第17話 一番の敵は身内にあり -従者視点-

「ちなみに、一つお聞きしておきたい事があるのですが。よろしいですか?」


 ようやくカリーナ嬢が戻ってきた執務室で、その出自を明かし殿下も落ち着いたところでそう声をかける。

 先ほどまで殿下に頭を撫でられていたカリーナ嬢のまんざらでもなさそうな表情に、正直今すぐにでもお二人の婚約の打診をしたいところをグッとこらえて。


「どうかしましたか?」

「いえ、その……正直に申し上げますと、貴女が城からいなくなった事に気づいてから後、必死に探し回っていたのですが…。情けないことに、一向に手掛かり一つ見つけられないままだったのです」

「え、っと……」

「勿論市井に関しては私どもよりも、カリーナ嬢の方が余程理解しているのだという事は重々承知していますが……。それでも、どこでどう過ごされていたのか。それだけがどうしても気になっておりまして…」


 城の者達が手を抜いたわけでもなければ、不慣れだったわけでもない。むしろ最も優秀な者達をかき集めて、精鋭だけを揃えたというのに。

 そんな彼らの目をかいくぐっていたカリーナ嬢の動向は、今後のためにも聞いておきたい。

 一体どんな手を使って、この国最高峰の追っ手から逃げおおせていたのか。

 個人的な興味以上に、穴があるのであれば早急に改善すべきだという確固たる決意を持ってそう切り出したというのに。


「え、っと……どう、と…言われましても……」


 返ってきた答えは、予想外のものだった。


「特には、何も……。しいて言うのであれば、全く動かなかったです」

「…………動かなかった……?全く、ですか…?」

「は、はい…。動いたのは初日と翌日だけで、それも必要なものを揃えたらあとはずっと宿の中に引きこもってました……」


 恥ずかしそうにそう俯くカリーナ嬢とは反対に、私だけでなく殿下もその瞳を大きく見開いて。若干顔が赤くなっているカリーナ嬢を二人して見つめる。


「それだけ、ですか……?」

「はい…それだけ、です…。……その…必要最低限を揃えられたらとりあえずはよかったので……。あとは王都を出る許可が下りるのを待っていたんです…」


 つまり、だ。


「目をかいくぐっていたのではなく……そもそも人目に触れていなかった…?」

「……そのようだな…」


 しかも本人が言う通り必要最低限だけを揃えるための行動だったとすれば、だ。一度しか訪れていない客を覚えているわけがなくて。

 どう見ても怪しそうには見えない上に、彼女は元々教会の孤児院にいたとはいえ市井育ち。違和感なく溶け込むなど、本人が意識していなくても容易にできてしまうのだろう。


 そうなれば。


 特徴のある瞳以外の部分で、カリーナ嬢を見分けるのはとても難しいだろう。

 それこそ、知り合いでない限りは覚えていられないほどに。



 まさか…………


 まさか……



「一番の敵は身内にあり、ですか……」

「え…?」

「あぁ、いえ。何でもありません」


 にっこりと笑ってみせたけれど、内心は困惑と落胆と……言い表せない様々な感情がない交ぜになっていた。


 まさか、城から追い出した令嬢達よりも。

 カリーナ嬢本人が一番、見つからないような行動をとっていたなんて。



 誰が、想像できたというのでしょうか……



「それならば、まぁ……見つからないはずだな…」

「うっ……。な…なんかすみません……本当に……」

「いや、いい。そもそもにしてこちらの落ち度だ。何よりカリーナが本当に王都を出てしまう前でよかった」

「それでも、たくさんの方にご迷惑をおかけしてしまって……」

「迷惑をかけたのはカリーナではなく、城から追い出そうと画策した令嬢達だ。謝るべきは君ではなく、愚かな行動を取った者達であるべきなのだから」

「殿下……」


 …………


 いい雰囲気のところ、大変申し訳ないのですが……。


 あぁ、いえ…その……。

 私個人としては、このままそっと執務室を後にしてしまいたいのです。

 決して…!決して殿下の邪魔をしたいわけではないのです…!!

