第一幕 16話 雌伏の記憶_2



「ルゥナ様は……」


 清廊族は奴隷として使役されている。

 奴隷というものは、物を知らない。大抵の場合で。


 だからルゥナが、少女たちに現状を確認させる為にこの大陸の歴史を説明していたのは、最低限必要な知識としてのことだった。


「なんです?」


 口籠ったセサーカにルゥナが促す。


「あ、いえ……なんでも、ありません」




(どうも、恐れられているようですが)


 態度が冷たいからだろうか。

 必要以上に親密になるつもりはないのだ。

 状況によっては、切り捨てなければならないかもしれないのだから。


(アヴィはそれを認めないかもしれませんが)


 だとしても、優先順位の一番はアヴィであり、他の者はアヴィの盾にしてもいい。

 その意識だけは変えない。



「ルゥナは、どうしてそんなに物知りなの?」


 質問は横からだった。

 村にあった布地に、大まかな大陸の地図を書いて説明するルゥナに、アヴィが不思議そうに質問する。


 同じ質問だったのか、ぱっとセサーカの表情も明るくなる。聞きたいのなら言えばいいのに。


「私の村イザットは、西部と北部の境にありましたから。生まれた時からずっと人間と争っていました」


 隠すことでもないので、ついでに話しておく。


「人間の戦い方を学び、取り入れました。捕えた人間から情報を聞き出したりもしていました。私は幼い頃からある程度の魔法が使えたので、大人と共に村を守る戦いをしていました」


 全て過去の話だが。


「村が滅ぼされて捕えられるまで、戦いに必要な知識は常に求めていました。だから……」


 そこで言葉が途切れる。

 目を伏せて、少しだけ唇を結んだ。



「……」

「ルゥナ」

「いえ、大丈夫です。だから、奴隷となってから冒険者に連れられている間もずっと、見ていました」


 戦いに敗れて村が滅ぼされてからも、ずっと見てきた。

 観察して、記憶してきた。


「人間の町を。人間どもの行動、考え方。人間同士の対立なども……いつか」

「……」

「いつか、また戦う日が来た時に、役立てるようにと……」


 諦めていなかった。

 奴隷の首輪を嵌められ、尊厳を踏み躙られる日々の中でも。


 見聞きすることは禁止されていなかったのだから。

 命令には逆らえなかったが、その屈辱の時間の中で刻み付けた記憶もある。


「いつか、人間どもを……この大陸から消し去る日が来ると、信じて」

「……わかったわ」


 そっと、アヴィが頭を撫でてくれた。

 人目がある所で優しくしてくれるのは珍しい。初めてか。



 聞いていたセサーカとミアデも、口元を引き締めて頷いている。

 彼女らとて奴隷の日々を過ごしているのだ。人間への恨みなら同じほどあるだろう。あるいはルゥナ以上に。


「私は、小さい頃から奴隷だったから……」

「あたしも。そんな風に考えたことなくて……あの時アヴィ様に!」


 ミアデがキラキラした瞳でアヴィを見つめると、視線を向けられたアヴィが小首を傾げる。

 彼女の瞳の色は、ルゥナと同じ赤でも少し色素が薄く、明るく輝くようだ。


「アヴィ様があたしに、自分で考えて、自分の気持ちでやれって言ってくれるまで。あたしは生きてなかった」



 奴隷根性というのか。

 人間に命じられるまま、どんな理不尽な要求にもただ頷くことしか出来ない毎日。

 生きているとは言えない。


「あたしは、生きて来なかったんです。アヴィ様に会うまで」

「私も……」


 二人の少女がアヴィを見る目は、尊敬という感情を越えている。

 憧れであり、信仰心と言ってもいい。


「そう」


 アヴィの返答は淡々としているが、セサーカとミアデにはその声だけで十分な愉悦を覚えさせてくれるらしい。

 ほわっと、聞き惚れるように頬が赤らんだ。


 今度はアヴィの命令に唯々諾々と従うのではないだろうか。

 どんな理不尽な要求でも。アヴィの望むままに。


(……それでも、自分の意志で従うのならいいんでしょうね)


