第274話 女騎士さん、参上する(中編)
「それならよかった」
王から許しを得たのに満足したセイジア・タリウスはくるりと振り返って、
「シーザーとアルもしばらくぶりだな。元気にしてたか?」
とかつての同僚と腹心に訊ねる。2人の騎士にとっても恋する女子との再会が嬉しくないはずもなかったが、文字通り生命の危険を背負っていることもあってまともに受け答えができずにいると、
「しかしだなあ」
女騎士もこのシチュエーションは当然お見通しだったようで、
「栄えある王立騎士団の団長と副長が揃いも揃って、こうもやすやすと背中を取られているようでは、我が国の守りも危ぶまれるというものだ。わたしもおちおち安眠してはいられなくなる」
まだまだ修行が足りないぞ、と容赦なく指摘された男たちは恥じ入るしかない。彼女の不意の登場がなければ、今頃は王宮のよく磨かれた床の上で血まみれで倒れていたかもしれないのだ。
(みっともないところを見られちまった)
(とてもかないませんね)
シーザーとアルにとって心臓を狙う矢よりもセイの視線の方がよほど恐ろしいのかもしれなかった。2人が十分に反省していると見て取ったのか、金髪の騎士は「うむ」と満足げに頷いてから、
「しかし、この場合は仕掛けた側を褒めるべきなのかもしれないな。『アステラの若獅子』と『王国の鳳雛』をまんまと罠に嵌めるのは、なまなかの腕前ではできることではない」
と言いつつ二本の矢を番えた弓を構えた帝国の騎士の方を向いて、
「『黒鷲』殿とはいつ以来になるのかな? かつての戦のときに共同戦線を組んだり、作戦会議に出たり、何度か顔を合わせる機会はあったが」
ご無沙汰でした、と以前友軍として共に肩を並べて戦ったこともあった弓矢の名人に向かって久闊を叙した。友人たちを殺そうとしている相手にのんきに挨拶する女騎士に周囲は驚いたり呆れたりするしかなかったが、
(これがセイジア・タリウス!)
声をかけられたソジ・トゥーイン自身は心に荒波が立つのを感じていた。彼女の言った通り、数年前まで続いていた戦争の際に直接会ったことがあり、話をしたこともあって、「マズカの黒鷲」自身は、
「すぐれた戦士だ」
と当時から「金色の戦乙女」を高く評価していた。と言っても、その評価には「女だてらに」「若輩の身にしては」といった具合に前置きが必ずついていて、自らに比肩しうる存在だとはみなしてはいなかった(それだけに彼女が独力で戦争を終わらせた際には少なからず驚いたものだった)。しかし、時を隔てて再び相見えた今のセイを見た黒い髭の男は愕然とせざるを得ない。当時の彼女が漂わせていた幼さや青臭さというものが抜け切って完全な大人へと成長していたからだ。一人前どころか二人前、三人前と言っても十分と言えるかどうか。男子のみならず女子もまた三日会わざれば刮目すべき存在なのかもしれなかったが、
(この娘は危険だ)
即座に断定したあたり、ソジ・トゥーインを一流の騎士と認めるべきなのだろう。今回の「平和条約」の成立にあたって、帝国の未来に関して、そして何より自らの運命にとっても大きな妨げになる存在だ、と直感していた。そのように感じた理由はわからない。しかし、根拠のない第六感に導かれて人生の苦難を何度も乗り越えてきた男は、セイの脅威を認識すると同時に標的の変更を決断する。何をおいてもセイジア・タリウスを最初に抹殺しなければならなかった。「
ずんっ!
重い衝撃が彼の頭を揺らし、セイジア・タリウスを葬り去るはずだった死の投擲は未完のままに終わる。
(撃たれた?)
つやのある黒い髭を震わせてトゥーインは呻き声を辛うじて飲み込む。予想外の反撃に遭ったのを、しかも自分が最も得意とするところの射撃でもって先手を取られたのだから、甚大なショックを受けて当然というものだった。眉間を貫いた矢が脳髄を攪拌し後頭部に抜けたのをまざまざと感じたが、そんな目に遭った人間が生きていられるわけがなく、死んだはずの自分は今もなお明々と照らされた広間の照明の下で立っていて、しかも破壊されたはずの頭部も依然として無事で、異物の存在もまるで感じなかった。そんな馬鹿な、夢か幻でも見たのか、と混乱の極みにある「黒鷲」がふらつく身体を立て直して、新たなターゲットへと視線を戻した瞬間に、今しがた起こった異変の真相に気づく。
(まさか、こいつの仕業か!?)
セイジア・タリウスがこちらを見つめていた。凍てつきそうなほどに青く澄み切った瞳で、自分を撃とうとした帝国のハンターを睨み返した、彼女のやったことはただそれだけだった。しかし、その視線には紛うことなき殺意が込められ、それがトゥーインの頭を射抜いた、というわけである。人の意志はいかなる
「貴殿の命を奪うのはたやすいが、陛下の見ている前で荒事を演じ、流血の沙汰に及ぶのは一応慎んだ方がいいだろうからな」
ふん、と鼻で息をついてから、セイは感情をどこかに置き忘れたかのような声で告げ、「やはりこの女がやったのか」と帝国の騎士は自らの推理の正しさを認識させられる。
「それに今は他にやらなければいけないことがあるんだ」
と言ってから金髪の女子は「マズカの黒鷲」の手元に目をやって、
「そのおもちゃをしまって即刻この国から出ていくがいい。貴殿の相手をしている暇はない」
シーザーとアルを始末するためにひそかに隠し持っていた小型の弓を小馬鹿にされたトゥーインの顔がたちまち朱に染まる。帝国で地位も名誉もほしいままにしてきた騎士団長が「今日のところは大目に見てやる」とコソ泥同然の扱いを受けたのだ。命を取られる以上の屈辱と言うべきだったが、格の違いを見せつけられた男は何もできず何も言い返すこともできず、白目を赤くして怒りに打ち震えるしかない。
(一体何が起こった?)
シーザー・レオンハルトにもわからない以上、水面下でひそかに死闘が繰り広げられていたのを他の誰にもわかるはずがなかったが、堂々と胸を張る女騎士と背中を丸めて俯く美髯の騎士、いずれが勝者でいずれが敗者なのかは誰の目にも明らか、と言うべきだった。見えない戦いの決着は既についたのだ。
かくして、セイジア・タリウスとソジ・トゥーインの最初の勝負は互いにひとつも手を出すこともないままに、女騎士の圧勝に終わったのであった。
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