 そこだけは殿下に信じていただきたいところではあるのですが……。


 それでもお伝えしなければならないこともありますし、何よりカリーナ嬢にいつまでも市井で過ごすような格好のままいていただくというのも申し訳ないので……。


 様々なものを必死で飲み込んで、そっとお二人に声をかける。


「こちらから質問をしておきながら大変恐縮なのですが、ひとまずカリーナ嬢は一度着替えていらした方がよろしいかと…」

「え…?あ……た、大変失礼しましたっ…!!こ、こんな格好で殿下の前にっ…!!」

「ん?いや、私は気にしないが…………あぁ、いや…そうだな。折角だ。前に贈ったワンピースに着替えてくると良い」

「え…?え、っと……」

「カリーナが戻るまでに、私も必要最低限の執務だけは終わらせておこう」

「え!?いやっ…!!殿下はもう今日はお休みになられた方が…!!」

「休むために、一度着替えて戻ってきて欲しいのだが?」

「え?え?」


 ここは……殿下が押すべきところなのでしょうが。

 先ほど倒れられていたことを考えると、あまり無理をなさらないで欲しいのも事実。


 なのでここは、僭越ながら私がカリーナ嬢へ説明いたしましょう。


「カリーナ嬢。殿下が本日の執務をお休みなさる理由として、貴女への聴取と説明という建前が必要なのです。ですからどうか、お願いできませんでしょうか?」


 殿下のために、という点を強調すれば、カリーナ嬢が断るはずがない事を見越したうえでそう告げる。

 卑怯だとは分かっていますが、こうすれば早く理解してもらえた分殿下と過ごす時間を長くとってもらえるはずですからね。


 殿下のためならば、どんな手でも使いましょう。

 私にとって殿下こそが、唯一無二の主なのですから。


「あ…なるほど、そういう事なのですね!分かりました。なるべく早く戻ります」

「えぇ、お願いしますね」


 元気よく、けれどあくまでも優雅に頭を下げて。

 そのまま執務室の外へとカリーナ嬢が出て行ったのを見送れば、後ろから聞こえてきた小さなため息。


「殿下?お疲れですか?」

「いいや……ようやく日常に戻ったなと、安堵しているところだ」

「そう、ですね……。何よりカリーナ嬢の出自が本人にも明らかになりましたし、今後はおかしなことを言い出す者達も減る事でしょう」

「だといいが…。まぁ、そのまま泳がせて自滅させてもいいがな」


 そう言う殿下の表情は、決して笑ってはいなかった。

 むしろ瞳の奥深くに、明らかな怒りの色を灯していて。


「今後カリーナ嬢への侮辱は、そのままオルランディ家へと直結しますからね。我が国の筆頭公爵家ご令嬢への無礼の数々、こちらでしっかりと調書をまとめておきますので」

「あぁ、頼む」

「畏まりました」


 どちらにせよ、カリーナ嬢を城から追放しようとした令嬢達やそれに関わった者たちの家は、この国には必要ないと切り捨てられるだろう。

 殿下だけでなく、これに関しては陛下のご意向すら無視した上に裏切ったのだから。王家による保護の意味も分からぬ貴族など、この先何の役にも立たない。


「時に、セルジオ」

「はい」

「お前……分かっていて声をかけたな?」


 胡乱げな視線を向けてくる殿下は、それでも私がそうした理由をきっと分かっていらっしゃる。


 ただ、少し。

 そう、ほんの少しだけ。


 文句を言いたいだけなのだ。きっと。


「殿下のなさりたい事は、このセルジオ心得ております。ですがやはり、どちらにせよ一度仕切り直す必要はあったかと」


 だから私は、そう笑顔で返す。


 実際倒れられたのは事実なのだし、今日の執務は全て中止にしていただきたいのも本音ですが。

 それでも必要最低限の仕事だけはこなさなければならないことは、私が誰よりも知っている。


 だからこそ。


 執務机の上に残る、あと数枚を終わらせてしまう必要があった。


「折角ですので、着飾ったカリーナ嬢と残りの時間をお過ごしください。ゆっくりお話ししていただけるよう、紅茶をご用意いたしますので」

「……お前は…。そういう所が、抜かりないな」

「殿下の従者ですので。当然です」


 決して。決して殿下の本心には触れないように。

 けれどその望みを口にしなくても、そうあれる環境を作り出す。

 それも私の仕事の一つ。


「殿下」

「ん?」

「身内でありながら一番の敵であった方を、今度は間違いなく味方に引き込んで下さいね」


 この言葉が、本当に意味するところは。

 きっと殿下には伝わっているはず。


 その証拠に数回瞬きをしたかと思えば、くっと小さく笑いを零して。


「あぁ。必ず、な」


 そう、答えて下さったから。



 きっとこの先、カリーナ嬢は必ず殿下の妃となられる。


 おそらくはそういった話を、既にコラード殿としておられるはずだろうから。



 だからこそ、私はただ殿下を信じて待っていればいい。



 殿下とカリーナ嬢が、正式に婚約者となられるその日を。



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