第338話 見えない侵略(その8)

「リブ、大変だ!」

いつになく慌てふためいた様子のセドリック・タリウスは最愛の女性に急ぎ足で近づくと、

「きみに言われた通りに新聞社まで行ったら、大変なことが」

息せき切ってまくしたてたが、間近で見るリブ・テンヴィーが困り顔をしているのに気づいて、「あっ」と自分が冷静さを失っていたのにも気づいた。国王や重臣たちの前で見苦しい姿を見せてしまった、と恥じ入る伯爵に、

「お使いごくろうさま」

と、そう遠くない日に彼に嫁ぐことになる美女は労をねぎらった。こんな素敵なひとを妻に迎えられる自分は何という幸せ者だ、とセドリックは一瞬で天に上るかのような心地になるが、

「それ、見せてくれない?」

リブのささやきで我に返る。「あ、ああ」とタリウス家の当主は右腕に抱えた新聞の束から1部だけ女占い師に手渡す。早速紙面を広げて確認してから「うんうん」と可愛らしく首を上下させたリブは、

「よくやってくれたようね」

満足げに笑い、

「これを陛下にお渡しして」

と小姓をみたび呼びつけた。「はい、只今!」とすっかり彼女に手なずけられた少年はぴゅーっ!と音が聞こえるほどの勢いで駆けつける。

「明日の朝刊でございます」

リブ・テンヴィーの言葉で「もうそのような時間か」と国王スコットは考える。新聞社は未明のうちに紙面を刷り上げ、夜明け前に配達を始めている、と世事に疎い温室育ちの青年でも一応知っていた。

「どうぞお読みを」

セドリックは政治家や官僚たちにも新聞を手渡し始めた。

「兄上、わたしにもひとつください」

妹のセイジアが手を挙げて求めてきたので、「うるさいやつだ」と面倒に思いながらも近づいて渡すと、

「さすがは兄上。新聞を配るのも上手なのですね。おみそれしました」

どういう褒め方だ、とタリウス伯爵は顔を赤らめてから、残部も配り終えてしまおうとその場を離れる。

「で、一体何が書いてあるんだ?」

いかにも興味津々といった様子になったセイが、印刷したばかりでインクが強く香る「デイリーアステラ」を読もうとすると、

「なんだと!?」

先んじて記事を読んでいたアステラ王が叫び、それに続いてあちこちからどよめきも聞こえてきた。戸惑いながら1面に目を落とすと、

「王国最大の危機! アステラを狙う黒い影!」

という見出しがでかでかと書かれているのが見えた。そして、1面と社会面の見開きには、

(さっきリブが言っていたことじゃないか)

他国からの有形無形を問わない多種多様な侵略行為にアステラ王国が現在進行形で見舞われている、という事実が図表で提示されたデータとともに迫力ある文章でもって

書き綴られていた。その末尾には「文責 ウッディ・ワード ユリ・エドガー」とあって、ワードなる人物には心当たりはなかったものの、

(あの眼鏡っ子か。うるさいやつだが、相変わらず読み応えのある文章を書くものだ)

取材と称してしつこくつきまとってきた小柄な少女記者ユリを女騎士は懐かしく思い出した。あの娘とも都を離れて以来長く会ってはいなかった。

「実に巧妙な書き方ですね。何処の国が攻め入ろうとしているのかをはっきり名指ししているわけではありませんが、読んだ人は間違いなくマズカだと考えるはずです」

同じように新聞を読んだアリエル・フィッツシモンズが感心する一方で、

(間違いなく姐御の差し金だ)

シーザー・レオンハルトはリブの後ろ姿を見つめながら、彼女が仕組んだ作戦の奥深さに気が遠くなる思いを味わっていた。「平和条約」の締結を阻止するために新聞社に情報をリークしたのだろう。生まれ育った国を素朴に愛する庶民が密約に賛同するわけもなく、猛反対が湧き起こるのはあまりにも明白だった。

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