第39話 突然の婚約話
殿下が婚約するという事実を間接的に知ってしまったあの日から、早数日。
なるべく今まで通りでいようとはするけれど、公爵家の人たちやお義母様やお兄様とは違い、私をよく知っている殿下やセルジオ様には時折心配されてしまっていて。
特に、殿下が一番私の変化に敏感だった。
何せ最初に気づいたのも、殿下だったのだから。
「カリーナ、どこか具合でも悪いのか?」
午後の休憩の時間に、そんなことを唐突に聞かれたから。
体の不調は感じていなかったので、むしろこちらがキョトンとしてしまって。
「いいえ、どこも……」
「そう、か?ならばいいのだが……あまり無理をしすぎる前に、異変を感じたらすぐに休むのだぞ?」
「は、い…」
あまりにも真剣な目をして言うから、そうとしか答えられなくて。
いつもだったら、無理をしすぎるのは殿下の方です、なんて。言えたはずだったのに。
「あ、の…えっと……」
「どうした?」
「その…体調不良というわけではないのですが……今度お休みをいただきたい日がありまして…」
「珍しいな。いや、むしろ…休みの申請など、初めてではないか?」
「あ、はい。その…お義母様から、その日は一日お休みをいただいてきなさいと言われておりまして…」
「ジャンナ夫人から?それこそ珍しいな」
驚いたように軽く目を見開いている様子から、本当にお義母様からというのは珍しいことなんだろう。けれど今回に関しては、私も致し方ないことかなとは思っている。
だって……
「私の、ドレスの最終調整をその日にしたいと、言われているんです」
社交界デビューもしていないままなので、思っている以上に大急ぎで色々と準備をしてくれているようで。確かにあと数か月で成人してしまうので、必要と言えば必要なのかもしれない。
高位貴族としては異例かもしれないけれど、デビューと成人までの間が短すぎるから。どうしても今両方を同時進行にしなければいけない。
「なるほど、そういう事か。確かにそれは、ジャンナ夫人が休みの申請を口にする訳だ」
納得したらしい殿下は、同時になぜか口元を覆っていたけれど。
その行動の意味が分からないまま、結局お休みの申請は通しておくからと言われてその日の休憩時間は終わった。
そうして帰ってきて、お義母様にお休みの件許可をいただきましたと報告して。
ようやく私室で一人落ち着いて、ふと気づく。
「……もしかして…殿下が心配していた理由って、体調じゃなくて……」
私の、隠していたはずの沈んだ心に気づかれていたからではないか、と。
そう思い至った時、とにかく恥ずかしくて。思わずベッドの中に潜り込んでしまいたい衝動に駆られてしまった。
いや、やらなかったけれど。
でも気持ちはそのくらい恥ずかしかった。
だって何で、よりにもよって一番知られたくない人に気づかれないといけないのか。
「も、やだ……」
誰もいないのをいいことに、両手で顔を覆ってひたすら恥ずかしさに悶えて。
けれど同時に、誰にも知られないようにしないとと思ったのに。
なぜか、その後から休憩時間のたびに、殿下かセルジオ様のどちらかから体調を心配されるようになってしまって。
体調は問題ない。
そう、体調は。
だから毎回、大丈夫ですと答えていたけれど。
流石にそれが続きすぎたせいか、ある日の午前の休憩の時に今日はもう帰って休めと言われてしまって。
「え、あの…」
「自分では気付いていないのかもしれないが、最近少し様子がおかしいぞ?」
「そ、れは……その……」
「急な環境の変化に、心がついて行けていないのかもしれません。体の不調ではなく心の不調は自覚しにくいですし、一度しっかり休まれてはいかがですか?」
「短い期間で令嬢教育を終えるほどだったのだろう?根を詰めすぎていたのかもしれぬ」
「無理をしていただきたいわけではないのです。ただ少しだけ、休める時間が必要だったのかもしれませんから」
「……はい…分かりました…」
二人にそこまで心配されてしまっては、そう答えるしかなくて。
とはいえ午後のお菓子の準備を既に始めていたので、流石にそれだけは処理してから帰りたかったから。
