第一幕 77話 女神の子_3



「白い呪枷だと何か違うのでしょうか?」


「ひ、ひゃ……は、ずすこと、は……かんが、えて、おらぬ……」


 呪術師が声を発した。

 枯れ木をこするような耳障りな声を。



「れいじゅう、の、のろい……いろなし、は、べつ、もの……」

「やはり違うのですのね」


 不気味な男で、不愉快な男だ。

 だが、マルセナの疑念に答えるつもりはあるらしい。

 イリアも気になる。


(何か、外す方法が……)


「はずす、となら、ば……女神の力、なり」

「他には?」

「さて……さて……あるじ、死せば……」


 主人が死ねば、外すことも出来ると。


「ちか、ら……ある、ものなれ、ば、のみ……」

「自らは外せないのですね。それは白も黒も同じことですの?」


 ごく普通に会話をしているマルセナが、イリアには信じられない。

 よくこんな気味の悪いものと話が出来るものだ。



「いろなし、は……あれ、ことなり……れいじゅうは、みに、きざむもの、なれば……」

「よくわかりませんわね」

「呪術の、たぐい、ゆえ」

「そうですわね。少し妙に思いますが……」


 白と黒の違いは、主以外の命令も聞くか聞かないか。だけではないのだろうか。



 シフィークは生きていた。

 なのにルゥナの首輪は外されている。

 今の呪術師の説明ではよくわからないが、白は主が生きていても外せる?


(そんなわけはない、と思うけど)


 それでは黒い呪枷の方がマシな気がする。

 でなければ、今ほど呪術師が口にしたように、女神の力に相当する何かが外したということなのか。



「濁塑滔……なるほど」


 ぽつりと、マルセナがイリアの知らない言葉を呟いた。

 それから自分の額に手を当てて、何かを考える。


「……あらゆる力を、飲み込む。でしたわね」


 そこに飲み込まれたあのラザムの魔石のことだろうか。


(そうか、ラザムの力……)


 先ほどイリアが組み伏せられた時のマルセナの力は、どう考えても魔法使いの腕力ではなかった。

 そもそもあの黒涎山の洞窟を出てからというもの、いくらマルセナが上位の冒険者だとは言っても腑に落ちないことが多い。


 魔物の体組織が、マルセナの体に何かしらの変化をもたらした。


(濁塑滔? それが……)


 何なのかイリアは知らないが、マルセナの力になっている。



「マルセナ……」

「イリア、貴女とのお話はもう終わりです」

「っ……」


 言葉を失う。

 精神的にではなく、強制的な力によって。

 声が出せない。


「面白い、ですわね。こういう形で……」


 言いながら気分が高揚してきたのか、マルセナが髪を梳いて嗤う。


「魔物の力……ふふ、悪くないかもしれません」

「ひゃ、ひゃ……ぬし、くるうて、おる、な」

「どうでしょうか。狂っているのは他の者どもかもしれませんわよ」

「ひゃ! しか、り」

 

