第一幕 98話 届かぬ言葉_2



「ねえ、マルセナ……マルセナ、お願い」

「見ていなさい。そう命じたでしょう」


 マルセナの下で、荒い息で呻いているのはイリアではない。

 トゴールトを救ったと、今町で噂の女天翔騎士。

 黒翔くろがけのクロエと呼ばれるようになる女だ。



「だって、マルセナ……」

「彼女に、きちんと立場をわからせてあげているのですわ。これから、色々と必要ですもの」


 マルセナの持つ乗馬鞭が、びしりと音を立てた。


「ひぅっ……?」


 打ってはいない。音を鳴らしただけだ。

 条件反射で身を縮めたクロエに、マルセナは肩を竦めた。



「わたくしも、別に好きで鞭打つわけではありませんの」


 言いながら、クロエの背中に浮かぶ赤い痕に指を這わせた。


「い、あ……」

「隠し事はなしにしましょうと、わかっていただきたくて」


 背中の傷に手を這わせながら、クロエの体に覆いかぶさるように首の後ろから囁く。



「ねえ、クロエ。わたくしの言いたいことがわかります?」

「は、はい……はい、すみません」

「謝ることはありませんわ。わたくしも、出来れば手荒なことは好きではないものですから」


 逆らったら殺す。逃げたら殺す。

 そう言われてただ鞭打たれるクロエをイリアは見ていた。


 見てなさいと命じられたので、そうするしかなくて。



「マルセナ、私……」

「イリア……わたくし今、この子を罰しているのですけれど」


 なおも口を挟むイリアに、呆れた顔で応じるマルセナ。


「貴女が欲しがったら罰ではなくなってしまいますわ」


 マルセナからもらえるものなら、鞭でも何でも欲しい。

 構ってほしい。

 イリアがそういう表情で見ているのを、マルセナは困り顔で、クロエは涙目で見ていた。


 無事だった建物の客人用の寝室で、一度休息をということだったのだが。




 南門で兵士を嬲っていたガヌーザを、クロエに拾い上げさせた。


 西門の魔物というのはガヌーザが拾ったプリシラという娘だったが、こちらは適当に暴れた後に逃げて町の近くに潜んでいる。

 町で噂された西門の魔物はそれだとして、南門の魔物というのは……ガヌーザのことだったか。


 ガヌーザを拾わせたのは、戦っていた町の者に、黒い翔翼馬に騎乗するクロエがこの呪術師をどうにかしたと見せる為に。


 そのまま領主の屋敷に戻り、治癒の魔法薬で傷を癒して逃げようとしていたピュロケス達を再度捕えた。

 そして、呪いを刻んだ。



 黒い呪枷と同様だが、その首の後ろに直接刻む。

 マルセナの血を使い、ガヌーザの呪術でそれを黒い墨のように変えて、隷従の印を刻み付けた。


 そういう手法があることをイリアは知らなかったが、呪術師とすれば珍しい技ではないのだという。

 むしろこれが本来の形だと。


 呪術師がその場に居合わせなくとも使えるようにしたのが、黒い呪枷なのだと言う。

 イリアの首に巻かれているこれにも、主人となるマルセナの体液が混じっているのだとか。


 呪術師本人は、自分の血で隷従の呪いを他人に刻むことは出来ないらしい。理由まではよくわからない。

 ガヌーザの言葉はぽつりぽつりとしていて、イリアにはその程度しか理解できなかった。


 

 町の有力者たちをマルセナに隷属させる。

 黒い呪枷が目につくわけにはいかないから、直接首の後ろに刻んだのだと。

 彼らに、町の混乱を収めるように命じた。マルセナに一切の不利益がないよう制限をつけて。


 町を襲った者は全て片付けた。

 ピュロケスの息子ニカノルは殉死。最大の功労者は黒翔騎士クロエである。


 そう喧伝しながら、この町の守備隊の責任者になるパシレオス将軍にもそう伝令を送った。

 後の処理を彼らに任せて、マルセナは休息を取るということにしたのだが。




「貴女にはこの町をまとめる役割をしていただくわけですから、大事でしょう? 信頼というのは」


 マルセナはクロエを剥いて、その身に刻んだ。

 呪いではなく、親愛を。

 イリアにはそう見える。

 泣く必要などない。イリアなら喜んでそれを受け止めるのに。


「う、うぅ……」

「よく考えてみたら、別に町を支配したいわけではありませんの。都合よく使えればそれでいいものですから」


 だから飾り付ける。

 クロエという代役を、このトゴールトに用意する。

 無論、マルセナに従うよう躾は必要だろう。



「汚れましたわ」


 マルセナの指が顔の前に差し出されると、クロエはおずおずとそれを口にした。

 厩舎でイリアがそうしていたのを覚えていたからなのか、それとも条件反射か。

 この娘にも呪枷を刻めばいいと思うのだが。


(何か理由が……それとも、反抗的だったこの女を折りたいだけなの?)


