第一幕 102話 大広間_1



 屍食鼠しばみねずみ

 名前はひどく忌まわしいが、食物連鎖の中では重要な生き物になる。


 死肉を始めとして他の生物の排泄物でも何でも食べて、それを土に還す役割を担っていた。

 食べるのは死肉だけではない。生きている肉でももちろん食料とする。


 屍食鼠は、一匹ずつではそれほど恐れるほどの力はない。

 大きさは膝より少し高い程度で、主な攻撃手段となる牙は口元にしかないのでリーチが短い。

 動きはすばしっこいが、捉えきれないほどの速さではなく、冷静に対応すれば駆け出しの戦士でも十分に倒せる。

 森を移動している際に、トワやニーレが倒していたのもこれの近縁種だった。


 その数が、広間の地面を埋め尽くすような大波となって押し寄せてくるのでなければ、恐れることでもなかったのだが。




「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」


 セサーカの判断は適切で、またその魔法の効果を十全に発揮していた。

 かなり広範囲に渡って、洞窟の固い地面に凍てつく冷気が走る。

 押し寄せる鼠の波が、目に見えてその速度を落とした。



「はっ!」


 ニーレの放った矢が、猛然と進む屍食鼠を二匹まとめて射抜いた。

 続けて放つ矢も、同じように屍食鼠の命を奪う。

 死んだ仲間の死骸も餌となるようで、そこに群がる波がまた一時的にでもこちらに迫るまでの時間を延ばしてくれた。



「数が多い!」


 アヴィが地面を払うように剣を振り、迫ってくる大群の前線を衝撃で吹き飛ばした。

 押し戻される鼠の群れが、またそれを飲み込む波となって寄せてくる。

 最初のセサーカの魔法がなければ、今以上の勢いで襲い掛かってきたのかと思うと恐ろしい。



「はっ!」

「やああ!」


 アヴィのいない方向からも敵が襲ってくる。

 ミアデとエシュメノが前に立ち、駆けてくる屍食鼠に対応していた。

 二人の身体能力はかなり高く、左右の拳と短槍、あるいは鋭い蹴りで魔物を屠っていく。


 ミアデの右拳が屍食鼠を撃ち抜き、足元に迫る群れを廻し蹴りでまとめて蹴り飛ばした。

 その蹴りの回転のまま、裏拳で飛びかかってきた屍食鼠を振り払った。


 エシュメノは、黒い短槍で一気に数匹を串刺しにしたかと思えば、短槍の形態変化で刺さった魔物の重みから瞬時に解放される。

 そして、右手の深紫の捻じれた短槍を伸ばし、激しく回転しながら魔物の群れに突っ込んだ。

 凶悪な旋風のようなエシュメノに、巻き込まれた魔物がずたずたに引き裂かれて散っていく。



 それでも波から溢れ零れてくる屍食鼠。


「ええいっ!」

「KUEE」


 非戦闘員に向かうそれを、ラッケルタに跨るネネランが、ラッケルタの勢いと合わせて槍を振るって屍食鼠を薙ぎ払う。

 その下のラッケルタも、太い足や尻尾で魔物を蹴り飛ばし、ついでに目の前に浮いたそれに食らいついていた。


 案外とネネランもたくましい。洞窟の中でもエシュメノに置いて行かれないように魔物退治に積極的ではあったが。

 割と狙いが正確なのは、ネネランに言わせると『裁縫作業みたい』だと。



「私だって!」

 取りこぼした魔物はユウラとトワが対処していた。


「させませんよ」


 妊婦や幼児のところには行かせない。手斧と包丁で迫ってくる魔物を切り裂く。

 地面を埋め尽くすような屍食鼠の大群に肝を冷やしたが、仲間の成長もあり何とか持ちこたえることが可能だ。



「あ、ありました! 東に登る穴が!」

「先行してください! ユウラ、貴女も!」


 この広間も危険だが、先に何かないとも限らない。

 気配察知に長けたユウラに先を任せる必要がある。

 他にも誰か支援をつけたいところだが、こちらの状況もまだ予断を許さない。



「はっ!」


 ルゥナの持つブラスヘレブが、一息で三匹の屍食鼠を突き刺し、さらに続けてもう一匹を斬る。

 切れ味が鋭い。本来ならアヴィが持った方が良いだろうと思ったが、アヴィからルゥナが使うように言われた。

 ソーシャの命を奪った武器ということでエシュメノには申し訳ないが、英雄が手にしていただけあってかなりの逸品だ。




「いけない!」


 セサーカの焦った声が右手から。

 見れば、壁と床の間にある溝のような隙間を辿って迫る数十匹の屍食鼠の集団があった。


 この勢いでは、非戦闘員の方に被害が及ぶ。

 力の弱い魔物とはいえ、幼児などにとっては大きな脅威になるし、あの数で食いつかれたら冒険者などでも危うい。



「っ!」


 ルゥナのいる場所からは遠い。右手奥側だ。

 間に合わない。せめてもう一本魔術杖があれば。


「行かせません!」


 立ちはだかったのはネネランとラッケルタだった。

 しかし、ラッケルタの動きでは素早い屍食鼠を捉えることは出来ない。騎乗するネネランとて数十匹を防げるはずがない。

 


