第16話 声の主

 ──誰かに呼ばれている。

 

 その場を離れることに、躊躇いはなかった。迷子はメルに任せておけば大丈夫だろう。

 広場を出て、大通りを横切り、幾度も道を曲がって、ひとつの建物の前で、クリスティンは立ち止まった。

 

 ──ここだ。

 三階建てのさびれた廃墟。外壁には穴が開いていて、今にも崩れてしまいそうな建物である。

 

 ここから聞こえてくる!

 

 出入り口が閉まっていたので、窓から侵入した。

 中はがらんとしていて、誰もいなかった。

 

 声はさらに強くなる。

 薄暗く、蜘蛛の巣の張った一階には、廃物以外、何も置かれていない。

 

 クリスティンは階段を上った。

 足を置くたびに軋み、いつ崩れてもおかしくない代物だ。冷や冷やする。

 

 二階にもガラクタのほか、何もない。


(でも……この階だわ。ここから感じる!)


 小さな窓と穴から、僅かな光が差し込んでいる。

 埃まみれの床を移動し──クリスティンは扉の前で止まった。

 

 この中。

 ノブを掴むが、扉は開かなかった。

 

 すると内側から、声が聞こえた。

 そこから離れて、と。

 さっきからずっとクリスティンを呼んでいたのと同じ声だ。


 どこか懐かしくも感じる……?

 

 クリスティンが扉から離れれば、爆発のようなすごい音を立てて、扉が吹っ飛び、建物が揺れた。


(!?)


 崩壊しそうである……。

 クリスティンが慄いていると、中から手足を縛られた子供が、這いずりながら出てきた。


「!」


 クリスティンは子供の前まで走り寄った。

 子供は口を布で塞がれている。

 

 七、八歳くらいの白銀の髪の子供は、クリスティンを見上げ、大きな瞳にぷくりと涙を膨らませた。


「大丈夫、すぐに解いてあげるから」


 子供はこくん、と頷く。

 覆われている布を取る。

 顔が全てみえれば、とても綺麗な顔立ちをしていることがわかった。


「ありがとう……」

「一体、どうしてこんなところに。何があったの?」

「人買いに捕まったの」


(人買い……!?)


 非常に可愛らしい子供なので、目を付けられ、捕まってしまったのか。


「安心して。助けてあげるわ。あなたのお名前は?」

「名前は……ないの」

「名前がない……?」


(ええ……!?)


 ないとは、どういうことだろう。

 そのとき、後ろで声がした。


「おい、何してんだ!? すげぇ音がして来てみれば! 勝手に商品に……」


 振り返ると、二人の男がいた。

 髭面の男と、図体の大きな脂ぎった男。

 髭男が言う。


「ん? この娘、信じられんくらい上玉じゃねーか……!」

「これも商品になるなあ!」


 二人の男は、顔を見合わせ、にたりと下劣な笑いを浮かべる。

 クリスティンは立ち上がり、子供から離れた。


「売って、変態爺のペットにしてやるよ」

 

 そう口にした図体の大きな男の頭を蹴り上げる。


「!?」

 

 男は、もう一人の髭面の男に倒れかかり、二人は階段を転げ落ちていった。

 

 古い階段は、がしゃがしゃと音を立てて、半壊する。


「……降りられるかしら」


 クリスティンは下を覗き込んだ。

 なんとか、ギリギリ持ちこたえている。

 まさか階段からおちるとは。


「どうしましょう」


 命まで奪うつもりはなかったのだが。

 ぴくぴくとまだ動きがみられる。

 一応生きてはいるようだ。

 

 クリスティンは子供の元に戻り、暗殺者対策で持ち歩いているダガーを取りだした。

 縛られていた手足の紐を完全に切る。


「さ、ここから出ましょう。この建物、今にも崩れそうだわ」

「うん」 

 

 クリスティンは子供を抱っこして、階段を慎重に降りる。

 崩れても、子供に怪我がないよう、守るように抱きしめる。

 

 なんとか降り終えて、外に出た。

 建物から少し離れれば、屈んで子供と目線を同じにする。


「ちょっと待っていてね?」


 その子が頷くのを見てから、クリスティンはもう一度建物内に入った。

 謎の爆発で、今にもこの廃屋は崩壊しそうである。男らは瓦礫に埋まってしまうかもしれない。

 どうなろうが知ったことではないが、生きて罪を償ってもらわなければ。

 

 倒れた男たちをずるずるとひきずって外に出す。

 当分意識は戻りそうにない。捕獲まで、転がしておけばいい。 

 

 子供のところに行き、クリスティンは尋ねた。


「本当に、名前がないの?」

「今はないの」


 今は?



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