第267話 激動の宮廷(その9)

興奮のあまり玉座の左右の手すりを強く握りしめて俯いたアステラ国王に、

「あのなあ、陛下」

シーザー・レオンハルトが呼びかけた。君臣の別どころか上下関係も無視した言動だったが、この騎士団長が階級は違っても同世代の人間に対して親身になろうとしているのが伝わってきて、生まれの貧しい無作法な青年を嫌っていた侍従長も悪いようには思わなかった。今の王を説得するのは幼い頃から彼をよく知る自分でも無理だと諦めかけていたのだ。そして、シーザーは息を深く吸い込むと、

「おれらは陛下のやろうとしていることを悪いだなんて思っちゃいないぜ? 世界が一つになるのも、平和になるのも大いに結構じゃねえか」

勝手に「おれら」の中に入れられた政治家や官僚たちも特に異議を唱えることはなく、「アステラの若獅子」の次なる言葉を待ち受ける。

「ただひとつ、そんな大事な話をあんたと宰相殿の2人だけでこそこそ進めていたのがおかしい、って言ってるだけなんだ」

王様を「あんた」呼ばわりするとは、不敬罪を何度適用しても足りない、とアリエル・フィッツシモンズが整った顔を青ざめさせるが、少年の上官は語り掛けるのに夢中で他の何物にも気づきはしなかった。

「何故隠していたのか。もしかして、みんなには言えないやましいことでもあったのか?」

そう言われた瞬間、国王スコットはかっとなって顔を上げていた。さっき言ったではないか。みんなのために正しいことをしようとしているのだと。どうしてわかってくれないのか、とむきになった若い君主は言葉を荒げかけたが、

「それとも、おれらが信用できなかったのか?」

シーザーの悲しげな声が聞こえてきて口を噤まざるを得なくなる。それだけでなく、夜中の急な呼び出しに駆け付けた家臣たちの顔がよく見えて、王は自らの過ちに気づく。誰ひとりとして主君を責めようとはしていないのが伝わってきたのだ。突然の出来事に戸惑い、蚊帳の外に置かれていたのに失望した、嘆きと寂しさに満ちた表情だ。

(皆、こんな余に忠誠を誓ってくれている)

おそらくこのまま条約の締結を推し進めても、彼らは逆らうことはないだろう。先程反対意見を述べたシーザーにしてもアルにしても、一度決まった国家の政策には逆らわず従ってくれるはずだ。しかし、そこまでしてやるべきことだろうか? と計画の実現に動き出してから初めてスコット王の中に迷いが生じた。正義と幸福のためなら多少の無理は致し方ないと思っていたが、忠実な家来の制止を無視して我を押し通そうとするのは、彼が最も忌み嫌っていた暴君の所業そのものではないか。

(こんなのは嫌だ)

とスコット・ルピオ個人としては思っていた。しかし、王の後継と定められた日から自分自身の気持ちを殺すのが習慣のようになっていた若者は思いのままには動けはしなかった。今の自分はアステラの王であり、統治者としてなすべきことこそを最優先とすべきだった。だから、

「レオンハルトよ、そなたの意見は実にもっともだ。余に至らぬ点が多々あったことは確かだ」

しかし、と前段を翻して、

「前にも話した通り、この条約を先延ばしにすることはできぬ。明日、余はマズカへと出発し、帝都ブラベリにてマズカの帝とマキスィの統領と調印式に臨むことになっている。今更、取り返しはきかぬのだ」

そこまで話が進んでいたのか、と人々が愕然とする中で、

「そんなの、謝っちまえばいいじゃないですか。『こっちの事情で今すぐというわけにはいかなくなった』って言えば、向こうさんだって無理を通そうとはしないんじゃないですか?」

シーザーとけろっとした顔で言い放ったので、「そんな簡単な話ではない」と青年騎士以外の全員がそう思い、王も反論しようとしたのだが、

「もちろん、陛下ひとりに謝らせたりはしません。おれも一緒に頭を下げますよ。『勘弁してくれ、この通りだ』って。なんだったら土下座だってしてもいいっすよ」

天上の一等星のように輝く「若獅子」の笑顔を見た瞬間、国王スコットは不覚にも落涙しかけた。「何一人でつまんねえ意地を張ってるんだよ」といじけて丸まっていた背中を叩かれたような気がしたのだ。忠節、敬意、尊崇には慣れていた孤高の道を歩む青年は初めての友情を受けてこれ以上頑なな態度を保ってはいられなくなった。それでも、どうにか涙を流さなかったのは王としての誇りのなせるわざだろうか。

(余が誤っていた)

このまま条約を推し進めることはできない、とスコット王は決断していた。延期するにせよ中止するにせよ、全ての責めは自分が負えばいい。

(レオンハルトのような立派な男に頭を下げさせるわけにはいかない)

顔を上げた主君の表情が晴れやかに変わっているのを見て、シーザーはおのれの説得が成功したのを知り、重臣たちは顔を突き合わせて事態が好転しつつあるのに安堵の溜息をついた。かくして、玉座にある王が意見を表明しようとしたまさにその寸前で、

「もうそのあたりでよろしいでしょうか?」

宰相ジムニー・ファンタンゴが長い沈黙を破った。

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