第二幕 015話 女傑・豪傑_1
「もう終わりかい? なっさけない」
「う、うぁ……」
地面に倒れる数十人の兵士を前に、女はつまらなそうに吐き捨てた。
「こんなザマで、あたし抜きで勝手にやりやがって」
倒れている兵士たちは、ただの兵士ではない。
一人一人が確かな実力を持つ精兵だ。
それらをまとめて、事もなげに一蹴してしまえるこの女が規格外。
女傑コロンバ。
体格は成人男性と変わらぬほどで、日焼けした肌が健康的な印象を受ける。
左右の手に持った無数の鋲のような突起を有する棍棒は、木製ではない。
煌銀製――煌銀は、鋼鉄よりも硬いが、同じ体積であれば比重は少し軽いという程度。
鉄の塊でできた太い棒となれば、その重量は相当な物になるはずだが、それを木の枝でも持っているかのように扱う。
英雄と呼ばれるだけの身体能力を持つコロンバだが、視野が広いタイプではない。
いかに彼女が強くても一人で戦い続けることは出来ない。その程度は理解している。過去の苦い経験で。
北西部に防衛線を構える影陋族を叩きたいのだが、さすがにそこは敵からの必死の抵抗があった。
南部、西部から逃れた者たちと、影陋族が氷乙女と呼ぶ英雄に近い力を有する女戦士二人。
それらに阻まれて、侵攻は止まっていた。
人間とて、無尽蔵に湧いてでるわけでもない。
既に支配下に治めた土地を開発など、厳寒の北部への侵攻よりも優先的にやることもあった。
そして、人間同士の縄張り争い。
既に敵として見做すほどの戦力のない影陋族よりも、力ある人間勢力の方が厄介になっている。
コロンバたちの母国イスフィロセは、このカナンラダに最初に到達した発見者だ。
だがその国力、人口は、アトレ・ケノス共和国やルラバダール王国と比べて、半分どころか二割程度。
大国に南部の肥沃な土地の大半を奪われ、イスフィロセは西部の海岸沿いに縦長な領土を得た状態になっている。
イスフィロセは小国だ。歴史もそれほど深くない。
だが、大国ではない為に、新しい物事への取り組みに恐れがない。
最新の造船技術などについては、他より頭一つ以上抜けているという自信がある。
物量では劣っても、その革新技術により海岸線での勢力は維持出来ていた。
陸地では、大国に劣るとしても。
「コロンバ、そのくらいに」
「はっ、わかってるよ」
戦力を整えて北進をしておめおめと逃げ帰ってきた連中に、思い知らせてやっただけだ。
コロンバの知らぬところで勝手に作戦を立てて、コロンバ抜きで実行、失敗してきた馬鹿ども。
自分がいれば、そんな無様なことにはならなかった。
「お前らの部下は、これよりまだ惨めな気分でやられたんだろうよ」
けっと吐き捨てたのは、作戦指揮官だった男に対して。
コロンバのことを快く思っていない軍人。
作戦を無視するだとかコロンバの身勝手で戦線が崩れただとか、何度かやりあったことある。
影陋族、またアトレ・ケノスとの戦いの後の検討会というか反省会というか、そんな際に。
この男が首謀ではない。
もっと上の上級将校が指示していることはわかっている。コロンバに手柄を立てさせたくないと。
女だから。
思い通りにならないから。
敗走してきた彼らを責める検討会の際に、コロンバが噛みついた。
覚悟も、訓練も足りないと。
責任者を含めた精兵に、再教育をしてやるということで、こうして叩きのめした。
軍司令が認めたのは、コロンバのガス抜きの為でもあったのだろう。
使い走りの犬を叩きのめしても気は晴れない。
派手な喧嘩に参加できなかった。
それに、さすがに味方だ。殺すわけにもいかない。
その程度の分別はコロンバにもある。
戦争なら、敵なら、殺しても問題ない。
それに――
「……あのクソ生意気な女を取っ捕まえてやりたかったんだよ。あたしは」
「わかっている、コロンバ」
応じるのは、コロンバの副官というか、個人的な部下の女戦士。
コロンバと共に、少女の頃から海で多くの魔物を狩ってきた唯一の友。
「教練はもう十分。別の指令もあるので、もういいでしょう」
「……わかったよ、グリゼルダ」
グリゼルダは残念ながら強くない。
というのはコロンバの視点からで、グリゼルダ自身も上位の冒険者級の力量はある。
彼女の資質はそこが限界だったようで、勇者級と呼ばれるところまではならなかった。
コロンバとは力の差がある。だが、幼い頃から共に海で育った友であり、コロンバにとっては最初の恋人だ。
思慮の足りないコロンバをフォローしてくれているのもわかっている。
「次からは、ちゃんと身の程を弁えてやるんだね」
