第40話 顔合わせと意外な人物
婚約が決まったと言われたその翌日から、公爵家の中はその準備で大忙しで。
「わざわざあちらから、我が家に出向いてくださるそうですからね。当日はカリーナもしっかりと綺麗にしてあげますよ」
「……はい、お義母様…」
楽しそうな嬉しそうなお義母様や使用人たちに、私は曖昧に笑うしかなかった。
殿下から登城の要請があるまではお休みという形になってしまっていたので、その間私は何をするでもなく。新しいレシピを考えることすら出来ないまま、ただ時折呼ばれるままにドレスに合わせた宝飾品選びやマナーの復習などをするだけで。
私一人、どこかに取り残されてしまっているような。
まるで他人事のようにその慌ただしさを眺めながら、気が付けば当日を迎えてしまっていた。
「いいですか?お声がかかるまで顔を上げてはいけませんよ?」
「…はい」
「大丈夫だよカリーナ。今までで一番綺麗だから」
「…ありがとうございます、お兄様」
公爵家の中で最も豪華な応接室で待つ私は、宣言通りこれでもかというほどに着飾られていて。
ついこの間出来上がったばかりのドレスの中から、私の瞳の色の一つである青を基調として。胸元と腰回りに、白に近い淡い青色の刺繍が施されているものが選ばれた。
偶然だと、分かっている。
デザインの関係上、色味が一番合うものを選ばれたのだと。
けれど。
この、刺繍の色は……
「大奥様、お客様がご到着なされました」
「こちらにお通しして」
「承知いたしました」
お義母様がそう答えるのと同時に、お客様をお迎えするために立ち上がって淑女の礼を取る。私もそれに習って、スカートの裾をつまんで頭を下げて。
そこで目に入った色に、どうしても胸が締め付けられる。
だってこの刺繍の色は……
殿下の瞳の色と、そっくりだったから…
「そのような礼を取るのはお止め下さい。こちらはそういった事を一切望んでおりませんので」
ゆくゆくは結婚する相手と初の顔合わせの日だというのに、殿下のことを思い出していたからか。聞こえてきた声が、知っている人のもののような気さえして。
「承知いたしました」
けれどそれに応えてお兄様が顔を上げるのと同時に、私とお義母様も顔を上げて姿勢を正したその先で。
少しだけ、困ったような顔をして立っていたのは……
「セルジオ様……?」
濃いブラウンの髪も、濃いブルーの瞳も、よく見知った人そのもので。
私の呟きに、困ったような顔から変化させていつもの笑みを返してくれる。
だからふと、思ってしまったのだ。
「もしかして…セルジオ様が、私の婚約相手、なのですか……?」
おかしくはないと思う。
私は一応筆頭公爵令嬢なんだし、殿下の側近であるセルジオ様がお相手としてあがるのは不自然じゃないはず。
なのに私の言葉を聞いた瞬間、驚いたような顔をしたセルジオ様が焦った声で言ったのだ。
「いえいえ、まさか…!!私がカリーナ嬢のお相手になるだなんて…!!主である殿下を差し置いてそのようなこと、ありませんよ…!!」
「そう、なんですか…?」
そうか。自分の婚約より先に殿下の婚約が成立しないと、セルジオ様の立場上も性格上も確かに難しいのかもしれない。
あれ?でも、殿下の婚約は決まったはず……。
それに、私の婚約相手がセルジオ様じゃないのなら……。
どうして、今。
ここに、セルジオ様がいるのだろう……?
だって、セルジオ様は…………
「全く…まさか本当に何も知らせていないとはな。セルジオを先に行かせて正解だったな」
聞こえてきた声に、その姿に。
私の心臓は一度大きく跳ねて。
そのままどくどくと、普段より強く脈打つ。
だって、そんな……
どうしてここに、この人が……
「殿、下……?」
王弟殿下が、目の前にいるのか。
「ジャンナ夫人、流石に悪戯が過ぎるぞ」
「まぁまぁ…!失礼いたしました」
「カリーナは今新しい生活に慣れることで精一杯なのだ。そこに誰とも知らぬ者との婚約話など、負担が大きいことは容易に予想がつくはずであろう?せめて相手が誰であるのかくらいは教えておくべきではないか?」
「そう、でしたね……私としたことが、つい…」
「可哀想に。美しいヴェレッツァアイが零れてしまいそうなほど、驚きに目を見開いているぞ?」
すぐ目の前で交わされる会話は、一体何なんだろう?どうしてお義母様と殿下が、こんなところで話をしているの?
