第52話 あなたと共に

 王宮で皆と会った数日後に、メルは帰国した。

 春休みが明けるまで、まだ日がある。

 屋敷で早速稽古をしたあと、クリスティンは彼と庭を散歩した。


「メルは皇子様だったのね……」

 

 涼しげな立ち姿も、心地よい声も、綺麗な顔立ちも、プラチナブロンドの髪も、煌めく濃紺の瞳も、以前と変わったところはない。


「実感が湧きません」


 背中だけではなく、脚の付け根にもアザがあり、二つのアザがギールッツ帝国の皇妃の証言から、誘拐された皇子のものと完全に一致した。

 更にメルは、若い頃の皇帝そのままだったらしい。

 両陛下は、会ってすぐにメルが息子だと確信したようだ。

 メルは学園内でしばらく女装をしていたので、背のアザを見るまで、ルーカスはまるで気づかなかったようである。


 本来ならば、皇太子はルーカスではなく、メルだ。

 メルは皇子として身分を正式に取り戻すことも、公表することも拒否し、ギールッツ帝国から帰国した。


「あなたを皇太子として迎えたいと、両陛下からもルーカス様からも言われたんでしょう?」


 ルーカスから、その辺りの事情を聞いた。

 メルの決断をルーカスはひどく残念そうにしていた。

 

 ルーカスが留学したのは、勉強のためだけではなかった。

 帝国の宮廷占星術師より、リューファス王国の王都に兄皇子がいると聞き、兄を捜すためにやってきていたのだ。

 幼少時から、彼は一つ上の兄を非常に慕っていた。

 兄にも魔力があるから、リューファスの王都にいるのであれば、法により魔術学園に入学するはず。それで留学を決意したのだ。


 ルーカスは一学年上を隠密に捜していたが、メルはクリスティンに合わせ、二年入学を遅らせ、更に女装もしていた。そのため、みつけることができなかったのだ。


「私は公爵家に拾ってもらい、今、ファネル家の使用人です。クリスティン様の近侍なのです」

「でも」

「私はクリスティン様のお傍にいたいのです。身分が公になれば、帝国で暮らすことになるでしょう。クリスティン様とお会いできなくなります。私はあなたからもうひと時も離れたくはないのです」

「メル……」

 

 クリスティンは胸がきゅんとした。

 泣きそうになり、立ち止まると、彼も足を止めた。

 

「皇子だと判明したのだし、帝国側はあなたをこのまま放っておかないんじゃない……?」

「クリスティン様は私が、隣国へ行き暮らしたほうが良いと?」


 行かないでほしい。傍にいてほしい。いつまでも。


 だが──。

 両陛下とルーカスは、彼に皇太子として戻ってきてもらいたいと思っている。

 メルを説得してほしいと、ルーカスから頼まれている。


 本当はメルも、家族や生まれた国が気になっているのではないだろうか。

 彼の居場所は本来、そこにこそあるのだから。


 クリスティンは、傍にいてほしいという自分の気持ちを心に押し込めた。

 もし……メルにもう会えなくなるのだとしても。

 彼が最も幸せになる道を選び、進んでほしかった。誰よりも愛しているから。


「あなたにとっては、そのほうが良いんじゃないかしら」


 彼は沈黙し、クリスティンの手を握った。


「クリスティン様……私のことを考えてくださるのでしたら……あなたと結婚することができるのでしたら……私はギールッツ帝国に参ります。あなたが私と来てくださるのなら」

 

(メルと……一緒にギールッツ帝国に……?)

 

 クリスティンは、虚を衝かれてメルを仰いだ。


「私と結婚してください」

 

 想いを注ぎ込むように、ひたむきな瞳で見つめられ、クリスティンは彼から視線を外せなかった。


「結婚……」

「はい。私と隣国に来てくださいますか」

 

 彼の愛情が心に染みわたって、涙が出た。

 クリスティンは、熱く震える胸を押さえる。

 

「行くわ……あなたと結婚します」 


 こくりと頷くと、彼は信じられないといったように、呆然としていた。


「……本当ですか?」

「本当よ……どうして嘘だと思うの?」

「……十二歳の頃から……クリスティン様は将来の王妃になるのを、とても嫌がっておられましたから……。私の数奇な運命に付き合っていただけるのですか……」

 

 クリスティンも彼とは事情が違うが、数奇な運命のもとに生まれた。

 ゲームの続編なのかはよくわからないけれど、自分がこの世界に転生を果たした意味──宿命は、もしかすると彼を殺させず生かし、本来の場所に戻すためなのではないだろうか。それで召喚されたのかもしれない。

 

 メルは幼子のように、途方に暮れたように瞬く。


「私が皇子の身分となってしまえば、あなたに避けられてしまうだろうと、帝国に行った際、身分を戻すことを全力で拒否したのです」

 

 クリスティンは笑みが零れた。


「アドレー様との婚約を嫌がっていたのは、彼との結婚を全く望んでいなかったから。婚約破棄されると思っていたし、彼を恐れていたの。でもわたくし、メルのことを信頼しているし、愛しているわ。他の誰でもなく、あなたと結婚したい。メルと一緒にいたい」

「クリスティン様……」


 メルはクリスティンを引き寄せ、胸のなかへ包み込むように抱きしめた。

 

「ギールッツ帝国に行きます。あなたを連れて。生涯あなたをお守りいたします」


 クリスティンもメルを守る。

 

 彼と一緒であれば、何があっても、どんな未来であってもきっと乗り越えられる。

 

 大好きなひとと今、心を通わせ、共にいる。

 この世界に転生してから、クリスティンは今最も幸せだった。


 瞼を閉じて、彼の唇を唇に受け、溶け合うように深く口づけを交わした。


「──あなたを愛しています。心から」









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最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございました!

これにて完結となりますが、番外編等、追加予定です。

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