第24話 さよならも言えずに

 お仕着せ姿のまま、どんどん階段を下って行って。厨房へ向かうのとはまた別の道のりに、ふと最初にお城に来た時のことを思い出す。

 あの時は何が何だか分からなくて、とにかく周りを見る余裕すらなくて。気がついたら豪華な部屋の中で座っていたけれど。もしかしたら、この道はその時に通っていたのかもしれない。

 だって出口に向かうというのは、そういうことだろうから。


 ただ、こんな庭園みたいな場所が見える廊下なんて、全然覚えていないけれど。


「ここで着替えなさい。服はそのまま置いて行けばいいわ。もともとお前のものではないのだしね」

「はい……」


 言われた通り、どこかの一室を案内されて着替える。

 鞄の中に急いで入れてきた、私が最初にここに来た時に着ていた地味なワンピース。豪華なお城の中にいるにしてはどう考えても不釣り合いで似合わないそれが、平民としての私の本来の姿。


「本当に地味ね」

「こんな平民を連れて歩くなんて、死んでも嫌だわ」

「こんな小娘が今まで殿下のお側にいたなんて」

「まぁまぁ皆さん。それも今日で終わりなのですから」

「それにこの先は別の案内人を用意しているのですから、わたくしたちの役目はここで終わりですわよ」


 つまり彼女たちと会うのもこれが最後、ということだろう。

 下手に顰蹙を買わずにここまで来られたことは、ある意味よかったと思うべきなのだろうけれど。


 それでも、どうしても。


 一つだけ、可能であれば頼んでおきたいことがある。


「あの……失礼を承知でお願いがございます…」

「あら、なぁに?生意気に」

「殿下に……殿下とセルジオ様に、お礼とお別れのお手紙を書かせてはいただけないでしょうか…?」


 それが私に出来る、お二人への最後の行動だと思ったのだけれど。


「何を寝ぼけたことを言っているの。殿下は今とてもお忙しいから、わたくしたちにわざわざお前なんかの案内をさせたのではないの」

「その上まだお手紙ですって?思いあがるのもいい加減になさい!!」

「これ以上殿下のお時間を無駄にするつもりなの!?」

「なんて恥知らずな…!!」

「これだから育ちの卑しい平民は…!!」


 当然のように、許されるはずがなかった。


 なんとなく予想はしていたけれど、まさかここまで言われるとは思っていなくて。

 確かに今殿下もセルジオ様も、本当に忙しそうで。だから大切なことを言い忘れていたのかもしれないし、もしかしたらそれどころではなかったのかもしれない。それは、分かっているけれど。


 お世話になったのに、挨拶の一言もないまま、なんて。


 まだ何かを言い募ろうとしてくる彼女たちの剣幕に、これは失敗したかもしれないと思いながら鞄を抱きしめていたら。部屋の外から扉をノックする音が聞こえてきて。


「あら、お前の迎えが来たようね」

「ほら、お行き」

「もう会うこともないでしょうけれどね」

「二度と城に近づこうなんて思わないことね」

「さようなら。卑しい平民の小娘」


 外から開かれていたらしい扉の向こう側に、今度は早く行けとばかりに手で追い払われる。

 もはやお仕着せ姿ですらない私には、触れたくもないということなんだろう。貴族にはよくあることだ。だからそれは気にしないけれど。


「黙ってついてこい」


 部屋から出た先で待っていた男性は、怖い顔をしてこちらを見下ろしてきていたから。


 "貴族には逆らうな"


 その言葉を思い出して、素直に頷いて。歩き出したその人からはぐれないように、必死にあとを追う。


 きっとこの人は、こっちのことなんて微塵も考えていない。歩く速度もこちらが小走りになる一歩手前ぐらいだというのに、一向に振り返る気配も速度を落とすこともなかったから。


 周りを見る余裕もなく、ただひたすらに前を行く背中を追いかけて。その間ずっと、鞄は強く抱き込んだまま。

 今の私には頼れるものも縋れるものも何一つないから。そんな不安を押し込めるかのように、強く強く胸に抱いて。中身のほとんどない鞄が潰れそうになるのも構わず、ただ夢中で歩き続けた。


