第385話 老兵は死なず(その7)
「えっ?」
今はなきアステラ王国黒獅子騎士団(天馬騎士団と合併して王立騎士団に改組された)に所属していた元兵士たちがどよめいたのは、かつての上官であるティグレ・レオンハルトがいつの間にか馬にまたがっていたからだ。それだけではなく、「アステラの猛虎」の巨体から立ち上る熱気は晩夏でもひんやりした夜の森の空気を急速に温めていき、老将軍を乗せたやはり年を取った駑馬までも主人につられて威厳らしきものを漂わせ出していた。数年前に一線を退いたとは思えぬ隻眼の騎士のオーラに退役軍人たちがたじろいで何も言えずにいると、
「まだ戦いは終わってはおらぬ」
思いがけないことをつぶやいた。
「神聖なる国土を侵そうとした外敵を退散させるのには成功したが、このアステラを内側から食い荒らさんとする寄生虫はいまだに健在だ。畏れ多くも国王陛下の
よって、と片目を白刃のごとく鋭く光らせて、
「これより直ちに王都チキへと帰還し、逆賊を討伐することとする。われら老いぼれがわが国の未来を若人たちにつなげる、最後の奉公として申し分のない務めである」
レオンハルト将軍に国境の守備を依頼した折りにリブ・テンヴィーが、
「わたしもやれるだけのことはやるつもりです」
と美貌に決意を滲ませていたのを「猛虎」と称される男は忘れようもなく記憶していた。詳しい事情まで聞いてはいなかったが、女占い師もまた戦いに赴くつもりなのを戦士の直感はしっかりキャッチしていた。そして、彼女だけでなくセイジア・タリウスも、将軍の息子であるシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズが率いる王立騎士団も国難に懸命に立ち向かおうとするだろう、というのを根拠はなくても確信していた。マズカ帝国軍を追い払った老体に疲労が重くのしかかってはいたが、ゆっくり休んでなどいられない。生きている限りは動き続けるしかないのだ、と一代の英雄は新たなる戦場に向かう意思を固めていたが、彼の言葉を受けた老兵たちの反応がいまひとつ芳しくないのに気づいた。
「いきなりそんな事を言われても」
「なあ」
古ぼけた鎧を身に着けた男たちは顔を見合わせる。湿った小枝に火をつけようとしても燃え広がらないように意気が上がらないのを訝しく思ったが、
(気持ちが切れたか)
すぐにその理由に思い当たった。おそらく、将軍が帝国の若武者トール・ゴルディオとの一騎打ちに勝利を収めた時点で、戦いは終わったものと安心してしまったのだろう。数十年前の現役バリバリの頃ならば心の緩みを厳しく指摘したところだが、
(無理もない)
ティグレ・レオンハルトは元部下たちを責める気持ちにはなれなかった。死に場所を求めてやってきた、と口先で勇ましいことを言っても、いざとなれば命が惜しくなるのは人間の自然な習性であり、「本能を乗り越えろ」と騎士でなくなった者に要求するのは酷だ、と思い至ったのだ。失望の入り混じった息を馬上にて吐き散らしてから、
「先に行く」
とだけ言い残して、「アステラの猛虎」はただ一騎で南へと駆け出し、元騎士たちは疾風のごとく走り去る大きな影を止めようもなく呆然と眺めるしかなかった。
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