第11話 婚約の裏側 -王弟殿下視点-

「殿下がご婚約ですか!?」


 セルジオの予想以上に大きな声に、思わず顔を顰めてしまったくらいは許されてもいいだろう。

 ここには私とセルジオ以外誰もいないだとか、そういう事ではなく。


「セルジオ、声が大きい」

「はっ…!!し、失礼いたしました…!!」


 珍しく慌てたような様子のセルジオを見ても分かる通り、あまりにも突然の内容だと理解はしている。

 している、が……。


「まだ内定でしかない、極秘の案件だ。それをお前は大声で……」


 つい呆れてしまうのは、いくら人が訪ねてこないとはいえここが執務室で城の中で。どこに目や耳があるか分からないと知っているはずなのに、外に明らかに聞こえてしまっただろう声量だったから。


「護衛騎士には、聞こえてしまったでしょうね…。本当に、申し訳ありません……」


 本気で落ち込んでいるらしいので、まぁ反省しているのならこれ以上は追及すまい。


 そう思って、詳細へと話を進める。


「以前出した陛下への面会の場で、直々に命じられた」

「謁見ではなく面会と言う形をとの嘆願も乗せたあの書類ですね。なるほど」


 流石に仕事の話となると、切り替えが早い。

 そして書類はあえてセルジオに直接届けさせているので、いつの頃の物かも覚えていたらしい。


 本来であれば、国王陛下へのお目通りは謁見と言う形を取るべきだが。

 私はあえて、執務室での面会を希望した。

 それはひとえに、血の奇跡の存在をまだ公にする訳にはいかないからという理由があっての事だったのだが。


「陛下が、殿下のご婚約を直接お命じになったという事は……つまり、お相手はもちろん…」

「あぁ、カリーナだ。先に、陛下より判断を下されてしまってな。血の奇跡を娶れ、と」


 あれではこちらから、しかもわざわざ書面を出したというのに意味がない、と思いはしたが。

 まぁ、だが。有無を言わせぬ形を陛下が取ったからこそ、誰からも文句の一つも上がらないというわけだ。


 こういう所が、兄上は私に甘いと思う。


 本来ならば、貴族たちの嫌味や反感を私が受けるべきなのだが。今回、しかもに関して明言された上での婚約。

 これで声を上げた貴族は、習わしも知らぬ愚か者か。はたまた王家への反逆者か。そう思われても仕方がない状況を作ったと言える。

 本心が何であれ、これで表立って私やカリーナに文句など言えなくなったのだ。


「そうですか。殿下が……あの殿下が、ようやくご婚約……!」

「……何故だろうな。今一言、棘がある言い方をされた気がするのだが…?」

「いいえ…!いいえまさか…!!むしろ私がどれだけこの日を待ち望んだことか、殿下はよくご存じのはずでは?」

「一時期しつこいくらい聞かされていたからな。知ってはいる」


 成人したのだからそろそろと言って来たのは、何もセルジオだけではなかった。

 正直、あの時期が一番面倒だったと今なら言える。


「殿下とカリーナ嬢が……えぇ、えぇ。本当に、喜ばしい事でございます。おめでとうございます、殿下」

「あぁ」


 表には出さないように気を付けてはいるが、それでもその言葉は素直に嬉しい。

 おそらく私の婚約を本気で祝ってくれる相手は、貴族の中ではそう多くはないだろう。自分の娘を私にあてがい、王弟妃にしたかった者達からすればなおさら。


 だが、それでもいい。

 他の何を譲ったとしても、カリーナだけは誰にも譲れぬ。

 それだけは、ハッキリしているのだから。




 だから、まさか。



 あのセルジオの大声を、カリーナ本人に聞かれているなど思いもしなかった。




「カリーナ、が?」

「はい。その場で他言無用とのお約束をしていただけたとのことなので、どこにも漏れてはいないと思いますが……」


