第一幕 90話 トゴールトの華_2
町の中心街で起きた爆発。
それが連続して、冒険者ギルドも爆破され炎上して。
パニックの中、イリアとマルセナは特に何も疑われることもなく領主の館の前まで来た。
ここが領主の館だと知っていたわけではないが、町の中心で一番大きな建物だったし、慌てた様子の兵士が出入りしている。
ここまで来る途中、マルセナは思い出したように劫炎の魔法をあちこちに振り撒き、それを見咎めた人間はイリアが仕留めた。
魔術杖のついでに入手した二振りの短剣の使い心地を確かめて頷く。
予備として、背中にもう二本差している。高級な武具だが、代金の心配がないのだから遠慮する必要はない。
混乱の町の中を、女二人が平然と歩いていたとして、それが爆破の犯人だとは現場を見ていない人間にはわかるはずがなかった。
「うん……どうも、違いますわね」
領主の館の前まで来て、マルセナが魔術杖を見てそう呟く。
兵士などが慌ただしく町へ駆けて行くのを見送った。
「魔物だ! 西門と南門から!」
報告なのかもしれないが、そんな風に叫びながら走り回っては町の混乱を深めるだけだろう。
慌てて走り去っていく兵士たち。
爆炎についても、魔物の仕業と思い込んでしまったのか。
この非常時に領主の館の警護が誰もいない。屋内にはいるのかもしれないが、周囲には誰もいなくなってしまった。
「これが、あいつの……」
「役に立つ男ですわね」
ガヌーザの仕業であることは明白だ。
町で爆発が起きたら手下を送り込むと。
赤い呪枷を嵌めた小娘を見ながら言っていたので、これも何らかの呪術なのだろう。
「マルセナ、それ合わなかった?」
いまだ何か引っ掛かりを覚えるように、新しい魔術杖を眺めるマルセナに訊ねる。
「ううん、そうではなくて」
イリアの質問にもう一度杖を見つめてから、振り上げた。
「
マルセナが振るった杖の先から、紅蓮の炎の渦が巨大な蛇のような姿で立ち上がった。
「な……」
そのまま、大きすぎる炎の鞭のように伸びて、領主の屋敷に叩きつけられる。
小さくはない領主の館の四分の一ほどが消し炭になった。
叩き潰され、黒炭となり。
残った建物の端も、風でがさりと崩れる。
「……こういう感じ、ですか」
「い、今の……」
イリアは初めて見る。
肉体強化をした時に使った猛烈な閃光の魔法までではないが、先ほどまで使っていた魔法の倍の威力はあったように思う。
それに指向性がある。無差別に周囲に爆炎を散らすのではなく、巨大な炎の奔流を指定した方向へと。
「わたくしも
上手に出来たでしょうと、無邪気な笑顔を浮かべた。
「杖を見ていたら、何となく……かつて太陽から放たれた炎の蛇が、地上の悪しき者どもを薙ぎ払ったとかいうお話を思い出しまして」
「……そういう、ものなの?」
「時折、あるそうですわ。不意に使ったことのない魔法の一節が浮かぶことが」
そう言われればイリアも聞いたことがある。魔法の詠唱は物語であり、世界に染みついた言い伝えなどを形としている。
今広く使われている魔法の詠唱は、過去に偉大な魔法使いが諳んじた一節が始まりだったのだとか。
力のある魔法使いは、時にそうした新しい魔法をどこからか紡ぎ出すのだとか。
(そう。マルセナなら出来て当然)
天才魔法使い。現在、人類でおそらく最も偉大な魔法使いであるマルセナなら。
「この杖、わたくしと相性が良いみたいですわ」
「マルセナが、すごいの。とても偉大な……」
私の愛しい人。
「あらあら、そんな物欲しそうな顔をなさらないで」
手を伸ばしかけたイリアに、するりとマルセナが入り込み、首のスカーフを外した。
露わになる黒い呪枷。
「……」
思わず隠すイリア。手で覆って隠せるものでもないし、今は周囲に誰もいないけれど。
「恥ずかしい、かしら?」
