第250話 前夜(その1)

夜になった団長室の中には明かりが煌々と照らされていた。

「いくらなんでもやりすぎですよ」

正面に立った副長のアリエル・フィッツシモンズに注意されて、

「わーってる」

アステラ王国王立騎士団団長シーザー・レオンハルトは天井を見たままぼそっと呟いた。重厚な造りの執務机の上に両足をどかっと置いていてこの上なく行儀が悪かったが、その点を指摘しても無駄なのはわかりきっていた副官は溜息をついてから、

「わかっているならどうしてあんなことを」

とさらに苦言を重ねると、

「単純な話だ。あの野郎がおれたちを舐めやがったからだ」

「アステラの若獅子」と恐れられる戦士が腕を組んだまま、ぎろりと目を剥く。それだけでも大迫力なのに、今のシーザーは鈍く光る鎧を身にまとい、全身これ兵器の様相を呈していて、常人ならば小便を漏らして部屋から逃げ去るのが当然と思われたが、

「まあ、確かに向こうの態度も褒められたものではありませんでしたけど」

涼しげな顔で上官と会話を続けるアルもまた尋常ではないのだろう。2人が所属する王立騎士団は現在マズカ帝国が誇る八大騎士団の一つ大鷲騎士団と合同演習を行っている最中だった。ここのところ、北方で国境を接する同盟国からたびたび騎士団が遠征してきては共に訓練を行っていたので、

(やけに頻繁にやるもんだ)

とシーザーは感じていたが、友軍と連携を取る意味でも軍事演習は決して無駄ではなかったし、何より平和が訪れた世の中で無聊を託っていた若武者が憂さ晴らしできる数少ない機会だったので、特に異議を唱えたりはしなかった。それでもただひとつ引っかかる点があった。それは帝国の兵士たちが王国側に対して何かと「上から目線」で接してくることだ。マズカはアステラよりも歴史が古い上に数倍の広さの領土を持ち、互いの国力には格段の差があると言わねばならなかった。それゆえの驕りが末端の人間にも見え隠れしていたわけだが、

(強い国に生まれただけで、てめえまで強いつもりなのか)

ずっと不快に感じていた。しかし、シーザーも既に成年に達して団長という責任ある立場に就いていたためか、これまでは表立って苛立ちを見せることもなかった。別の見方をすれば、一流の騎士にふさわしい強さを得たがためにいちいち突っかかることもなくなった、ということなのかもしれなかったが、そんな彼が今日に限っては我慢することが出来なかったのは何故なのか。事の発端は午後の訓練中に交わされた大鷲騎士団の副長ジュリウスとの会話だった。


昼下がりの練兵場はうだるような熱気に包まれていた。

「レオンハルト団長におかれましては大変な苦労をされているものと不肖このわたくしめも大いに同情している次第でありまして」

慇懃無礼な口調の裏に皮肉がびっしりと植わっているのを感じながらも、「はあ、まあ、そーっすね」とシーザーは気のない返事をする。このジュリウスという男はショーテルを器用に操るそれなりに強い騎士ではあったが、何かというと帝国の威光をひけらかし王国を侮る鼻持ちならない振舞いをして、一般の騎士のみならず団長のシーザーまでも小馬鹿にする態度をとっていた。

(こんなやつをナンバーツーにするようじゃ、「黒鷲」のおっさんの見る目もたかが知れている)

大鷲騎士団を率いる「マズカの黒鷲」ソジ・トゥーインは武勇に隠れなき戦士で、とりわけ弓をとらせれば大陸一の呼び声も高く、真剣勝負を挑んだとしても勝てる自信は青年騎士にもなかったが、少なくとも腹心に関しては圧勝している自信があった。いつも生意気で何かと楯突いてくるアルを頼もしく思っていると、

「規模も資金も練度も全てにおいて上回るわが軍にこれだけ対応できるのですから、アステラの騎士たちも誇りに思うべきですよ、団長殿」

模擬戦においてマズカ軍に圧倒され続けているのを思い出したシーザーは舌打ちしそうになって、

(何処に行ってるんだよ、アル。早くこのイヤミ野郎を引き取ってくれねえと困るんだよ)

騎士以外の才能にも恵まれた「王国の鳳雛」は訓練の合間に王宮に呼ばれて政治家や官僚と話し合いを持っているはずなので、まだしばらくこの陰険な男の相手をしなければならないのか、とうんざりしていると、

「とりわけわが帝国は人材に恵まれておりまして、まさしく多士済々というべき土地なのです」

「若獅子」が何も言ってこないのをいいことにジュリウスの舌はますますなめらかになり、

「もう辞めたと聞いていますが、『金色の戦乙女』ことセイジア・タリウスなどは、仮に帝国で生まれ落ちたとしたら、騎士団長になど到底なれなかったことでしょうな」

ぴくり、とシーザーの耳が震えたのに帝国の副長は気づかない。

「女だてらによくやった、と言うべきなのでしょうが、それでも所詮は娘なのです。戦場ではなく閨房の方がお似合いなのではないですかな?」

ひゃひゃひゃ、といかにも卑しい笑い声を上げる整った外見の男がさらに卑猥な冗句を口走ろうとしたところに、

「なあ、ジュリウス殿」

シーザー・レオンハルトが声をかけた。普段は豪快な青年がいつになく落ち着き払っているので、

「どうされましたか?」

と若干おどおどしながらジュリウスが訊ねると、

「せっかくだから貴殿と立ち合いたいと思ったのさ。帝国の最新の技法をぜひとも教授願いたい」

よろしく、と頭を下げられたので「これはご丁寧に」と大鷲騎士団の副長は了承する。ずいぶん急な話だが、シーザーからは怖い気配はまるで感じられなかったので危ないことはないだろう、と判断したのだ。とはいえ、真の実力者であればことに気づいたはずなので、このジュリウスという男は一流のレベルにはない、と言わざるを得ないのだろう。アステラの団長と相対したマズカの騎士は一定の間合いを取ってから、

「それではお手柔らかにみぎゃっ!」

挨拶も終わりきらないうちにシーザーの右ストレートがジュリウスの顔面を直撃した。鋼鉄のガントレットを嵌めた拳を叩き込まれた洒落者が鼻から血を流しながら後ろに倒れ込もうとするのを、

「おいおい。まだおねんねするには早すぎるぜ」

「アステラの若獅子」は首根っこを引っ張って身体を起こすと、がつん、ともう一度パンチを喰らわした。

「おら! おら! どうした? 帝国の軍人はこの程度か?」

意識も定かでないジュリウスを殴り続けるシーザーを、両軍の兵士たちは訓練の手を止めて呆然と見守るしかなく、稽古とは名ばかりの制裁を止める者は誰もいなかった。

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