 それはそうだろう。あのカリーナだ。誰かに伝えるどころか、口にすることすらないだろうと容易に想像がつく。

 だが、問題はそこではなく。


「何故、カリーナに休暇を出してからそれを報告するのか……」


 それを報告してきた護衛騎士は、今もこの執務室の外で警備をしている。直接呼び出すことも出来る位置にいるにはいるが。


「申し訳ありません殿下。これに関しましては、完全に私の落ち度です」

「……まぁ、そうだな。誰に聞かれるかも分からぬ城の中で、あの大声は余りにも迂闊だ」

「はい」

「だが過ぎた事をとやかく言うよりも、まずはどうにかして誤解を解かねば……。カリーナの癒しの力が弱まっていた理由は、何も環境の変化だけではなかったのかもしれぬ」


 愚かな令嬢たちの手でカリーナが城から追い出されたのは、つい最近の出来事なのだ。

 それなのに。


「殿下のご婚約で、今度こそ解雇かもしれないと落ち込まれていたのかもしれませんね……」

「紅茶選びや菓子作りを楽しんでくれていたようだからな。その可能性は大いにあり得る」


 本当は、ほんの少しだけ。

 もしかしたらその心が私に向いてくれているのではないかと、淡い期待を抱いたりもしたのだが。

 すぐに自分の中で否定出来てしまうほど、やはりカリーナ自身から恋慕の情を含んだ視線など微塵も感じたことなどなくて。


「そもそも彼女は殿下の側仕えではなく、婚約者となられる予定の令嬢ですからね。解雇と言うよりは、いっそ昇進に近いのではないかと」

「そういう言い方をするな。あまりにも義務的ではないか」


 私の想いを知っていて、何という事を口にするのか。この男は。


「ですが、その……何せ、カリーナ嬢ですので……」

「…………否定できないところが恐ろしいな……」


 私の婚約者という立場は昇進なのだと聞けば、それで納得しそうな気がしてしまう。



 いや、おかしい。それは流石におかしい。


 おかしいの、だが……



 この微妙に煮え切らない気持ちは一体何だと言うのか。


 とはいえカリーナにとってこれが政略結婚である事に変わりはないのだ。相手が私であろうが他の誰であろうが、その事実は覆らない。


「ですがその分、ご婚約が成立してから仲を深めればよろしいかと。私も僭越ながらお手伝いいたしますので」

「そう、だな……。せめて婚姻までに相手が私で良かったと思えるくらいには、カリーナを安心させてやりたいものだな」


 当日までに心まで手に入るとは限らない。

 だがせめて、少しでも気が楽になればと思ったのだ。


 王弟妃となる事を喜ぶのではなく、重荷に感じてしまいそうな彼女だからこそ。

 誰よりも相応しいのだ。


 その存在の意味を正しく理解してくれる相手でなければ、その座は務まらない。

 だが同時に不安に思う事も多いだろう。

 だからせめて、婚約の相手が見知った相手だという理由だけでもいい。ほんの僅かにでも、その心の内が晴れていてくれればと。


 そう、思っていたのに。




「兄上、今……何とおっしゃいました……?」


 顔合わせを翌日に控えた日の夜。

 久々の兄弟の時間に、そういえばと思い出したように兄上が口にした言葉があまりにも衝撃的だった。


「オルランディ家では、ジャンナ夫人の意向で血の奇跡の婚約者がフレッティだと本人に伝えられていないらしい、と。コラードから直接聞いた話だ。間違いはない」

「…………何という事を……」


 思わず頭を抱えてしまったのは、カリーナの生い立ちや立場を考えてあまりにも酷いと思ってしまったからだ。


「夫人のやりたい事は分からなくもないがな。どこの誰とも知らぬまま当日を迎えて、現れたのが見知った人間であったのなら。王家へと嫁ぐ不安よりも、安堵の方が勝る可能性は高い」

