第251話 前夜(その2)
「ぼくがその場に居合わせなかったのが残念です」
惨劇を食い止められなかった責任を感じたのか、肩をすくめたアリエル・フィッツシモンズに、
「じゃあ、おまえがおれの立場だったらどうしてたんだ?」
むっつりした顔でシーザー・レオンハルトが訊ねると、「それはもちろん」と茶色い髪の副長は顔をほころばせて、
「ジュリウスの身体を一寸刻みにして、一族郎党もろとも滅ぼしていたに決まってるじゃないですか。そうしたところで、セイさんの名誉を毀損した罪に対する罰としては甘すぎるというものですが」
おれがやったことよりもずっとひどいじゃないか、と大柄な団長は呆れる。愛する女性を侮辱されて隠忍自重できるほどこの2人の騎士の血は冷たくはない、ということだが、
「とにかくですね」
内なる残虐性を懐深くしまい直したアルは、
「舐めた態度だから殴ってやった、というのは感心しません。それではその辺をうろついているごろつきと何も変わらないじゃないですか」
「耳の痛いことを言ってくれるぜ」
部下の諫言に苦笑いするシーザーを見て若い副長は「少し言い過ぎたかもしれない」とひそかに反省する。彼の上官は身寄りの無い少年時代を過ごし、それこそ「ごろつき」のような荒れた生活を送ってきたのだ。なるべくなら思い出したくない暗い過去をあげつらっている、と受け取られても仕方が無い言い方だ、と遅まきながら後悔するアルに、
「だが、それを言うなら、騎士とごろつきにどれほどの違いがあるのか、というのがおれの考えだ」
シーザーはよく発達した犬歯を剥き出しにして笑う。少年騎士の皮肉が刺さるほど「アステラの若獅子」のハートはやわではないらしい。
「いや、それは全然違うじゃないですか」
「違わねえな。どっちも力を持って相手を制する点では同じだ。まあ、騎士が用いるのは『武力』でごろつきがふるうのは『暴力』、なんて具合に定義できるかも知れないが、そんなのは所詮言葉遊びだ」
ふん、と騎士団長はふてぶてしく笑い、
「落ち目と見られれば叩かれ、弱いと思われれば奪われる。それがこの世の中だ、というのがおれの考えだ。ろくなもんじゃねえ、とは思うが、だからと言って生きるのをやめるわけにもいかねえから、せいぜい強くなるしかねえのさ」
きわめて乱暴な物言いだが間違ってはいない、と賢い少年は感じていた。農民も資本家も淑女も自己の生き残りのために他者を蹴落として恥じることはなく、それはアルが属する貴族階級もまた異なるところはなかった。
「現実を見てみろよ、アル。マズカの連中が大手を振って歩いてやがるのに、うちの野郎どもときたら青い顔をして縮こまっていて、一体どっちのホームグラウンドなのかわかりやしねえ。演習が始まってからずっと舐められっぱなしなのに、おれはつくづくイライラしていたんだ」
ああ、それで、と「王国の鳳雛」はひとつの疑問が胸の内で氷解したのを感じた。ジュリウスを叩きのめしたシーザー・レオンハルトは全体の訓練が終了した後で王立騎士団のメンバーを全員練兵場の隅に集合させると、
「何もしねえうちから尻尾を巻きやがって。てめえら
と夕方の大気がひびわれるほどの音量で激怒したのに、王宮から戻ってきた少年は、
「殴ったり怒ったり大忙しだ」
と少々呆れつつも団長の不安定な情緒を心配してもいたのだ。ちなみに、「タマついてんのか!」というのは部下を叱るときのシーザーの決まり文句だが、以前説教しているところにたまたま通りがかったセイジア・タリウスに、
「わたしはついてないが、何か問題があるか?」
と真顔で言われて閉口した、という笑い話もあったりした。それはさておき、
「じゃあ、ジュリウスをボコボコにしたのはマズカを威嚇しただけではなく、わが軍の騎士たちに活を入れる意味もあった、ということですか?」
そんな狙いがあったとは、と上官の深謀遠慮に感心するアルに、
「そんなんじゃねえよ。おれはセイのことを悪く言われたのにぶちぎれて、子分どもがだらしねえのにもむかついていた、それだけのことさ」
褒められたのに不満そうな顔をする青年騎士に副長は噴き出しそうになる。粗野で荒々しい振る舞いから誤解されがちだが、シーザー・レオンハルトは騎士にふさわしい高潔な精神の持ち主であり、アルはそんな団長に敬意を抱き、真の勇者に仕えることができて幸せだ、と思っていた。その思いを決して口には出さなかったし、恋愛において譲るつもりもありはしなかったが。
「でも、レオンハルトさんに怒られた後、みんな目が覚めたような顔になってましたから。明日からは張り切ってくれるんじゃないですか?」
だといいけどな、と顎に右の拳を添えてシーザーは目を閉じる。部下を怒ったのにいくらか気が咎めているのだろうか。
「でもよ、おれにはどうもひっかかることがあるんだ」
「何を気にしてるんですか?」
アルに訊かれた「若獅子」は片目だけを開けて、
「黒鷲のおっさんの反応が気にいらねえんだ」
ぼそっとつぶやいた。
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