第一幕 107話 崖に降る銀_1



「今にも、何か落ちてきそうですわね」


 イリアの腕の中で天高く見据えてマルセナが言う。


「こうして見上げていると」



 純白の翔翼馬はディニと名付けられた。マルセナに。


 イリアがそれに騎乗して、マルセナがその前に座れるように馬具を作らせた。

 トゴールトの町がまだ混乱してる中での急ぎの制作だが、とりあえずうまく出来ている。

 二人も乗って長距離の飛行が平気なのかという疑問もあったが、それは問題なかった。


 翔翼馬に限らず、空を飛ぶ多くの魔物は、魔石からその力を得ることが出来るらしい。

 翼だけで飛行しているのではなく、魔物特有の魔法を併用しているのだと。

 なので、より良い魔石を与えればより強い力で飛ぶことができると。


 ただ上質な魔石は手に入りにくいし、維持するのにも金がかかる。

 そこでマルセナは、どこで手に入れたのか白い魔石をディニに与えていた。


 イリアは知っている。マルセナが殺した人間から手に入れられると。

 だがその白い魔石は、確かイリアが止めを刺したパシレオス将軍から採取していたような気がするのだが。


 出自はどうであれ、案外とその白い魔石は翔翼馬と相性が良かったらしく、そのエネルギーを飛翔の力に変えられたらしい。

 消化、吸収が良いということなのかもしれない。


 通常は、魔石のエネルギーの大半は吸収されずに排泄され、結局は大地に帰るのだとか。




「あまり近付くと白い魔物の群れが襲ってきます!」


 イリア達に後ろから声を掛けたのは、天翔騎士の生き残りのガーサという女騎士だ。

 パシレオス将軍との交戦時に、負傷していた為、後方に位置していたらしい。

 他にも、天翔騎士の女魔法使いが生き残っている。

 クロエはトゴールトの町の復興があるので留守番だ。不満そうだったが。



「白い、線虫のような大量の魔物でしたわね」


 話は聞いた。崖の下から大量に湧き上がり、かなり高い位置まで飛び跳ねて襲ってきたのだとか。


「たぶん、海蟻の幼虫だと思う。海岸沿いの岸壁で、近付く動物の肉を食い荒らして成体になるって話だから」


 イリアが冒険者時代の知識から該当する魔物を推測する。


「異常繁殖すると、辺りの魔物も草木も食い尽くすって言われてる」

「まあ、怖いですわね」


 本心とは思えないが、そんなことを言ってイリアの胸に後ろ頭を埋めるマルセナ。


「この辺の草木が無事だから、異常繁殖してるわけじゃなさそうだけど」


 イリアは周囲を見回して、首を横に振った。


「針木、か。虫系統の魔物避けだったのかも」


 マルセナほどではないが、イリアも才能のある冒険者だった。

 若い頃から十年近く一線で活躍してきたイリアには、それなりの知識もある。



 東の大断崖アウロワルリス。

 その南から見上げる大断崖は、遥か高かった。


「……飛ぼうと思えば飛べそうだけど」

「寒そうですわね」


 北の断崖は切り立っていて、頂上はかなり高い。

 当然寒いだろう。

 マルセナが寒いというのであればイリアは喜んでその身を包むけれど。


「どちらにしても、ディニが行きたがらないですわ」

「みたいだね」


 ガーサの注意を受けるまでもなく、純白の翔翼馬ディニは断崖に近付きたがらなかった。

 海蟻の幼虫以外にも危険な魔物はいるのかもしれない。


 寒さなどの問題もあるのか。この辺りの気候に慣れている翔翼馬にとっては、高山のような場所は好まないということも考えられる。


「少人数に乗り込んでも意味があるわけでもないですから。とりあえず彼女らについてはここまで、ですわね」



 生き残ったガーサなどの話から、ここで戦っていた不審な集団というのが、逃げ出した影陋族だというのはわかっていた。

 マルセナは追う必要はないと言ったが、イリアは彼女らがマルセナに無礼を働いたことを許すつもりはない。

 もしこの辺りにいるのなら、今度こそ息の根を止めようと思ってきたのだが。


「……どこへ消えたのやら」

「イリア。あんなの別にどうでもいいじゃありませんの」


 それよりも、とマルセナが後ろ手でイリアのへそ周りを撫でる。


「……うぅ」


 くすぐるように、誘うように。


「お腹が空きましたわ」


 そういう触り方ではなかったのに。



「イリアも、飢えた目をしていらっしゃいますし」

「……うん」


 マルセナが要望することであれば、もちろんその通りにする。

 たとえこの場でイリアをひどく凌辱したいと言われても従おうと。

 優しくしてもらうのが一番嬉しいのだけれど、マルセナに望まれるのならイリアはそれで幸せなのだから。




「何か……魔物、ですわ?」


 再び上を見上げるマルセナ。

 断崖の上の方で、鳥の魔物が騒いでいるようだ。

 遠くて、イリアの目でもよく見えない。

 海水のせいか湿度が高く、全体的に霞がかっているせいもある。



「彼女らが登っているのを襲っているのかも」

「まさか」


 上の方はよくわからないが、正面に見える崖はほとんど垂直に切り立っている。

 これをよじ登っていくなど、まともな思考ではない。


「あの連中のうち、何匹かは出来るかもしれないけど」

「冗談ですわ。あの様子で、非力な者を置き去りにするようなこともしないでしょうし。それにあれから十日以上過ぎていますもの」


 もし少人数だけで、北側までなんとか辿り着き崖を登ったのだとしたら、あんな場所にいるはずもない。

 そもそも、この崖を渡ろうとしたところで魔物――海蟻の幼虫に食われるだろう。

 海では針木の松明も使えない。



「海を凍らせて渡ったり……いや、さすがに無理ね」

「そんなことが出来る力があれば逃げ回ることもなさそうですわ」


 イリアの言葉を受けて、マルセナがくすっと笑った。


「わたくしより強い魔法使いがいれば、出来るかもしれませんけれど」

「マルセナの上なんていない。マルセナは世界最高なんだから」

「イリアったらもう」


 ふっと空気が緩んだ瞬間だった。

 一瞬の煌めき。霞の中から白銀の――


「っ!」


 風を斬る音に、イリアが咄嗟に手綱を引く。


「きゃっ」

「ごめ」


 急旋回に振られたマルセナがイリアの胸に後ろ頭を押し付けた。



「……っ」


 躱したのは、剣だった。

 華美ではないが見事な一振りが、大地に突き刺さっている。

 何か落ちてきそうだと話してはいたが、まさか。



(マルセナを狙って?)


 その可能性に、はっとイリアは上空を睨んだ。



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