もう一度、倒れて呻く愚かな味方に吐き捨ててから歩き出す。
後ろに聞こえる呻き声が、少しは気を紛らわせてくれた。
「……また恨まれるかもしれないわ」
「はっ、あいつらに何が出来るってのさ」
町の外で教練……というか八つ当たりをしていたので、町に戻る。
海岸沿いの町、イジンカ。
イスフィロセが拠点とするのは、カナンラダの西海岸線になる。
南から、サキルク、スラー、イジンカと拠点となる港町を作っていた。
海から近く土壌の塩分が強いのと、時期により吹き付ける冷たい海風の為に作物の育ちはあまりよくない。
海産物を主とする食事生活は、港町育ちのコロンバにとって慣れ親しんだものだ。
むしろ違う食生活を知らない。
イスフィロセ自体が、ロッザロンドの端の半島から近隣島々を所領とする為、ロッザロンド生まれでも海に親しみは強い。
海岸に近い為、草木が少なく、風に砂ぼこりが混じる。
冬になると猛烈な吹雪の日も珍しくなかった。
このイジンカの町から少し北上して、ニアミカルム山脈の西端から海までには湿地帯がある。
戦い以前に、そこで沼に飲まれて死んだ兵士もいくらかいると聞くが、コロンバからすれば間抜けな話だ。
「指令って?」
コロンバの仕事は戦うこと。
それ以外は求められていない。
ある程度の戦力が整わなければ影陋族の拠点を落とせない為、ここしばらくは魔物狩りの他は大して何もしていなかった。
「魔物狩り」
「だろうと思った」
「海の」
「苦手じゃないね」
「正確には海のじゃないかも」
グリゼルダの言葉に疑問符の目を向けるが、グリゼルダ自身もちゃんと聞いているわけではないらしい。
南西を指差す。
そちらは、遠くロッザロンドがあるはずの方角。
「
それより遥か手前、カナンラダ大陸に近い場所にある島の名前だ。
割と大きな島ではあるのだが。
「そりゃあ面白いじゃないかい」
イジンカ生まれのコロンバでも近づいたことがない島。
「魔境か」
「そこの制圧、魔物の駆除を」
やることはわかった。グリゼルダが知らないのは、その島に生息する魔物の実態か。
海にある魔境は探索が困難だ。
近付くことも難しいし、上陸して魔物退治をしている間に船が破壊されている可能性もある。
少なくとも、一介の冒険者には不可能。
「乗り込む人員は冒険者からも募っている。最低でも上位の」
「勇者級もくるってことだね」
「そう。着岸する船の他に補助用の船も二隻」
イスフィロセの軍を動かしての魔境攻略。
昨今では聞いたことがない。
竈骨島に住む魔物は、長い年月を経て強大な力を持ち、また数も多い。
航路では迂回して避けるようにしているはずだが。
「憂さ晴らしにはちょうどいい」
「そう」
「でも、急に今になってどうしたってんだい?」
「さあ」
コロンバの疑問に、グリゼルダは答えを持っていない。
ただそういう指令を聞いただけ。
軍上層部がコロンバを疎んで作戦にかこつけて始末を、という疑問も抱いたのだが。
それは有り得ない。
イスフィロセは人口が少なく、それに比例して英雄級、勇者級の力を持つ人間も少ない。
コロンバを失えば、隣接するアトレ・ケノスに対抗する戦力に大きな不安となってしまう。
それに、作戦の中身を見れば実際に攻略するつもりがあるらしい。
無論、成功すれば航路の安全が増して国益になるのだから、それでいいはず。
そんな説明をグリゼルダがするのだが、コロンバは大して理解を示さなかった。
ただ面白そうだ、と。
「しっかし、そうするとその間のあのクソ爺が……」
「そっちは大丈夫って」
隣接するアトレ・ケノス共和国の豪傑ムストーグ・キュスタ。
関係は悪い。
国同士も、コロンバ個人としても。
「ふーん、まあいいさ」
政治的な話など聞いてもわからない。
上層部が大丈夫だというのならそうだろうし、そうでなくてもコロンバに出来ることはない。
人間や影陋族を相手にする時には加減が必要だ。
死ぬまでの間の苦悶の声や恨み言、泣き言を吐かせる為に。
あれはあれで嫌いではない。
魔物相手だと、今度は遠慮をする必要がない。
力のままに暴れて、殺戮の限りを尽くせばいい。
それに、強い魔物はそれだけコロンバの力になる。
急に魔境探索などと言い出したのは、コロンバの不満の発散の為だったのかもしれない。
航路の安全確保など、今更な話だと。
「よぉし、じゃあ久しぶりに思いっきり暴れてやろうかね」
にやっと笑うコロンバに、グリゼルダはやんちゃな妹でも見るような目で溜息交じりに頷いた。
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