 まるで見た目の違う二人が、同じように嗤った。

 美しさを体現したかのようなマルセナと、醜悪さを集めて煮詰めたような呪術師が。


「まだよくわからないことが多いですわね。ガヌーザ」

「ひ……はて、はて……」

「もっと話を聞かせてもらいますわ。力を貸しなさい」


 マルセナが命じる。

 気味の悪い呪術師ガヌーザに、まるでそうするのが当然であるかのように命ずる。


「ひゃひゃ、よい……よい、ぞ」

「そういえば、こんな場所に来ていたのは何か用事があったのではなくて?」


 今更に、そんな質問をする。



「しかり……しか、り。済んだ……それは、もう、なしたゆえ」


 呪術師の頭が、のそぉりと北に回る。

 北の、ニアミカルム山脈。その頂を見やって、また戻った。


「そうですの」


 山脈に向けて、何かをしたのだろうか。

 マルセナは興味がないのか、その内容までは聞かなかった。




「して、ぬし……我に、代価……なにとする、か」

「っ!」


 イリアが剣を向けた。

 言葉は制されたが、行動を縛られたわけではない。


 そして、マルセナへの敵対行動は許されなくても、そうでない者に対しては自由だ。

 むしろこれはマルセナを守る行動。



「おやめなさい、イリア」

「ぁ……」


 言われてしまえば、剣を下ろすしかない。

 イリアの意思がどうであれ、マルセナの言葉に逆らうことが出来ない。

 これが呪枷の力か。



「ふむ……ぬし、ほかは、持たぬゆえ……、か」


 これ。

 それは、イリア。

 マルセナは他に何も持っていないから、差し出すものはイリアかと。


「……」


 舌を噛み千切れるほどの強さで歯噛みする。

 だが、死ぬことは許されない。主人の許可がない。

 この悍ましい呪術師が、何を言うのか。何を言われても、イリアに逆らう術がない。


「われ、は、おもしろし。おも、しろから……ば、かまわぬ、ぞ」


 黒い霧のような息を吐き出して、嗤う。

 悍ましい。


「……」


 イリアの身が震えた。


(でも、マルセナが……マルセナに触れられるくらいなら)



「おやめなさい」


 声がかかった。

 その声に、イリアの目が見開かれて、信じられずに見つめる。


「……」


 言葉には出来ない。言葉を発して良いと許可されていない。

 マルセナは、イリアの視線を受けて嘆息した。


「……後払いにしますわ」

「ひ、ひゃ……おも、しろし」


 得体の知れない呪術師に対して、初対面のマルセナが後払いだと。

 そんな異常な話を面白がる。



「あとで……好きにして構いません。わたくしとイリア以外であれば」

「ひゃ、ひゃ……なん、と、なんと……」


 マルセナと、イリア。それ以外であれば。

 それはどういう……?


「他の人間なら、好きにして構いませんわ。この大陸の誰であろうと」

「ひゃ! お、おきく、でた……の」


 マルセナの言葉が、信じられない。

 イリアは瞬きも忘れてマルセナを見つめる。

 マルセナの視線が泳いだ。そんなに見るなと言うように。



「……トゴールト、でしたわね」


 泳いだ視線が東に向かった。

 そちらにあるはずの町の名前を呟く。


「そこからにしましょうか」

「ほう……ほう、それは、なん、と……」

「ガヌーザ、力を貸しなさい」

 

 再び命ずる。

 得体の知れない呪術師に。


「その町から始めましょう」

「ひゃっ……ほう、ほ! おもし、ろし」

「わたくしの町にしますわ」


 宣言する。


 マルセナが、何かの力を得たマルセナが、一個人の考えるようなことではないことを。

 イリアは逆らえない。

 マルセナがそうするというのなら、力を尽くすことしか出来ない。


 呪術師も、逆らわない。

 面白がって、マルセナの突拍子もない話に、自分の力を振るうことを厭う様子がない。



「ぬし……ぬし、名を、なんというた、か……」


 聞いていたはずだが、今の今まで記憶していなかったらしい。


「マルセナ、ですわ」


 気分を害した様子もなく、マルセナが名乗る。


 ――っ‼


 不気味な男が、一瞬震えたように見えた。

 そう見えたのはイリアだけではなかったようで、マルセナも少し首を傾ける。


「なん、と……なんと、おもしろし」


 何が面白いというのか。

 だが、この瞬間は呪術師も本当に心から震えたようで、感情らしいものを見せている。



「まさに……まさし、く、レセナの……女神の子マルセナ、か」


 ひゃ、ひゃ、と。

 堪え切れぬような嗤いが森に響いた。


 珍しい名前というわけでもない。

 偉大な女神の子と表す名前だ。ロッザロンドならありふれ過ぎて、今では名付ける者も少ないかもしれない。


 カナンラダでも、流行り廃りはあるにしても、いつの時代も近隣の村に一人や二人はいる名前だ。

 そんな名前を聞いて、枯れ木を擦るような声で高く嗤う。



「われ、ガヌーザ、なり……女神レセナよ。このめぐ、りに……かんしゃを」


 意外なことだが、この気味の悪い呪術師は心から女神を信奉しているらしい。

 そして、これもまた意外なことだが、マルセナを本当に女神の子のように受け止めたようでもある。



(マルセナは、私の……)


 見つめるイリアに、マルセナが小さく呟く。


「……イリア」


 少し優しさを感じさせる囁きで。


「……」


「もう、喋ってもいいですわ」


 そう言ってくれたけれど。

 イリアにはもう、マルセナにどんな言葉をかければいいのかわからなかった。


「……」


 言葉はない。

 黙って唇を噛み締めて、涙を流すだけだった。



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