第377話 メイドの本分(前編)

「むっ?」

老騎士が驚き、

「ああっ?」

彼に従う退役軍人たちが叫んだのは、トール・ゴルディオが突然意識を失ったのに加えて、後ろ向きに倒れ込んだ帝国の若武者を一人の女性が受け止めたからだ。乳を溶かしたような白い肌、糸のように細く閉じられた眼と夜の闇に鮮やかに映える赤い唇、平時ならば周囲を魅惑してやまないはずの美貌は殺伐とした闘争の場にあってはどうにもちぐはぐな印象を与えてしまっていたが、それ以上に彼女が身にまとった黒のロングスカートと白のエプロン、そして同じく白いヘッドドレス、すなわちメイドの制服こそが最大の違和感を生じさせていた。しかも、

(あの女子おなご、かなりの使い手だ)

隻眼の戦士は謎の女性の本性をすぐに見抜いていた。「魔神旋風」という大技で暴れまわったトールをいとも簡単に眠らせた腕前を認めたわけだが、リーダーが失神したにもかかわらず鉄鯱騎士団の団員たちに動揺は見られず、「ああ、やっぱりか」と受け入れたくない現実を認めざるを得ない鬱々とした雰囲気が漂っていた。それというのも、彼らは団長に付き従う侍女の強さを嫌と言うほど知っていたからだ。男所帯の騎士団の紅一点、しかも見るからに肉感的な美女が身近にいるというのは、野獣の鼻先に新鮮な肉を突きつけるのと同じことで、欲望に突き動かされた男たちは、トールが不在の隙を衝いてビリジアナという名を持つメイドにけしからぬ真似をしようとしたのだが、

「ご無体なことをされては困ります」

なんと、彼女は騎士たちを手もなく撃退してみせたのだ。平均を上回る腕力を持つ男たちに大勢で囲まれても顔色一つ変えることなく全員叩きのめし、死んだ方がマシだと思える耐えがたい苦痛を味あわされた野郎どもは二度と劣情を抱かないように躾けられ、そのためなのか鉄鯱騎士団はマズカ帝国でも最高の規律が保たれた軍団として名を馳せることとなった。どういうわけかビリジアナは自分の真の力を主人には知られたくないようで、

「トール様にはくれぐれもご内密に」

と団員たちに頼んできて(頼まれた方は強要と受け取ったのだが)、騎士たちとしても自分たちの恥が広まるのは御免蒙りたかったので進んで申し出を了承した。そういう事情もあって、鉄鯱騎士団の中でメイドの強さを知らないのは軍団を率いるトールひとりだけという奇妙な事態になっていて、あるとき一人の団員がビリジアナを恐れる素振りを見せると、

「おかしなやつだ。慎み深くおとなしいビリジアナをどうして怖がることがある」

と若い団長は笑い飛ばし、

「知らぬは本人ばかりなり」

「ある意味幸せなお方だ」

と部下たちは顔を見合わせるしかなかった、という笑えるのか笑えないのか判断に困るエピソードもあったりした。それはさておき、

「わが主トール・ゴルディオは未熟者であるゆえ、至らぬ点が多々あったことをどうかお許し下さい」

ビリジアナは失神した若者を腕の中でしかと抱きしめながら老将に詫びると、

「事前の約束通り、われらマズカ帝国鉄鯱騎士団は直ちにこの場から引き上げます」

と夜啼鳥を思わせるよく通る可憐な声で告げた。

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