 マルセナは楽しそうだ。

 それは何よりなのだけれど、イリアの目の前で他の女に触れる姿は見ていたくない。


(この女を気に入った、とか……)


 考えると、涙目でマルセナの指を舐める姿に強い憎悪を覚える。

 


「マル――」

「イリア、わたくし思ったのですけれど」


 唐突にマルセナがイリアに向けて首を傾げた。


「貴女も、わたくしに隠し事があるのでは?」

 急に何を言い出すのだろうか。



「隠し事なんて……私は、何も……」

「ああ、こう言えばよいのですわ」


 立ち上がり、クロエから離れてイリアの前で微笑む。


「包み隠さず、全て話しなさい」

「あ……」



 イリアの意思が、マルセナの言葉に上書きされた。

 先ほどクロエに清めさせていたその指で、イリアの唇をなぞる。


「……あの時、わたくしに呪枷をつけようとした。そうですわね?」

「うぁ……はい」

「それで、どうしようと思っていたのです?」


 言ったはずだ。あの時、イリアの本心を。


「すぐに外して……マルセナに私の気持ちを、わかってもらいたくて……」

「あの時もそんなことを……」


 マルセナの瞳がわずかに揺れる。

 今のイリアは命令を受けている。逆らえない。



(これは……ああ、なんて素晴らしい)



 信じてもらえる。

 もう一度、イリアの気持ちを伝えることができる。今度は嘘ではないという確証も伴って。


「本気で、言っていらっしゃったの?」

「うん……マルセナ、私は本当に、貴女を……」

「……信じられませんわ」


 それでも真実だ。

 今、自分で命じた言葉はわかっているはず。

 包み隠さず話せと。


「嘘を言うのは許しません。イリア」

「嘘じゃない。本当なのマルセナ、聞いて」

「嘘です!」


 びしりと、マルセナが別の手に持っていた鞭がイリアの腿を打った。


「っ」


 鋭い痛みが走る。

 けれど、今は最後のチャンスかもしれない。マルセナに本当の気持ちをきちんと伝えられる。



「本当に、すぐに外すつもりだった。私はマルセナのことを心から愛しているの」

「そう思い込んでいるだけではありませんの?」

「違う! 本気で……」


 マルセナは、どうしてかは知らないが、人の好意やそういった気持ちを信じることが出来ないようだ。

 常に他人を疑い、そこに隠された悪意を見出そうとしている。


 確かにそういう人間は多いし、誰もが何かしら利己的な気持ちを抱いて生きているだろう。

 けれど、イリアのマルセナに対する気持ちはそうではない。



「本当に貴女を愛して――」

「では、ほんの少しでもわたくしを呪枷で縛りつけようという気持ちがなかったと言えますか?」


「――っ!」


 言葉が詰まった。



「わたくしを隷属させ、その情欲を存分に果たそうと思わなかったとでも?」

「あ……あ、ぁ……」


 それは……それは、少しも、思わなかったのかと問われれば。


「答えなさい、イリア」

「か……かんがえ、まし、た……」



 あの時、脳裏を過った気持ちの中に、なかったのかと聞かれれば、あった。

 すぐに否定したけれど、少しも考えなかったのかと問われれば、間違いなく考えたのだ。あの時イリアは。


 マルセナは、何か安堵したように息を吐いてから、優しく微笑んだ。


「ほら、ごらんなさい」

 安心したというようにイリアの頬を撫でる。



「あ、あ……違う、マルセナ。違うの。それは考えたけど、すぐに……」

「黙りなさい!」


 言葉を遮られた。

 命じられれば、イリアはマルセナに逆らえないのだから。


「……」

「……イリア、もうこの話は言わなくていいですわ」

「……」

「聞いたわたくしがどうかしていました」


 そう言って、マルセナはイリアに口づけをする。


 ごめんなさいと聞こえたような気がした。



「……」

「もう喋っても構いません」

「あ、マル――ん、むぁ……」


 そう言っておきながら、再び口づけを。

 イリアの唇はマルセナで満たされて、小さな体を優しく抱きしめる。


(違う、違うの……聞いてほしい、マルセナ……)


 命じてほしい。

 もう一度、全てを包み隠さずに話せと。

 イリアの気持ちの全てを知ってほしい。それが出来るのだから。


「……イリア」


 けれど、その話をすることはもう終わりとされてしまって。

 イリアはただ優しくマルセナを抱きしめるだけ。

 言葉には出来なくても、本当に心から貴女を愛しているのだと伝えられるかもしれない。


「人の言葉なんて、信じられませんもの……」



 せめてこの温もりだけは、誤魔化さずに伝えられないかと。 

「それでも、貴女を愛してる……」



「それは嬉しいですわね」


 マルセナの体はイリアの腕の中なのに、寂しげな声はとても遠くに感じられた。



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