第209話 最後の魔術(その3)

「はぇ?」

我ながら間の抜けた声だ、とヴァル・オートモは思う。背中を強い力で押されて初めて、後方に気を配っていなかったことに気づいた。騎士にあるまじき失態だが、それだけ敗北のショックが大きかったのだろう。前によろめいてしまったものの、転ばなかっただけでも今の自分には上出来だ、と俯き加減になった騎士の目に奇妙なものが映った。自分の胸に見慣れないものがあった。尖った何かが身体から生えていた。一体これはなんだ、と不思議に思ったのと同時に、ぐっ、と背後からさらなる力が加えられ、謎の物体の先端がさらに伸びた。

(ああ、そういうことか)

「双剣の魔術師」が自らを見舞った事態を理解したときには、既に四肢から力が抜け、身動きが取れなくなっていた。何者かに背中を刺されたのだ。鎧を着込んでいるのに、と思いたいところだが、装甲の薄い部分を狙えば身体を貫くのはたやすい、と過去に何度も邪魔者を暗殺した経験を持つ男にはよくわかっていた。とはいえ、敵を刺すことには慣れていてもこれほどまでに深く刺されるのは初めてのことで、重傷のはずなのに痛みがまるでないのはかなり意外だった。とはいえ、内部に異物が侵入したために肉体のコントロールは失われつつあるのか、呼吸も不規則になって、「がふっ!」と大きく咳き込んでしまう。飛沫が赤く染まっているのを見て、内臓の損傷を自覚した国境警備隊隊長が、

(一体誰がこんなことを)

と思い浮かべたのを読んだわけでもないだろうが、

「ざまあみやがれ、っていうんだ」

後ろから聞こえてきた犯人の声にオートモは愕然とする。その声を毎日当たり前のように聞いていた。

「あんたと心中するつもりはねえ」

警備隊でも古参の隊員だった。常日頃、隊の規則を忠実に守っていた中年男で、騙し討ちなどできそうもない性格なだけに衝撃も大きかった。真面目さが取り柄の男は握った剣に力を込めて、標的の背中に柄が密着するまでに深く突き入れ、身体はより傷つけられ、「魔術師」は再び激しく咳き込む。

「なにっ?」

ヴァル・オートモが突如部下に刺されたのに驚愕した「影」は慌てて警備隊員たちの方を見るが、5人いたはずの生き残りが4人しか残っていなかった。甘いマスクの騎士とセイジア・タリウスの2人に周囲の意識が集中している隙に、下手人はひそかに動いていたのだろう。

(部下に不意打ちを食らうとは、わたしも焼きが回ったものだ)

手足のように自由に扱ってきた隊員に反逆されるなど考えもしていなかった甘いマスクの騎士は思わず笑ってしまい、声を上げない代わりに身体を震わせた。無数の人を裏切ってきた者が裏切りに遭うのは当然の末路だと言えたが、

「何がおかしいっ!」

嘲笑われたとでも勘違いしたのか、ベテラン隊員は激昂する。正式な任務と信じて山奥まで来たのに、それが隊長の私利私欲から出たものであったと知った男は、「よくもよくも」と荒々しい息遣いで恨み言を吐き散らす。何のためにこんなつらい思いをしたのか、何のために多くの仲間たちは死んでいったのか、いくつものやりきれない思いのままに凶行に及んでいた。

「うわあああああああっ!」

残りの4人の騎士も立ち上がってオートモめがけて走り出した。血相を変えたその表情から、彼らもまた隊長を襲おうとしていると察したセイは、

「おい、やめろ!」

と止めようとしたが、声を出した途端に全身から、がくり、と力が抜けたのを感じた。マズカ帝国から来た100人の騎士と一人で渡り合い、「双剣の魔術師」と死闘を繰り広げた彼女の身体は既に限界を迎え、咄嗟に反応できなくなっていた。悪人であってもむざむざ殺させるわけにはいかない、と「金色の戦乙女」は信じていたが、2つの足は言うことを聞かず、天馬騎士団で共に戦った騎士が数人の手にかかるのをなす術なく見届けることしかできなかった。

「あんたは矢が飛んできたときに、みんなに注意しないで自分一人だけ先に逃げやがった!」

「あのと1対1でやり合ったときに、あんたはイサクを楯にしやがったよな? あいつはおれの一番のダチだったんだ! あいつはもうじき子供が生まれるって喜んでたんだ!」

「あんたが注意してくれれば、みんな爆発に巻き込まれないで済んだんじゃないのか!」

首、みぞおち、左右の脇腹を新たに刺された隊長に部下の憤懣が爆発する。いずれも今夜の戦いでの落ち度を責め立てるものだが、

(たぶんそれだけじゃない)

とオートモは感じていた。ずっと前から彼は部下の信望を失っていた、いや、そもそも最初から信頼されていなかったのかもしれない。他ならぬ彼自身が隊員たちを信じてはいなかったのだ。そんな集団に心と心を繫いだ真の紐帯が生まれるはずもない。アステラ王国国境警備隊がそれでもまがりなりに結束していたのは、大陸有数の実力を有する騎士であるリーダーに面と向かって逆らえなかった、あまりにも露骨な力関係のためであり、隊長が女騎士に敗れた今、長年いいように使われてきた隊員たちの復讐が果たされるときが遂に到来したのだ。

「とても見ていられません」

ジャロがナーガの胸に飛び込んできた。意気地が無い、と弟を責める気持ちは少女騎士には起こらなかった。端麗な容姿をもてはやされた騎士が全身をずたずたに切り刻まれ、血まみれになっていく有様は常人の正視に耐えられない光景であった。

(なんということだ)

セイはオートモがもはや助からないのを悟り、目の前で惨劇を止められなかった自らの無力を責めた。しかし、

(あいつがこうなるのは避けられなかったのかもしれない)

という思いも胸中に去来していた。ヴァル・オートモはずっと前から道を踏み外していたのだ。金髪の騎士は昔馴染みの男を導こうとしたが、第二の人生セカンドライフを歩むには彼は悪行を重ねすぎていたのだろう。やりなおしの機会はとうに失われていた、という気がしてならなかった。

(もっと前に、ヴァルのために何かしてやれなかったのか?)

と思ってから、「たぶん何もできなかった」とセイは考える。全ての人間を救いたくてもどうしてもこぼれ落ちてしまう。認めたくない現実に打ちひしがれる彼女に、

「タリウス様!」

オートモを襲った隊員のひとりが声をかけてきた。

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