 呪いにより、嫌悪と憎悪の塊のような相手に従わされることとは全く違う。



「人間の活動域は大陸の南側になります」


 少女らの視線をアヴィから地図に戻させた。


 あまり強く見つめられたら、アヴィが

 ルゥナが独占できる分のアヴィが減ってしまうのは嫌だ。



「大陸中央のニアミカルム山脈で南北の行き来は西側の標高の低い場所だけです。私の村もその辺りにありました」


 地図の中の、大陸西側の真ん中辺りを指す。


「東側は?」

「東側は断崖になっているそうです。橋を架けるにも風が乱れたりして難しいという話でした」


 清廊族は北方の寒冷地に追いやられている。

 既に南方を手中に収めた人間どもは、今度は北部にまでとその欲望を広げようとしているが、気候的にそれはうまく行っていないらしい。


 ルゥナが生まれ育ったイザットの村は、清廊族と人間の戦いの最前線という場所だった。今はそこも人間の手に落ちているけれど。



「海は、北部の気候のおかげで、冬はほとんど凍っています」

「冬はそうでも、夏は?」

「それも平気です。溶けた氷塊が流氷となって漂うので、大きな船はそれで座礁、沈没してしまいますから」


 ルゥナも見たことがある。

 西側の海岸に流れ着いていた朽ちた船の残骸を。

 運が良ければ流氷の海の中、氷山を回避して進むことも出来るかもしれないが。


「危険度が高いですから、北部に海路で渡るということは考えなくていいでしょう」


 船を建造して渡航するのにはかなりの労力が必要なはず。

 博打でそんな浪費を続けるのは、さすがに物量の多い人間でも難しいようだった。



「出来れば、この北西部の清廊族と合流して戦いたいのですが……今、私たちがいるのはここです」


 現在地は、大陸中央やや右下。

 黒涎山と呼ばれる山があった場所から、もう少し南下した場所。

 レカンの町から数日という所。


「この、レカンって町の人間どもをやるんですか?」


 好戦的なミアデの言葉を窘めるように首を振った。


「この数では無理です」


 小規模な開拓村とはわけが違う。


「この町は数万以上の人間がいます。兵士も多く、冒険者もいるでしょう」

「数万……」

「多少力をつけたにしても、この数相手は無理です。アヴィも、わかってくれますね?」


 出来ると言い出しそうなアヴィに会話を振ると、肯定も否定もせずにルゥナを見つめ返した。


「……」


 やろうと思えばやれる、とでも言いたいのだろうが。


「町を混乱させても、多くの人間が逃げ延びるだけです」


 出来ないが。

 いくらアヴィでも何日も休まず戦えるわけではない。


 また、中位以上の冒険者の集団がいれば、彼らは自分の実力よりも上の魔物を狩る手管にも長けている。

 どれだけアヴィ個人の戦闘能力が高くても、数と経験で押しつぶされてしまうだろう。


「逃げ延びた人間がどうするか……より狡猾で残虐な手段を考えて、私たちや、他の清廊族に向かうでしょう」


 出来ないと言ってしまえばアヴィが反発する。

 仮に可能だとして、それが結果的に状況を悪くするのだと諭した。


「今は確実に力を蓄えつつ、さらに戦力を集めましょう」

「そうね、わかったわ」


 意外と不満のなさそうな返事だった。

 セサーカとミアデが自分の唇に手を当て、視線が少し下を泳いでいる。

 何かを思い出すように。


(戦力を……、から?)


 また清廊族の女性を見つけて、説得する。懐柔する。

 それを考えて不満がない……の、かもしれない。


(アヴィは……)


 ルゥナも、自分の唇に残る感触を、熱を思い出しながら、アヴィの桜色の唇を少し恨みがましく見つめた。


(女好き、なんでしょうか)


 私だけが特別だって言ったくせに、と。

 そんな言葉は、さすがに口には出さなかったけれど。



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