第358話 帝国騎士団、南へ

物語の時間を少し巻き戻し、視点を別の場所へと変える。


月さえも眠る暗い夜に、騎乗した集団が南へと駆けていた。左右を背の高い樹々に挟まれた細い山道をかなりの速度で疾走する馬にまたがった乗り手は一人残らず鎧を身にまとい、荒れた外海の波濤のごとく鳴り響く足音の合間に、装甲と武器のこすれ合う金属音が聞こえてもいた。この一群こそが、マズカ帝国が誇る八大騎士団のひとつ、鉄鯱騎士団の面々だった。

「まったく。どうして我々がこんなことをしなければならないのか」

隊の先頭に立つ騎士がぼやく。声からして若い男だと容易に推測できたが、露出した幼さの残る顔立ちを見る限りではまだ成人に達していない少年としか思われなかった。だが、彼は現在21歳のれっきとした大人であり、鉄鯱騎士団を率いる団長でもあった。

「昨日の昼間にいきなり呼び出されたかと思えば、夕方には出発する羽目になって、そして朝までにアステラの都へ到着するために、こんな夜中に走り続けなければならぬとは」

トール・ゴルディオ。それがこの愚痴が止まらなくなった若者の名前である。神話上の英雄オデロを祖先に持つとされるゴルディオ家は過去に何人もの将軍を輩出した名門であり、その家の次期当主であるトールも将来を大いに期待されていた。小柄な少年がかぶっている兜に見るも恐ろしげな怪物の形相がかたどられているのは、かつてオデロが退治した巨大魚ヴォルカをモチーフにしているからで、「鉄鯱騎士団」という名称もまたヴォルカに由来している。トール自身も栄えある家柄に生まれたことを、そして2年前にまだ十代でありながら騎士団長に抜擢されたこともまた誇りに思っていたが、今夜ばかりは我が身の不運を嘆かずにはいられなかった。

「トゥーイン殿とあのいまいましいグリンヴァルドがいながらまだ十分ではないとはどういうことなのか」

トールにアステラ王国に行くように命じた参謀総長からある程度の事情は説明されていた。ソジ・トゥーイン率いる大鷲騎士団が合同演習のために王国まで遠征をしているのは知っていたが(2、3カ月おきに演習をしているので「ずいぶん頻繁だな」と不思議に思っていた)、ザイオン・グリンヴァルド率いる荒熊騎士団も王国へと入り込んで秘密作戦を実施していたとは知らなかったので、話を聞いたときは声に出して驚いてしまったものだった。

なのだから、そなたが知らなくても無理はない」

顔中が傷跡だらけの参謀総長は孫にあたる年齢の騎士団長に平坦な口調で語りかけたのに、トールはおのれの未熟さを指摘されたように思って俯いてしまう。他の7人の団長に比べてずっと年若であるのをいつも引け目に感じている騎士は些細なことで落ち込んでしまいがちでもあった。

「マズカの黒鷲」と呼ばれる帝国随一の勇士トゥーインは20歳近く年下のトールを見下すことなく接してくれたので、少年と青年の狭間にある若者も心から尊敬していたが、「熊嵐」ことグリンヴァルドは露骨に舐めた態度を取って、

「子供は家に帰って寝ていろ。うろちょろされると目障りだ」

と会うたびに罵倒されるのが常だった。もちろん頭に来ないわけがなかったが、身長も体重も大幅に上回る屈強な肉体の持ち主に対してゴルディオ家の嫡男はろくに反論も出来ないまますごすご逃げ去って憎悪を募らせることしかできずにいたのだ。聞くところによると、大鷲騎士団の任務を荒熊騎士団が助ける予定だったのだが、どういうことか遠方のグリンヴァルドと連絡が取れなくなったので、トールたちが代わって役割を果たすことになったのだという。

「あのデカブツのおかげでとんだとばっちりだ」

と若き鉄鯱騎士団長は「熊嵐」に罵詈雑言の限りを尽くしたのだが、彼が幾ら憎んでも飽き足らない巨漢がこの時点で既にセイジア・タリウスに討ち取られていた事実を知るはずもなかった。そして、

「アステラの王都チキまで急行し、大鷲騎士団と合流した後に直ちに本国へと帰還せよ」

というのが鉄鯱騎士団に与えられた任務だが、「何が何やら」と団長であるトールも首を捻らざるを得ない。急いで王国まで行ったかと思えば帝国へとんぼ返りする意味がさっぱりわからなかったうえに、

「詳しい話はトゥーインから聞くように。行けば分かる」

としか総長は語ってくれなかった。そんな無責任な、と若い騎士は呆れてしまうが、彼が生まれる前から戦場で生きてきた老人からは反論を許さない雰囲気が漂っていて(トールが勝手に感じ取った、と書くのが正確だろうか)、しつこく食い下がるのも男らしくない、というか騎士らしくない気もして、口から出かかった質問を飲み込んで引き下がるしかなかった。

「ああ、嫌だ嫌だ。ぼくはこんなわけのわからないことをするために騎士になったわけじゃないぞ」

ぶつくさ文句を言いながらも、それでも使命を果たすために目的地へと向かい続けるところを見ると、トールは若いながらもそれなりに立派な騎士と言えるのかも知れない。

(いけない。こんなことを考えていたってどうしようもない)

ネガティブな思念に取り憑かれているのを反省し、深く息を吸い込んでから、

(ぼくは団長なんだ。みんなにみっともないところは見せられない)

背後に従う部下たちから力を貰ったような気がした若き団長は無駄口を叩くのをやめにして、手綱を握る手に力を込める。もっと強い男になりたい。誰からも馬鹿にされたくない。しっかりとした自信が欲しい。そんなひたむきな思いが、いまだ成長過程にある若者を困難へと立ち向かわせたのであるが、しかしながら、この先にいまだ経験したことのない苛酷な試練が待ち受けているとは、騎士としても人としても未熟なトール・ゴルディオに想像できるはずもなかった。


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