第一幕 74話 雨の口づけ_3



 降り出した雨を避けて、木陰でルゥナの傷を癒す。

 傷の範囲は広いが深くはない。

 そうなるように受けたようなので、我慢をすれば歩けないこともなかっただろう。



「ルゥナ様……」

「……」


 トワにはわかっている。

 ルゥナが少し皆と距離を置きたかったのだと。アヴィと距離を置きたかったのだろうと。


(私だけと……)


 見ていればわかる。

 トワは常に目を光らせてルゥナの様子を見ているのだから、当然わかっている。

 エシュメノにアヴィを取られてしまって、ルゥナが寒がっていることくらい。


 本人に自覚があるかどうかは別として、隙間が空いている。

 そこに都合よくトワを置こうとしているのだ。無自覚かもしれないが。



(都合のいい女として……)


 ルゥナの足の傷を、舐めて癒す。

 その傷の範囲を超えても、気づいていない振りをして止めない。

 今日は。


(とても……とっても、身勝手で。ずるい)


 トワの心に火が灯る。



(なんて、可愛いんだろう)


 気づかれていないと思って、トワの慕う気持ちを利用しようとしているのだ。

 寂しさを埋めるために利用される。都合のいい存在として。


(幸せ)


 ルゥナにとって都合がいい場所に収まるのなら、他のことなどどうでもよかった。



「ルゥナ様」

「……終わりましたか?」


 とっくに傷の治療は終わっていたが、トワが楽しんでいただけだ。

 いや、だけではない。

 きっとルゥナも愉しんでいたのだから。一緒に。



「私とルゥナ様だけ、です」

「……そうですね」

「誰もいません」

「そう……ですね」


 顔を上げて、ルゥナの胸に顔を埋める。

 木に寄り掛かった姿勢のルゥナは逃げない。



「……無理をされないで下さいね」

「無理などしていません」

「我慢されなくていいんですよ」


 強がる彼女に囁く。


「私は、ルゥナ様のことだけが好きですから」

「……」

「だけどルゥナ様の迷惑にはなりません。アヴィ様のいる前では甘えません」


 都合のいい言葉を囁く。


 甘えているのは、トワなのか、ルゥナなのか。

 ルゥナの性格からして、自分が誰かに甘えることは許さないだろう。

 だから、甘えるのはトワという体裁で。


「トワ、頑張っていますよ」

「……ええ」

「ルゥナ様の言うことをちゃんと聞いています」

「わかっています」

「約束だったじゃないですか」


 責める。

 堅物のルゥナに、ルゥナ自身の言葉を盾にして責める。


「頑張ったら接吻キスして下さるって」

「……どうぞ」


 許された。

 誰も見ていない今だからだとしても、許された。


「約束、でしたから」


 過去の自分の言葉を盾にして、自分への甘えを許した。



「……ん」

「ふ、ぁ……」


 遠慮なくその唇を奪う。

 鼻と鼻が触れ合う。瞳を固く閉じているルゥナが可愛い。

 震えている。


「……これで」


 顔を離したトワに、開けた瞼の下の赤い瞳が揺れている。

 不安と、罪悪感で。

 その罪悪感はアヴィに対してなのだろうけれど。


「……ルゥナ様」



 ――違うんじゃないですか?・・・・・・・・・・・




 つい、冷たい声が出てしまった。



「っ……その、なんの……ことです?」


 不安に揺れる。

 今度はトワの瞳を見て、おそらくその中の狂気を見て。


(ああ、いけない。怖がらせてしまった)


 弱っているルゥナを責めるのも悪くはないが、今はそういう場合ではない。

 そういうのは、もっと安全な場所に行ってからだ。



「頑張ったご褒美……のはず、ですよね?」


 今はまだ、トワが甘える姿勢を崩してはいけない。

 この関係を維持した方が、きっともっと深くルゥナに入っていける。

 愛しい彼女の奥深くに這い回らせる。トワの指先を。


「え、ええ……そのつもり、ですが……」


 何かまずかっただろうかと、窺うような顔色で。

 トワの心情を思いやっている。

 それは優しさではなく怖れからなのかもしれないが、それでもトワの内面を探ろうとしている。


「だったら、逆です」


 先ほど味わったルゥナの唇に、人差し指を当てた。


「逆……?」

「ルゥナ様から、トワに、口づけをして下さるのが筋なのでは?」

「……」

「初めての時みたいに……ダメ、ですか?」


 わざと、弱々しく。



 すでに唇はいただいたが、それはそれ。

 いいよって言われて、つい勢いでキスしてしまった。

 でもそれでは順番が違う。


 だから、もう一度責める。攻める。

 今日のルゥナなら落とせる。きっと。



「ダメなら……」

「トワ……」


 それでも、一度引く。

 あくまで甘えているのはトワだと、そういう立場だと表向きは示してあげる。


「……もっと、頑張ります……けど……」

「トワ、その……」


 一歩引く。


 ルゥナから離れたトワに、ルゥナが言い淀んだ。

 立ち上がり背中を向けたトワに、ルゥナの気配が近づく。


 木陰から外れると、雨が直接かかってきた。

 いつの間にか雨粒が大きくなってきている。



「……そう、ですね。私が間違っていました」


 そう、それでいい。


「ルゥナ様……?」


 にやけそうになる頬をこらえきれないが、ちょうど良かった。

 振り返りながら、雨粒を拭うように手の甲で目元を押さえて誤魔化す。



「これからも……お願いしますね。トワ」


 まるでトワを気遣うような顔で、優しく語り掛けて。


「……はい、ルゥナ様の仰る通りに」


 ルゥナの指がトワの頬に触れて、雨で濡れた唇に暖かい気持ちが押し当てられる。

 義務ではなくて、少しばかりかもしれないけれど感情を込められた唇が。




(堕ちた)



 ただ一度の口づけだと、そう思っているかもしれない。

 誰も知らない二人だけの秘密で、自覚の薄い自らの寂しさを誤魔化す一時しのぎのことだと。


(ほんの少しの隙間ですが、入れましたよ)


 ルゥナの中の甘える心の隙間に作り上げる。トワの心の居場所を。

 最初は遠慮がちだったルゥナの口づけが、雨と共に激しさを増していくのを受け入れる。


(私だけには、甘えていいんですからね)


 その立場を確立しつつあるのを感じて、可愛く強がるルゥナの身勝手な口づけを楽しむのだった。



  ※   ※   ※ 

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