた。が、それはウヤルカの誤解だ。彼らはここに派遣された精鋭で実力は兵士の平均よりも高い。
単騎で砦を急襲した向こう見ずな敵を仕留めようと、そう思う程度には腕に自信があった。
それがまた彼らの不幸。
「よっと!」
見事に並んでウヤルカを貫こうとする槍の間に、ウヤルカの鉤薙刀が差し込まれた。
ガギィン、と、金属音を響かせて左右の槍が大きく弾かれる。
一瞬で左右両方の槍を弾き飛ばした。精鋭槍兵の突きを。
「なんだとっ」
「ぐぅっ!」
「遅いんじゃ」
両手で突きを放った兵士らは、弾かれて無防備に身を晒す。
――ウチの復讐もこっから始まるんよ。
そんな気持ちから思わず力が入った。入り過ぎた。
ウヤルカの一刀で、二人の人間が上半身と下半身を別れさせた。永遠に。
「べへっ……」
「が、あ、ああぁ……」
両断された二つの死体。
それを見た他の兵士は、呻き声を上げて数歩下がる。
両断された上半身がまだ動くのか、がりがりと地面を掻く。血泡を吹きながら。
「へえ」
すぐには死なないものか、と。うっかり両断してしまったが、そういうものらしい。
そういえば虫も、両断されてもしばらくは生きて動く。人間も同じなのか。
「ひぃ、無理だ……誰か、ムストーグ様を!」
「将軍、コロンバです! イスフィロセの悪魔だ!」
喚きだす兵士たち。この砦には人間の英雄と呼ばれる戦士がいるはずなのだと聞いている。それがそのムストーグとやら。
砦は大きい。そう思うのはウヤルカの感覚であって、人間どもにとってはそれほど大きなものではないらしい。
騒ぎを聞きつければすぐ来る。その英雄が。
それを倒したいとも思う気持ちもあるが、ルゥナからきつく命じられている。
騒ぎを起こしたら即座に撤退しろと。
「はっ、腰抜け連中ばっかりやね」
捨て台詞を残して、全力で駆けだした。砦の北に広がる溜腑峠の中心に向かって全力疾走。
ウヤルカは豪気だが己を知っている。アヴィ以上の力を持つと聞く英雄とやらと正面からやり合い、尚且つ他の兵士の相手も出来るとは思っていなかった。
言われた通りに撤退。人間を相手の初戦としては今一つの不格好さだが、そんなことを気にしていて負けては意味がない。
まあ実際に死ぬのは嫌なので言われた通りにするし、逃げるのも作戦のうち。
人間をより多く殺す為の作戦なのだから、逃げることを恥とは思う必要もないだろう。
作戦を失敗させることの方が恥だ。堪えられないこと。
期待に応えてこその戦士。
単騎で敵の砦の門を打ち破る。
これも十分な誉れと言えなくもない。
「海賊娘ぇ!」
背中から、腹の中まで響くような怒号が届いた。
無視できないほどの圧力と共に。
「今日は連れ合いはおらんのか? あれはなかなか具合が良かったがの。がぁっはっは!」
だが、無視する。
無視できないほどの力を感じさせる相手だと言うのなら、それが英雄に違いない。
言っていることはわからないが、どうやら当のコロンバと面識があるのだと理解した。因縁、かもしれない。
「
声が、背中からどんどんと近づいてくる。速い。
恐ろしい勢いで、恐ろしい力を持った人間が追ってくる。
「おんしの相手なんぞしとられんのじゃ!」
このままでは追い付かれるのは明らかだった。
まだ砦からさほど離れてもいない。
ウヤルカの脚力は決して遅いわけではないが、人間の英雄の速度は異常だった。見ている余裕はないけれど、追いすがる速度が異様だ。
スピードだけではなく他の身体能力でも、大きくウヤルカを上回るに違いない。
「なんじゃ、貴様……?」
近付く声が、もう数歩でウヤルカの背に息が届くほどに感じる。
