第一幕 78話 東の果て_1



「どうしたの?」


 寝台の反対側から問いかけがあった。

 背中を向けて東を見ていた私に。


「どうかした、ティア?」

「……なにか、呼ばれたような気がして」



 背中側に光を感じる。

 比喩的な話ではなくて。いくら後ろから声をかけるのが清廊族の希望だと言っても、輝きを放つわけではない。ああ、彼女は絶防だった。


 夕刻だ。

 夜を通して戦い、昼に寝所に入った。目を覚ましたら夕方だったというだけのこと。

 閉ざした窓の隙間から西日が差し込んできている。



「また勘なの?」

「いけなかったかしら?」

「よくないね。ティアの勘はよく当たるもん」


 そんなことを言いながら、後ろから私の体に手を回した。


「ボクが不安になるじゃないか」

「だからって私の体をまさぐるのはやめなさい」

「不安にさせるティアが悪いんだ」


 適当なことを囁くついでに、首元を強く吸い上げて痕をつけようとする。


「いや、ボクを夢中にさせてるこの体がいけないのかも」

「オルガーラ、私はこういうの恥ずかしいのですが」


 いいじゃん、とやめようとしない彼女に、だめだと身を捩った。

 戦いの時に敵の視線が気になるのだ。

 接吻痕なんかつけていると。


 もっとも、それに目を奪われた敵は即座に命を落としているのだから気にする必要はないかもしれない。



「もう……昨日もあれだけしたのに、元気なんだから」

「ええ、昨日は出来なかったじゃないか」

「あれだけ戦ったでしょう」


 人間どもは懲りないというのか、飽きないというのか。

 どれだけ撃退しても、また攻めてくる。


 ある程度の数を減らすとしばらくは止まるが、気が付けばまた増えて、また侵攻してくる。

 こちらから打って出たいという気持ちもあるけれど、この少数では無理だ。

 敵の有象無象だけならどうにか出来ても、疲弊したところに厄介な強者が出てきたら……



「あのクソ爺もいなかったし、変態女もいなかったからさ。夜通しだとさすがに眠いけど」

「爺って言っても、多分あなたより年下よ。あれは」


 清廊族と人間とは寿命が違う。

 オルガーラは若く美しい。彼女がクソ爺と呼ぶ人間の将は、そういえば初めて戦ってから二十年を過ぎていた。


「知らないよ、人間の年齢なんて」


 うそぶいてまた私の胸に手を這わせようとするオルガーラに、ぺしりと叩いて応じる。


「知っておきなさい。私たちの少ない利点なのだから」


 敵は老いる。

 あの強者が老いて力を失ってくれるのなら、残る強敵は変態女の方だ。


 だが、人間の中からはまた新たな強者が現れるのだろう。

 こちらは、次世代の氷乙女の噂など聞かないのに。


 それどころか、まともに戦える清廊族の戦士が減った。この二十年の間にも。

 私とオルガーラのどちらかが欠ければ、北西部の清廊族も人間に支配されることになってしまうだろう。



「あの男も、自分の老いを感じたら……妥協して、あの女と共闘するかもしれないわ」


 人間の中の突出した実力者二人。

 彼らが英雄と呼ぶ戦力だが、今までそれが手を組んで戦いに臨んだことはない。

 私の言葉を、オルガーラが鼻で笑った。


「ないよ、ないない。あの爺が弱ったから力貸してくれなんて言ったら、あの変態女は喜んで爺を殺すって」

「……そうね」


 強大な力を有した二人だが、いくつか問題がある。

 自分勝手で、傲慢で、横暴。全部似たような性質だが、それを掛け合わせて。

 協調性がなく、気分屋で、お互いをひどく嫌いあっている。

 時にはあちら同士で戦っていてくれるので、清廊族としてはそれが救いだった。



「だぁからさ、ティア」


 めげずに、私の体に密着してくるオルガーラ。

 引き締まった彼女の体は嫌いではない。

 小さな胸も、こちらが構うととても可愛い反応をするところが好きだ。

 お願いやめてと涙目で哀願してくるのを愉しむのも悪くない。


「ボクとしては、氷乙女同士が密接な関係でいることが大切だと思うんだよ。ね、ティア」

「……」

「ごめん、もう我慢できないや」

「最初からそう言いなさい」


 抱きしめて、胸の中でオルガーラの息遣いを感じる。ちょっと息が荒い。興奮しすぎ。


 別に嫌っているわけではない。好いている。

 戦友だからだとか、清廊族の為にとかそういうことではなく、オルガーラのことが好きだ。

 他に対等な関係を結べる相手もいなかったが、そういう事情を抜きにしてもオルガーラに好意を寄せている。



 若々しく凛々しい顔立ちだから。

 顔かと言われればそうだけれど、その顔立ちは好きだ。

 清廊族としては異質というか、真逆なその顔立ち。


 燃えるような紅の髪に、澄んだ黒い瞳。氷乙女ひのおとめという呼称より、火乙女ひのおとめと呼ぶ方が似合うかもしれない。


 鮮烈な美貌。絶防のオルガーラ。

 両親のどちらにも似ていない彼女は、出生の時から異質さを見出され、ほどなく氷乙女と認められたという。



「……んで、何だったの?」

「何が?」

「悪い予感」


 へその辺りで喋られるとくすぐったい。


 何を聞いているのだろうかと考えて、先ほどの東側を眺めていたことだと思い出す。



「ああ、違うわ」

「?」

「悪い予感とか、そうではなくて……」


 もう一度、東側を見た。

 室内だから壁しか見えないのだけれど。


「……なんだか、不思議な感じだったの。こう、胸が高鳴るっていうのかしら」

「本当に?」


 オルガーラと違って、私の胸には柔らかな弾力がある。

 私の胸に耳を当てにやにやとしているオルガーラに、ぽかりと拳を当てた。


「ばか」

「えへへ」


 清廊族の守護者として最前線に立つ氷乙女。

 そんな風に呼ばれるオルガーラとティアッテの安らぎのひと時だった。



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