「GOAAAA」


 風が起こった。

 先ほど冷やしたセサーカの魔法と反して、急激な温度差が発生して気流が起こる。


「ひゃあ!」

 ネネランの悲鳴。


 ラッケルタの背に乗ったネネランが、ラッケルタの口から放たれた熱波の影響を受けて顔を伏せる。



「炎の――っ!」


 火炎ではない。かなりの熱量ではあるが、高温の温風だった。

 ラッケルタの口から放たれるそれは――


(高熱の魔法……)


 一部の魔物が使う、魔物独特の魔法だ。

 熱の強さなどを見れば、マルセナがよく使う劫炎の魔法に比べたら半分の半分にも満たない。


 だが屍食鼠相手になら十分に効果があった。

 水が沸騰するよりも高い熱の風を受けて、喉を焼かれたのかその場でひっくり返ってのたうち回る。



「ラッケルタ、えらい!」


 エシュメノの声が上がった。

 熱さで顔を背けていたネネランが、エシュメノの歓喜の声に反応してやる気を出したのか、まだ息のある魔物に槍を突きさしていく。


 あちらはなんとかなった。

 まだ動いている屍食鼠の数もかなり減っている。




「ズオォォォ! ジィアァァァァ!」


 まだ解決していない。


 地響きのような声。

 これに追われて、この屍食鼠どもは狂乱していたのだ。

 おそらくこれこそが、この大広間に長居してはいけない理由。



「ニーレ! ユウラと共に先に進んでください!」


 弱い弓ではこれの対処は出来そうにない。ニーレには別の役割を指示して、広間の奥から這い寄る何かの気配に備える。

 まだ残る屍食鼠を片付けながら、その正体を見極めるべく闇の中に目を凝らした。



「……顎喪蟲がくそうちゅう


 大広間の奥から這いずるそれは、筒状の体に円形の口を持つ蟲の魔物。

 円形の口唇にびっしりと、短い棘のような牙が生えていて、獲物を飲み込みながら磨り潰すように咀嚼する。


「お、大きすぎ……ない?」


 ミアデの声が上擦るのもわかる。

 思い出したように、脇を通る屍食鼠にその丸い口が叩きつけられた。


(速い)


 アヴィの剣速に近い速さで、体をうねらせて数匹の屍食鼠を口に収める。

 そのまま、ぐちゃりと噛み潰しながらこちらに迫る速度も、その巨体でわかりにくいがかなりの速さだ。



 大きい。

 ルゥナの知っている顎喪蟲という魔物は、ルゥナの二倍程度までの体長だった。

 だが、ここに存在するそれは、その口の直径がルゥナの二倍くらいありそうだ。


 体長――体の長さなら、その五倍以上。

 円柱状の巨大な魔物だった。



顎喪巨蟲がくそうきょちゅう……とでも言うのでしょうか」


 皆が進んでいった道を確認して、思い通りにならないことについ表情が歪む。

 広い。

 思ったよりも通路が広い。

 ソーシャが通れるくらいなのだから狭くはないと思ったが、広すぎる。


(この魔物も、あの通路を通れてしまう)


 アヴィやルゥナが走れば逃げ切れるかもしれない。

 ソーシャも当然、これに追い付かれない速度で走れただろう。

 しかし、先行している清廊族の非戦闘員は違う。妊婦も赤子も幼児もいる。



「通路では対応できません。ここで……」


 倒すしかない。倒せないまでも足止めするか何か。

 その顎を見て理解した。


「岩を穿った穴は、この顎で砕いた穴です。絶対に捕まらないように」


 穴の大きさにもおおよそ合っている。


 この大広間だけでなく、反対岸にも、おそらく地中を掘り進んで移動することが出来るのだろう。

 巨大で、素早い動きが可能で、岩盤を噛み砕く顎を持った蚯蚓ミミズ

 その外皮も、鱗や甲殻のように硬質なものを重ね合わせたように見えた。




「ゾォォォジャアァァァ」


 見えている……のだろうか。

 視覚ではない何かで周囲を捉えている。

 それが向かうのは、エシュメノのいる方向。



「まさか……喋っているの?」



  ※   ※   ※ 

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