「……マルセナのものだって証になるなら、恥ずかしくない」
「どこまで本気なのか、わかりませんわね」
苦笑交じりに、イリアの首筋をマルセナの指先が撫でていく。
「あ、ぅ……マルセナ……」
「本当に、さかりのついたけだもの、ですわね」
「……ごめんなさい」
マルセナに触れられるだけで、イリアは嬉しくなってしまう。
こんな時にでも。
「貴様ら! ここで何をしている!?」
さすがに見咎められた。
甘いひと時はお終い。歯向かう者を処理するのが先決だ。
「あら、まあ」
マルセナの口から上ったのは、感嘆の響き。
イリアもまた、声の聞こえた方を見て驚いた。
上空からこちらを見下ろす男は、気性が荒いと言われる翔翼馬に騎乗してその羽ばたきで滞空している。
「何を、とおっしゃられても……何と言いましょうか」
「ピュロケス様のお屋敷に、こんな……痴れ者が!」
そう言って、槍を手に猛然と空を滑り落ちてきた。
見ていたのなら、問答する前に攻撃してくるべきだったとイリアは思う。
不意を打てばこちらの対応も遅れ、手傷を負わすこともうまくやれば仕留めることも出来ただろう。
その兵士が、兵士ではなく冒険者だったのなら、そうしたはず。
兵士は原則として命令に従って行動する。
冒険者は、他人の命令ではなく自分の直感で判断することがほとんどだ。
町を襲う非常事態。不測の事態に混乱していたこともあるだろう。
それにしても鋭い突撃だった。中々の戦士。マルセナを抱いて躱す。
「ちっ!」
数歩、地面を蹴ってまた駆け上がる翔翼馬の兵士。
それを見送ることもなく、イリアは再度マルセナを抱きしめたまま踊る。
「くそっ」
別の一体がいた。
さすがに彼らも馬鹿ではないらしい。
片方が引き付けて、別の者が続けて襲う。
空中に注意を払うということは普段はさほどしないし、それが背後からとなれば視界に収まらない。
だが、羽ばたきの音は二つあった。
完全に揃っていれば紛れたかもしれないが、イリアは一流の冒険者であり、鋭敏な感覚を有している。
「ふふっ、お姫様の気分ですわね」
抱かれて踊るマルセナの感想は間違いではない。マルセナはこの世界で最上の令嬢なのだから。
「トゴールトに魔物を使う部隊がいるとは聞いていましたが、これはまた」
喋っている間にも、他から駆け付けてくる兵士もいる。
普通に武装しただけの者もいるし、何かしら魔物を連れている者もいた。
門の方で起きた魔物騒ぎに向かった者も多いのだろう。数はそれほど多くはいないが。
「可愛い女の子でないのなら、殺して構いませんわよね」
「ふざけた奴らめ! ひっ捕らえろ!」
集まってきた中では上席になるらしい男の指示だったが、それはどうなのだろうか。
数で勝るから、殺さないで捕らえられると思ったのか。
あるいはマルセナの可憐さに情欲を滾らせ、殺すのが惜しいと思ったのか。
「では、皆殺しということで」
「わかったわ」
勇者シフィークと共に戦ってきた日々は、今はあまり面白い過去だとは言えない。
だけど、常人の域を超越した彼の戦いを見て、その戦いに参加してきた経験は生きている。
常識と言う
「呪枷、ね」
連れている魔物には、イリアと同じ色の呪枷が巻かれている。
特に境遇を重ねることはない。この魔物どもは否応なく人間に従わされているだけだ。
「……信頼もなく奴隷を使うのが危険だって、教えてあげる」
主が死ねば、その魔物どもがどうなるのか。
彼らは本当にそのリスクを承知で使っていたのだろうか。
その首に巻かれている黒い呪枷は、同じように見えても、やはりイリアの首にある特別なそれとは意味が違う。
無感情な瞳で襲ってくる魔物を見ながら、自分とマルセナの間に確かな絆を感じられたような気がした。
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