「ここをまっすぐ行けば平民街まで続いている。あとは勝手にしろ」


 お城の入り口付近まで来て、男性はそう言うと。こちらを一度も見ることなく、元来た道を引き返して行ってしまった。


 残された私は、しばらくその後姿を見ていたけれど。ふと高すぎる天井を見上げて、小さくため息を吐いて。


「……行こう…」


 緊張の連続に強張っていた体の力が、ようやく抜けたのを感じて。言われた通り、私は真っ直ぐに歩いていく。

 途中城門のようなところで、門番が立っているのが見えたけれど。出ていく人間に対しては特に何も警戒していないのか、こちらの姿を確認しただけだった。


 そうして私は殿下の視察についていったあの日以来、初めてお城の外に出て。

 ふと振り返って、その大きさに今更ながら驚く。


「…………あんなところに、さっきまで自分がいたなんて……」


 下った階段の距離からして、大分高い場所にいたんだろう。

 でもそれもそのはず。だって私が仕えていた相手は、王弟殿下なのだから。


「この国で二番目に、偉い人……」


 仕事ばかりして、時折食事や睡眠も疎かになるからと連れてこられた私は、ちゃんと何か出来ていたのだろうか?


 セルジオ様や他の方たちの負担を、少しでも減らすことが出来ていたのだろうか?


 あの優しい淡い色をした瞳の人は、ちゃんと……


「っ…」


 泣きそうになって、思わずうつむいてぎゅっと目を瞑る。こんな往来で、みっともなく泣くわけにはいかないから。


 けれどどうしても、心に引っかかってしまう。


 だって。


「さよならも、言えなかったっ……」


 そう。

 さよならも言えずに。


 ただこんな風に、連れてこられた時と同じように唐突に。


 始まりがいきなりだったから、終わるのもいきなりだと言われてしまえば納得以前に飲み込むしかない。それが平民わたしなのだから。


 感謝の言葉も別れの挨拶も、何一つ伝えられないまま。ある日突然終わるだけのこれは一体、何だったんだろう。


 考えて立ち尽くしたいけれど、現実はそう甘くはない。もうすぐ夕方になってしまう。

 その前に今日の宿も探さないといけないし、何より鞄の中のお給金は金貨ばっかりだったから。どこか金貨を使えるような場所で買い物をして、お金を崩さないとまともに使えない。


「……服とか、買わなきゃ…」


 基本的に何も必要ないからと、ほとんど着の身着のままでお城に連れてこられたから。この鞄の中には、まともに食べ物どころか服も下着も入っていない。


「少しいいものを扱ってるブティックに入って……あと外套も買わないと…」


 現実を見始めると、涙なんて流している場合ではなくなるから。これからすべきことを考えながら、それでも未練がましくもう一度大きなお城を見上げて。


「……殿下の執務室の窓から、外の景色を見ておけばよかったなぁ…」


 思わず零れた言葉は、今この状態になってまであの優しい淡い色を思い出しているからなのか。

 でもあの時は仕事のことばかり考えていて、執務室がお城のどのあたりにあるのかなんて考えたこともなかったから。


「見ておけば、少しくらいはどのあたりだったのか分かったかもしれないのに…」


 そんな風に、思うけれど。


 同時に、知らなくてよかったとも思ってしまう。


 だってもし知っていたら、その辺りにばかり目が行ってしまって。こんな風にお城全体を眺めてなんてしていなかっただろうから。


 そんな風にバカなことばかりを考えている思考を振り払うために、一度大きく深呼吸をする。

 もうここからは、明日を迎えるためのことを考えないといけないから。


「よっし、行こう」


 まずは金貨を使えるお店探し。そのあと食堂か酒場のある宿を探して。この先どうするのかを考えるのは、それからにしよう。

 どうせ来年には成人して孤児院を出る予定だったんだし、教会には戻らずに少しぐらい自分で何とかすることを覚えないと。そのためのいい機会だと思えば、きっと大丈夫。


 もう一度見上げたお城の、どこかにいるであろう人たちに向かって一度だけ頭を下げて。


 私は今度こそお城に背を向けて、一人で歩き出したのだった。




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