顔見知りだということなら、近付けば贋物だとは知られてしまうか。
訝しむ声と共に、手が伸びる気配が背中に伝わった。おぞましい気配に背筋に鳥肌が立つよう。
「海賊娘では――」
するりと。
手が、空を薙いだ。
跳んだウヤルカの背中を掠めて、空を切る。
「ユキリン!」
「QuA!」
高い声と共に、ウヤルカの体が宙を飛んだ。白い流麗な魔物に掴まって。
「魔物じゃと!?」
「はっ、間抜け面さらしときぃや」
溜腑峠に立ち込める霧の中、ユキリンに乗ったウヤルカが上から煽り言葉を掛けて飛び去る。
それを見上げる老齢の人間。英雄ムストーグ。
呆気にとられ、捉えられなかった自分の手を握ってから、顔を歪めた。
「なめよって……」
ある程度はおびき出すつもりではあった。思った以上に間一髪になってしまったのは、ウヤルカの想定以上にこの男の能力が高かったから。
どれだけの力があるとは言っても、人間の足には違いない。迷わず逃げるウヤルカに追い付くのは困難だろうと思っていたのだが、甘かった。
「それで……この儂から逃げられると、思うたかぁぁ!」
溜腑峠には、天まで届く木々のように岩山が聳えている。
その隙間を縫うように飛ぶユキリンに、大気の振動が襲った。
英雄の腹から放たれた怒号が、岩を震わせ鼓膜を痛いほどに叩く。
「っ」
思わず顔を顰めるウヤルカ。ユキリンの方も痛みを感じたようで、飛ぶ姿勢が僅かに揺らいだ。
はっとウヤルカが上を見る。
気配が強すぎる。この英雄ムストーグは、豪胆な性格からなのか、激しく存在を主張していた。
わずかに揺らいだユキリンの挙動。その隙を狙って一足で空高く跳び上がり、ウヤルカの頭上に構える。
「小娘がぁ!」
「ぬうぅ!」
本当に、エシュメノに感謝しなければならない。
上から叩きつけられた一撃を何とか受け流せたのは、魔石で強化した鉤薙刀だったから。そうでなければ真っ二つだっただろう。
勢いは受けきれない。
ユキリンが大きく沈み、それがクッションのように衝撃を和らげてくれた。
斜めに、英雄の一撃を受け流す。
「生意気な!」
「るっさいんじゃ」
毒づきながら下に落ちていくムストーグと、まだ痛い耳の奥に毒づくウヤルカ。
いくら英雄とはいえ空を飛べるわけではないらしい。これで空まで飛ばれた日には適わない。
一度着地して、今度こそウヤルカとユキリンを切り捨てようと落ちながら睨むムストーグの瞳は、怒りで濁っている。
ここは溜腑峠だ。
霧と、泥沼の魔境。
それを忘れていたのか、跳び上がった空中から落ちた足は、ぬめった泥に深く膝上まで沈み込んだ。
「この程度で――」
忘れていたわけではないらしい。
泥に沈んだところで、自分の脚力ならそのぬかるみさえ蹴飛ばして跳び上がれると。
この程度の地形など、想定していようがいまいが対応は出来る。それでこその英雄級。
跳び上がり、今度は下から魔物もろとも切り捨てる。上空とはいえムストーグの手の届く範囲だ。
ぐぅっと、足に力を込めたその瞬間に。
「冷厳たる大地より、奔れ永刹の氷獄」
「冷厳たる大地より、奔れ永刹の氷獄」
忘れていたわけではなかっただろうが、強すぎるムストーグは注意を払っていなかった。
いても不思議はない伏兵が、霧の中に潜んでいることを。
「むぅっ!?」
腿まで沈み込んだ足が、その沼ごと凍らされる。
尋常な力の魔法ではない。上位の冒険者でもこれだけの力がある魔法を使える者は多くないはずだった。
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