そう思ったのが、よくなかったのかもしれない。
部屋を出て、いつもの道を通る時にふと、窓の外を見て。
そこでたくさんの令嬢に囲まれている殿下の姿が目に入った。
「っ…」
色とりどりのドレスを纏う彼女たちは、みんなどこか恋する乙女のような顔をしていて。自分を見てもらおうと、必死に話しかけているようだった。
そんな令嬢たちを相手に、笑顔で言葉を返しているのであろう殿下は。
執務室にいる時とは、全く違う表情をしていた。
「お嬢様?」
「…っあ、いえ……すみません。帰りましょう」
「はい」
声をかけられて、自分が歩みを止めていたことを初めて自覚する。
確かにこんな状態では、心配されても仕方がないのかもしれない。
けれどこればっかりは、たとえどんなに休んだところでどうにもならないから。
ため息を吐きたくなるのを堪えて、公爵家へと向かう帰りの馬車に乗り込んだ。
それなのに。
沈んだ気持ちのままお屋敷に帰ってきた私に、夕食の席でお義母様とお兄様は笑顔で告げたのだ。
「貴女の婚約が決まりましたよ」
「日程も調整しているところだからね。良かったねカリーナ、ドレスが間に合いそうで」
私の、突然の婚約話を。
そこからはどう受け答えをして、どうやって部屋まで帰ってきたのかよく覚えていない。
気が付いた時には、入浴も着替えも全て済ませた状態で。
私室のベッドの上に座り込んで、一人ボーっと何もない宙を眺めていた。
ただ自分がどこにいるのか気づいた瞬間、思い出したのは……
「殿、下っ…」
公爵家に帰ってくる直前に見た、あの光景。
令嬢たちに囲まれている殿下の表情は、いつもよりずっと大人っぽく見えて。
普段はお菓子に目を輝かせている子供のような人なのに。
私が知っているのとは違う、見たことのない優しい笑顔で和やかに会話をしているように見えた。
そう、だ。
どんなに筆頭公爵家だとか宰相家だとか仰々しい名前がついたところで、所詮私は偽物の令嬢でしかないから。
本物になんて、敵うはずがない。
それなのに、一体何を期待していたのだろう。
一番近い場所にいるのだと、勝手に勘違いして。
「で、んかっ……」
こんな分不相応な想いを抱いて、傍にいようとしていたなんて。
自分の浅ましさが、嫌になる。
それでも……
「ぁ……ふっ…」
私に触れるあのあたたかい手が。
優しく細められる淡い色の瞳が。
柔らかく名前を呼んでくれる声が。
どこかの本物の令嬢ただ一人のものになるのだと想像したら。
こみ上げてくる嗚咽を、必死に抑えるので精いっぱいだった。
「で…んか……っ…」
好きで好きで、大好きで。
届かないと分かっていても、それでも失くせなくて。
そうやって大きくなりすぎたこの想いは、誰にとってももう邪魔でしかない。
そんなこと、初めから分かり切っていたはずなのに…。
近づきすぎてしまった。
知りすぎてしまった。
遠い存在のはずだった"王弟殿下"が、私の中で血の通った"一人の男性"になってしまうほどに。
「好き、ですっ…殿下ぁっ…」
名前を呼ぶことすら、出来ないのに。
そんなこと、許されていない。
第一もう殿下には婚約者がいる。
公表されていないだけで、既に決定事項なのであろうそれは。
私にはどうすることも出来ない場所で、私とは全く関係のない場所で、全てが進んで。
そして、終わっている。
貴族の令嬢であろうがなかろうが、私のこの想いは叶うどころか告げることすら出来ないもののまま。
誰にも知られることなく、いつか自分の中から消え去る日をただ待つしかない。
「そ、んな、のっ……いや、なのにっ……」
それを受け入れて、飲み込んで。
与えられた婚約相手と結婚して、子供を産んで。
それがきっと、貴族として生きるという事。
それこそが、私が何者であるかという自覚をするという事。
「で、んかぁっ……」
心が受け入れることを拒否するほど痛い現実を。
それでも私は、直視しなければならない。
この日初めて、私は失恋の痛みというものを知ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます