第277話 女騎士さん、鼓舞する(その2)

(いい気味だ)

マズカ帝国大鷲騎士団副長ジュリウスの口から「ひひひ」と笑い声が漏れる。その顔も得意満面なはずだったが、包帯で巻かれてよく見えなくなっているのは、数日前にアステラ王国王立騎士団団長シーザー・レオンハルトにさんざん叩きのめされたからだ。シーザーの愛する女性を性的な冗談の種にするという、獅子の尾を踏む以上の愚行をやらかした当然の報いだと言えたが、もともと陰険な性格だったうえに大国の騎士団のナンバーツーという高い地位に驕り高ぶる男はすぐにでも仕返しすることだけを考えて、自らの振舞いを顧みることは全くもってなかった。そんな執念深いジュリウスは上官のソジ・トゥーインから「アステラ王立騎士団を捕えてひとつの場所に留め置くように」と命じられて、

(なんという幸運だ)

と心の中だけで欣喜雀躍したのは、その任務が彼を痛い目に遭わせた「アステラの若獅子」に復讐する機会にもなったからだ。もともとアステラを小国として見くびっていたので、田舎者どもをいじめればさぞかしいい気分になれるだろう、と実行する前から心が躍ってどうしようもなくなってしまったほどだった。そして今晩、アステラの騎士たちがまるで疑いことなくやすやすと誘い出されて、赤子の手をひねるよりもたやすく全員包囲されたのを見て、どんな喜劇コメディをみるよりも面白おかしい気分になって、「馬鹿をからかう以上の娯楽はこの世に存在しない」と腹を抱えて笑いたくなったものだ(人一倍見栄っ張りでもあったのでどうにかこらえたが)。

「マズカの黒鷲」が不在である今、現場の責任者であるジュリウスは練兵場に作り上げられたいくつもの人間の輪を離れた場所から眺めて、にんまりと笑みを浮かべる。円形になった騎兵たちの中には大勢の哀れな捕虜たちがいるはずで、その様子は見えなくても想像するだけで酒が進みそうだった。

(お楽しみはこれからだ)

しかし、人格破綻者の副長はこれだけでは満足できなかった。トゥーインから受けた命令はきっちり果たしたが、ジュリウス自身の欲望を十二分に満たしたとはまだ言えなかったからだ。彼はこの場でアステラの連中を全員始末するつもりでいた。もちろん、それは任務の範囲を超え、軍規違反として処罰に相当する行動であったが、「どうにでも言い訳はできる」と陰湿な性格の騎士は過去の経験から学んでいた。以前特に理由なく捕虜を皆殺しにしたときも「抵抗されたのでやむを得ず対応しました」と虚偽の弁明をしたところ何のお咎めもなかったので、今回もそのように説明すればいいと安易に考えていたのだ。何の力を持たない弱者を圧倒的な力でもって蹂躙することこそ強者の権利である、と倒錯した思想に取りつかれた帝国の騎士はとうとう我慢が利かなくなって、凶行に及ぶことに決める。「やれ」と一声かけるだけで全てが終わるのだ。たくさんの生命を思いのままに出来る全能感に満たされたジュリウスは半ば恍惚となりながら、

(ざまを見ろ、シーザー・レオンハルト)

この場にいない野蛮な青年に勝ち誇っていた。おまえの大事なものをみんな台無しにしてやる、と涎を垂らさんばかりに狂喜する男が、とうとう命令を下しかけた瞬間、

「へえ、もう夜なのにずいぶんにぎやかだな」

のんびりした声が聞こえてきて、思わず後ろを振り返った。見るとまだ若い女子が、

「なんだか気配がすると思って立ち寄ってみたら、妙なことになってるな」

立ったまま、しゃくしゃく、と林檎にまるごとかぶりついていた。長い金髪を仔馬の尾っぽのように垂らしたとても美しい娘だと灯がなくてもよくわかる。さっきまで影も形もなかったのに、いつの間にやってきたのか。

「貴様、一体何をやっている?」

ジュリウスの声にも動揺が表れていたが、

「ああ、すまない。行儀が悪いのは重々承知しているのだが、朝からずっと走りっぱなしでどうしてもお腹がすいてしまったんだ」

と言い訳しながらブロンドの女子は赤い果実に再びかじりつく。質問をはぐらかされた、と思い込んだ副長はかっとなって、

「貴様の食事などどうでもよいわ。どうしてここにいるのか、と訊いているのだ。ここは貴様のような部外者が入り込めるような場所ではない」

いきりたつ細面の男に、もぐもぐ、と頬を膨らませた謎の娘は、

「いや、実を言うとわたしはここのOGで、以前はよく使わせてもらっていたんだ。だから、完全に部外者というわけでもないんだ」

そう言われてよく見てみると、この女子は鎧を着ているうえに腰には長剣を佩いているのに気づく。確かに騎士の装いをしている、とここまで考えたときに、

(まさか)

一つの可能性に思い当たっていた。この物語の世界において、女性が騎士になることは稀であり、しかも彼女は実力者であるジュリウスとその側近たちに気づかれることなく背後まで接近してみせた以上、かなりの腕の持ち主だと考えざるを得ない。アステラ王国の手練れの女騎士、と言われて思い浮かぶ人物と言えばただ一人しかいない、と驚愕するあまりたちまち汗だくになった大鷲騎士団副長がさらに問い質そうと口を開くよりも先に、

「こんなところにいたのか」

さらなる登場人物が新たに現れた。最初に現れた女子とは別個の美しさを誇る短い黒髪の娘が足早に近づいてくる。彼女もまた装甲に身を固めているあたり、やはり騎士なのだろうか。

「寄り道なんかしている場合か。急ごう、って言ったのはおまえじゃないか」

ぷりぷり怒る黒いショートヘアーの娘に、

「まあまあ、ナーガ。あれを見てみろ」

ポニーテールの女子は練兵場の真ん中を指さす。ナーガと呼ばれた娘が「ごまかすんじゃない」と文句をこぼしながらも首を巡らせると、

「おい、あれは」

たちまち表情が真剣なものになった。2人の女騎士の視線の先では、騎兵たちが輪を描いている。ただの演習ではない、とナーガ・リュウケイビッチは当然見抜いていたが、

「ああ、そういうことだ」

金髪の騎士―セイジア・タリウスはつまらなそうな顔で、がりり、がりり、と林檎の芯をかじりながら答える。どんな食べ物でも最後の一片まで無駄にはしない、というのは戦場で学んだ心得だった。そして、

「今から大量虐殺が始まろうとしているところへ、わたしたちはたまたま通りかかったらしい」

やはりつまらなさそうな声でセイはつぶやいた。

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