第41話 許された想い

 これがガゼボなんだ、と。庭にある建築物の存在は知っていても、名前は今日初めて知ったな、なんて。

 そんな現実逃避のようなことを考えている私に。


「カリーナ。そろそろ私の方を見てはくれぬか?」


 少しだけ困ったような顔をした殿下が、優しく指の甲で私の頬を撫でながらそう言っていて。


「…………え……あ…。……で、殿下…!?!?」

「……ここで驚くのか…」


 いえいえ、だって…!!これは夢かな?幻かな?なんて思うほど混乱していたんですよ…!?今ようやく現実に戻ってきたら、なぜか消えることのない殿下が目の前にいるんですよ…!?


 って、言うか…!!!!


「あ、あのっ、殿下っ…」

「ん…?」

「ち、ちかっ…」

「どうした?」


 問いかけながら私の髪を耳にかけてこないでええぇぇっ…!!近い近いっ!!顔が近いっ!!近すぎて直視できないからぁっ!!!!


「で、んかぁっ……」


 本当に直視できなくなった私は、真っ赤になっているだろう顔を両手で隠す。


「…………計算一つなく、そんなことをやってのけるのか……。末恐ろしい存在だな…」

「な、なんですか…?」

「……いや…。恥ずかしがるカリーナがあまりにも可愛すぎるので、驚いていただけだ」

「っ!?!?」


 待って待って…!!何それやめてっ…!!

 せっかく顔を手で覆って隠したのに、今度は耳元でそんなこと囁かれたら…!!


「も、おねがい、ですから……」

「やめて欲しい、と?なぜだ?」

「そっ……!…そういう事は、婚約者の方としてください……」


 そうだ。まだ公表はされていないけれど、殿下には婚約者がいるはず。それならそういう言葉も行動も、全て私じゃなく婚約者に対するものであるべき、なのに。


 何を思ったのか殿下は、私の耳元で小さくため息を吐いて。


 そのまま、肩に顔をうずめてきたのだ。


「で、殿下っ…!?」

「護衛に言われてはいたが……まさか本当に、迂闊なセルジオの言葉を聞いていたとはな…」


 その言葉に小さく肩が跳ねたのは、確実に殿下にも伝わってしまっている。

 そうだった。あれは聞かなかったことにするはずだったのに。


「あ、あの…殿下……」

「案ずるな。城の内外のどこに行っても、その話題は聞こえてきていない。カリーナがそのことをどこかに漏らしているとは思っておらぬ」


 当然誰にも話していない。一緒にいた侍女もそれを守ってくれているから、今も公にはなっていないのであって。

 だから殿下の言葉に、私は安心した。


 ただ、その一方で。


 本人の口から、あれが事実なのだと聞かされたようなものだから。

 一気に沈んでいく私の心は、まだまだ失恋の痛みから立ち直れそうにはなくて。


「全く……本人には何も伝わっておらぬし、そうかと思えばいらぬ情報だけ入っているしで……身動きの取れぬ身を恨んだのは、これで二度目だぞ」


 だからできれば、こんな風に近すぎる距離になんて……いて欲しく、ないのに。


 同時に伝わってくる体温が、息遣いが。

 私の心を、満たしていく。



 でもそれは、許されないこと。



「だが、まぁ……本人から言質は取ったことだしな。これからは思う存分、婚約者を可愛がることにしよう」


 楽しそうなその声に、泣きそうになるのを必死にこらえる。今ここで、泣くわけにはいかないから。


 だから、涙の代わりに。


「はい…。ですから殿下、どうかお元気で……私も、いずこかへ嫁ぐことになりましたので。きっともう、お会いすることはそうそうないとは思いますが――」

「は…?」


 ちゃんとお別れの言葉を伝えておこうと、そう思って言葉を紡ぐ私の肩を掴んで。

 殿下は心底訳が分からないというように、そう一言だけ零したかと思えば。


「何を、言っている…?まさか君は、今この状況になってまで自分の相手が誰なのか分かっていない、とでも言うのか?」

「え、っと……?」


 そんな風に、問いかけてくるから。


 いや、でも……私そもそも、誰からもどこの誰と婚約するのか聞かされていないので……初めから何も知らないんですけれど…?


「自分の瞳の色のドレスに、私の瞳の色の刺繍を施されておきながら?婚約者との顔合わせの席に、他の誰でもない私が現れておきながら?それでもなお、私以外の誰かの元へ嫁ぐのだと……本気で思っているのか?」

「…………え……え…?」


 その真剣な表情に、言葉に。

 一瞬、まさかという思いが頭を過るけれど。


 でも、だって、じゃあ……


「で、殿下、には……婚約者様が、いらっしゃるのですよね…?」

「あぁ、いる。今、私の目の前にな」

「目の、前……」


 私は今、殿下の淡い瞳と真っ直ぐに見つめ合う形になっていて。その殿下の目の前に、婚約者がいるという。

 そう、目の前。

 目の、前に…………


 …………


 え、待って……今、殿下の目の前にいるのって……


「私、ですか……?」

「それ以外に誰がいると言うのだ……」

「え……えっ…!?えええぇぇ!?!?」


 ようやく理解した頭が、今度は別の意味で混乱する。

 疲れたような顔をして殿下が項垂れているけれど、今はそれどころではなくて。


 っていうか、王弟殿下ですよ…!?