そもそもこれは現実?それとも夢?殿下もセルジオ様も、実は幻だったりとか……
「カリーナ?大丈夫かい?」
「……ぁ…え……お、にい、さま……?」
「これは……困ったな…」
何だろう?何が起こっているんだろう?
お兄様のグレーの瞳が私を覗き込んでいるみたいだけれど、どうして心配そうにしているのかも分からない。
「夫人。私はこの話をした際コラードに彼女のことについては伝えておいたはずだが……私の言葉は信じられぬか?」
「まさかそのようなことは決して…!!」
「では下手な小細工など無用だ。むしろこの状態で誓約書に名を書かせるつもりなど、私にはないぞ?」
「っ…!!た、大変失礼いたしました…!!」
「全く……。仕方がない。少しの間カリーナを借りるぞ?」
「はい…申し訳ございません…」
「そう思うのであれば、今後は素直にお膳立てをしてくれるとありがたいのだがな」
「承知いたしました」
二人の間で話はついたみたいで。お義母様が急いで応接室の外へと向かって、何事かを指示している。
それをぼんやりと見つめていたら。
「カリーナ」
柔らかい声が、私を呼んだ。
「おいで、カリーナ」
そう言って、ただ手を差し出されただけ。
それだけ、なのに。
「……はい…殿下…」
もはやそれは条件反射のようなものだった。
普段から殿下に名前を呼ばれたら、抗うことなんてできなかったから。
未だ混乱したままの頭で、けれどそれだけは当然のように受け入れて。
私は差し出された殿下の手に、素直に自分の手を重ねた。
「いい子だ、カリーナ」
引き寄せられた先、見上げた殿下が優しく淡い瞳を細めているから。もう二度と見られないかもしれないと思っていたその大好きな表情に、私は思わず泣きそうになってしまって。
だって殿下が婚約してしまえば、そもそも偽物とはいえ一応令嬢の肩書を持つ私が執務室の中に入るなんて、そんなこと許されないと思っていたから。周りもだけれど、きっと誰よりも婚約者になった令嬢本人が許すはずがない。
だって、私だったら嫌だ。
あの日、令嬢たちに囲まれる殿下を見ていたくないと心の片隅で思ってしまっていたから。
婚約者がいるのに、他の令嬢を執務室に入れて。もしかしたら不測の事態で二人きりになってしまうかもしれない可能性だってあるのに。
それを殿下の婚約者になった人が、許せるわけがないと思った。だから私は今度こそ、王弟殿下のお茶くみ係を辞めることになるのだろうと覚悟していたのだ。
それなのに、どうして今ここに殿下がいるのか。
そもそも今日は、婚約者となる人との初顔合わせのはずだったのではないのか。
こんな日にこんな意外な人物と会うことになるなんて、想像すらしていなかった。
「殿下、我が家の庭園にガゼボがございますので。そちらでもよろしいですか?」
「構わぬ」
「承知いたしました。では、この者がご案内いたしますので」
「あぁ」
何が起きているのか分からないまま、私は未だに殿下に手を取られたまま。
ただ促されるままに、歩き始めて。
それは紛れもないエスコートだったのに、混乱したままの頭では気付くことすら出来なかった。
ただ、私はもっと早くその事実に思い至るべきだったのだ。
だってここは宰相家。この国の筆頭公爵家。
そんな家が、娘の婚約者を迎えるのに失礼がないように、なんて。お義母様が「わざわざあちらから、我が家に出向いてくださる」なんて言うような。
そんな風に敬意を払う相手なんて、それこそ数えるほどしかいないはずだったのだから。
何よりこのドレスのデザインそのものが、既に相手が誰かを示していたというのに。
それを本人から指摘されるまで、私は何一つ気づかなかった。
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