「ですがそれはその瞬間の事だけです。その先にはまた別の不安が持ち上がるでしょう」

「だろうな。だがそれをどうにかするのはオルランディ家の役目ではない。分かっているのだろう?」

「それは、そうですが……」


 嫁いでくる相手を気遣うのは、それこそ私自身の役目だ。

 何より相手がカリーナである以上、それは当然のことで。

 むしろ誰かに譲る気など、初めから欠片も存在していない。


「だが、まぁ……フレッティの懸念も尤もだ。まだ成人もしていない、令嬢になったばかりの少女だからな」

「……彼女が今、たった一人でどれだけ不安の中にいるのかと思うと……。流石にジャンナ夫人の取った方法はやりすぎではないかと…」

「その意見には私も賛成だ。なので気になって、秘密裏に様子を見に行かせたのだが――」

「どうだったのですか!?」


 思わず兄上が言葉を言い切る前に、身を乗り出して口にしてしまったのだが。

 それでも後悔はなかった。

 何より兄上の口から「秘密裏に」などという言葉が出てきたという事は、様子を見に行ったのは人ではない。おそらくは兄上の傍によくいる、鳥たちに頼んだのだろう。

 それならば人が行くよりもより自然に、ともすれば他人には決して見せない姿を知ることが出来たのではないかと思ったのだ。


 そしてその予想は、間違いなく当たっていた。

 ただし、悪い方向に。


「私自身は本人を知らないが、普段よりも暗い顔をして何度もため息をついていたそうだ」

「そんな……。あのカリーナが……」


 私の前でも屈託なく笑うあの花のかんばせが、よりにもよって私との婚約で曇ってしまっているなど。


「無理もないだろう?自分の婚約者になる相手の、顔も名前も知らされぬままなのだ。どこの誰に嫁ぐのかも分からぬままで、不安にならない女性などいるはずがない」

「そう、ですが……。……せめて、涙を流していなければいいのですが…」

「報告ではなかったが…どうだろうな?私が向かわせた時には、既に日が経っていたからな。それに関しては何とも言えないところではある」

「そうですね。……全く…。本当に、なんてことをしてくれているのか……」


 今からでは手紙を書いたところで、明日の顔合わせの時間までには間に合わない可能性が高い。

 何せ女性の身支度は時間がかかるのだ。オルランディ家に手紙が届いたところで、カリーナがそれを読むのはきっと全てが終わった夜になってから。

 それでは遅すぎる。


「明日、直接話すしかないだろうな。ジャンナ夫人の思惑通りに」

「……何でしょう…。少し癪なのは、あまりにも私自身の言葉を軽んじられているからでしょうか…」

「コラードには真摯に話をしたのであろう?であればジャンナ夫人の独断だ。そこは女性の考えだからな。どうにも男では理解しきれぬところがあるのは事実だ」


 僅かに遠い目をしているのは、義姉上に関する何かなのだろうと察しはつくが。

 そこはあえて触れないようにする。


「明日はセルジオも連れていくのであろう?であれば、先に行かせて少しでも令嬢を安心させてやれば良い」

「はい。私もそうしようかと今考えていたところです」


 顔見知りが現れたとなれば、不安も少しは解消されるだろう。

 とはいえ本人にとっては相手が私であったなど、不測の事態でしかないのだろうが。


 それでも。


 彼女が少しでも安心できるというのであれば、私は出来得る限りの全てを使って実行しよう。


 何よりの宝を手元における幸福を手に入れるのだ。そうでもしなければ、きっと私の幸せに対して彼女の幸せが釣り合わない。



 そして可能ならば、いつか。


 そう、いつか、でいい。


 その心が、私に向く日が来るようにと。


 私は今まで以上の努力をしていこうと、一人心の中で誓ったのだった。










―――ちょっとしたあとがき―――


 本編38話~40話手前までの、殿下視点でした。


 実は割と心配していた殿下の愛情は深い。

 それと可愛い弟のために、小鳥たちにお願いをしていた陛下も愛情深いです。弟への。

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