 王弟殿下の婚約者ということは、ゆくゆくは王弟妃になるってことなんですよ…!?


 それが、私…!?!?


「え、な、だって……!!私、元平民ですよ…!?」

「逆だ、カリーナ。本来筆頭公爵家の令嬢だったはずが、平民として暮らしていたというだけの話だ」

「いやいや!!順番の問題ですか!?」

「大いに問題だ。本来貴族であったはずが、不幸が続いて平民として生きねばならなかったとなれば、貴賤など関係なく同情が向けられる。言い換えれば、貴族社会に受け入れられやすいということだ」

「そ…、え……」

「血筋が正当である者を、表立って批難することは出来ぬ。だがそこに同情心も加われば、裏でこそこそと画策するような者達も大幅に減るだろう。それだけで十分すぎる意味がある」

「そ、れは……そうかも、しれませんが……。でも、私なんかが殿下の婚約者だなんて、そんなっ…」

「嫌か?」


 そう問いかける瞳は、今まで見たこともないくらい不安そうに揺れていて。

 まるで、私の答えを聞くことを怖がっているみたいに見えた。


 でも、そんな……嫌だなんて、思うはずが、なくて…。


「いや、じゃ…ない、です、けど……」

「それならばこの婚約を受け入れて欲しい。私はもう君以外を妃に迎える気などないのだから」

「で、んか…?何、を…言って……」

「愛している、カリーナ。私は君を……君だけを、愛しているのだ」

「っ…!?!?」


 淡い色の瞳は優しいまま、けれどその奥に確かな熱を持って私を見つめていて。


「君が私に同じ想いを抱いていなかったとしても構わぬ。だがせめて、受け入れて欲しい。もう私の前から消えないでくれ。どうか……どうか私のこの愛から、逃げないでくれ」

「に、げる、なんて……そんな…だって……わ、たし……」



 これは、夢?


 もしかしたら私は、自分に都合のいい夢を見ているだけ?

 だから殿下がこんなことを言ってくれているの?



 それならば……

 夢ならもう、目覚めなくていい。


 このままずっと、幸せな夢をみていたいから。


「君がいない日々は、耐え難かった。……いや、事実私は耐えられなかったのだ。だからあの日…君が私の元へと戻ってきた時には既に、コラードと話はつけておいたのだ。君をいずれ私の妃に、と」

「え……?」


 待って……待ってください殿下……それ…それって、まさか……そんな、前から……?


 でも、じゃあ……だとしたら……


「しかし……君の中での私は、だいぶ酷い男だな」

「え…?」

「そうだろう?何せあれだけ思わせぶりな言動を取っておきながら、君以外のどこぞの令嬢と婚約しようとしていると思われていたのだから」

「そ、れは……その…」


 ……と、言うか…ちょっと、待って……今度こそ、本当に待って…!


「まさか、殿下……」

「カリーナ。私が誰彼構わず君に対するように接していては、あちらこちらであらぬ誤解が生まれて大変なことになる。それが分かっていて…それでもなお接し方を変えないような愚かな男に、私は見えるか?」

「い、え……」

「私は自分が王族であるという事も、王弟であるという事も十分に理解している。だからこそ、全ての言動を客観的に分析しながら動いているのだ」

「…………っ…!!!!」


 やられた…!!!!


 じゃあ、つまり……私が無駄にドキドキさせられていたのも、意識をさせられていたのも、全て…!!


「想いを自覚しておきながら何もしないなど、愚か者のすることだろう?おかげで君に、少なからず私に対して意識をしてもらえるようにはなっていると思っていたのだが……これからはもっと積極的になるべきなのだろうな。そうだろう?婚約者殿」


 この人の掌の上で、まんまと踊らされていたのだ。私は。

 なのにそれを暴露してなお、悪い顔をして笑うから。


「っ…!!!!で……殿下は意地悪ですっ…!!」

「ははっ!そうやって怒ったところで可愛いだけだ。むしろ更に私を夢中にさせるだけだと理解しているのか?」

「なっ…!?」


 顔を赤くして抗議したのに、子供のように無邪気に笑いながらとんでもないことを言いだす。

 まさか私の恋心は、最初から許された想いだったなんて。

 それなら、あの悩み続けた日々は何だったというのか。せめて恨み言の一つぐらい言ってやりたいのに。


「これから嫌というほど教えてやろう。どれだけ私が君を愛しているのか、どれだけ君を求めてやまないのか、という事を」

「ぁっ……で、んかっ……」


 耳元で甘く囁かれれば、それだけで何も言えなくなる。


 でも、せめて……これだけは、ちゃんと伝えておきたいから。


「で、んか……あ、の…わた、し……」

「ん…?」


 覗き込んでくる瞳も、ひたすらに甘く優しい。

 私はこの甘さを、手放したくないから。


「わたし、も……その…殿下のことが、好き、ですっ……」


 愛している、なんて。流石にそこまでは恥ずかしすぎて言えないけれど。

 それでもちゃんと、私の本心だけは今言っておくべきだと思った。


 ただそれを伝えた瞬間、なぜか驚いたように淡い瞳を見開いてこちらを凝視している殿下がいたことは……なんだか少し、納得がいかなかったけれど。



 だって、あなたが私にこんな気持ちを教えたのに。


 人のことを落としておいて、まさか気づいていなかった、なんて。


 そんな酷いこと、ないでしょう?




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