第206話 女騎士さんvs「魔術師」(その10)
「ふはははは! 何を馬鹿な事を言ってるんだね、ミス・タリウス! 勝負はまだここからじゃないか!」
セイジア・タリウスに一方的に終結を宣言されたヴァル・オートモは血みどろの顔面で狂気じみた哄笑をあげた。自慢の高い鼻は既にパドルによって頭突きを喰らわされて平たくなっていたが、そこへさらに女騎士のロングフックの直撃を受けて完全にめりこんでしまっていた。それでもなお戦いをやめない姿勢は立派なのかもしれなかったが、
「いや、だって、おまえ」
セイは冷静に男の足元を指さす。「双剣の魔術師」の両足はがくがくと激しく震えて、生まれたての子鹿の様によろめいてしまう。「金色の戦乙女」の拳によって甚大なダメージを負ったのはあまりにも明らかだった。
「それじゃとても戦いにならないだろう?」
だからやめておけ、と年下の女子に気を遣われたオートモの頭に血が急激に上る。
「うるさい、黙れ! これしきのことでやめてたまるものか! セイジア・タリウス、きみを倒すのがわたしの使命であり宿命でもあるのだ!」
鼻孔から鮮血を溢れさせながら、それでもオートモは屈しない。悲愴さすら感じさせる叫びに心打たれたのか、セイの顔から不安げな表情が蒸発し、臨床医のごとき冷静な面持ちに一変する。
「そこまでの覚悟があるのなら、もう一度かかってくるといい。わたしからは何もしない」
そう言ってから腕を組み目を閉じた女騎士に、彼女以外の全員が唖然とする。すっかりグロッギー状態の相手にとどめをささないばかりか、わざわざ回復する時間を与えてやるとは、敵に塩どころかすべての生活必需品を送り付けるような愚行ではないか。ここまでのお人好しは言語道断だと、
「セイ、おまえ、一体何を考えてるんだ! 敵に無用の情けを与えるんじゃない!」
激怒したナーガ・リュウケイビッチが叫ぶが、
「そうじゃない。もう一度言うが、この勝負はもう終わったんだ。決着はついている。今から何があろうとも覆ることはないんだ」
振り返ることも目を開くこともなく、セイは落ち着いた声で答える。彼女の行動が善意や気まぐれではなく確固たる信念から出たのが伝わって、「
(ごちゃごちゃとわけのわからんことを)
女騎士の真意はわからないが、肉体が徐々に力を取り戻しつつあるのを「魔術師」は感じた。膝の揺れは次第に小さくなり、モノクロだった視界が再び色づき出したのは脳の活動が再開した表れだろう。鼻と口からの出血こそ止まらないが、それは大した問題ではない。体が動きさえすれば、今度こそあの生意気な女を倒せるはずなのだ。ぺっ、と真紅の唾とともに折れた奥歯を吐き飛ばしてから、
「ゆくぞ!」
再び対決を挑もうとした騎士に向かって、
「おい、手をよく見てみろ」
セイジア・タリウスが事務的な口調で話しかけてきた。この期に及んでまだわたしを惑わそうというのか、と無視して女騎士に向かって駆け出そうとしたが、
「そのザマでは、あそこにいるモニカやマルコにだって勝てないぞ」
しつこい、と叫び返そうとしたが、
「隊長、それは一体?」
部下の一人が白昼に幽霊に出くわしたかのように恐怖心をありありと浮かべた表情で訊ねてきた。
「え?」
それでヴァル・オートモは自らの肉体の異変にようやく気が付いた。がちゃがちゃがちゃ。がちゃがちゃがちゃ。けたたましい金属音が鳴り響いていた。騒音の出所が自分の両腕だと気づいた「魔術師」の両目が驚愕に見開かれる。道理でうるさいはずだ、と軽口をたたく余裕もなかったのは、直刀を握った左手と曲剣を下げた右手がそれぞれ上下に激しく震えていたからだ。これではまともに振ることもできないので、急いで震えを抑えようとするが、振動はますます激しくなるばかりで一向に止む気配はない。
(馬鹿な。馬鹿な!)
今までこんなことは一度としてなかった。訓練において何千回素振りをこなそうが、戦場で幾多の敵を切り倒そうが、決して堪えることのなかった左右の腕が使い物にならなくなっている。どうしてこうなった。金髪の女騎士に喰らったショックがまだ抜けていないのか、と懸命に原因を探る「魔術師」に、
「ダメージが消えても震えは止まらないぞ、ヴァル」
セイは話しかける。さながら最終の裁決を下す大審問官のごとき低い声に、誰もが言葉を失い、夜風も止み不意に凪が訪れる。
「それはどういう意味なんだい、ミス・タリウス?」
腕の動きが伝播したかのように大きく波打つ声でオートモが訊ねると、
「身体の問題ではなく、精神の問題だ。たった今、おまえの心は折れて、それ以上戦えなくなったんだ。戦う意思がまだあったとしてももう無理だ」
「嘘をつけ! わたしがきみに屈するなど、馬鹿も休み休み言いたまえ!」
逆上して反論する「魔術師」を、
「そうじゃない」
冷たい光をたたえた青い瞳でセイは見つめる。
「おまえはわたしに屈したのではない。おまえを破ったのはパドルだ」
「へ?」
思いがけない名前が出てきて、オートモは素っ頓狂な声をあげてしまう。とっくの昔に打ち負かされて、既にこの世の者ではない老人に今更何ができるというのか。
「なあ、ヴァル。おまえはパドルが怖かったのだろう? 不利も顧みずに命を捨てて喰らいついてくる相手が心底恐ろしかったのだろう? 村まで戻って最初におまえの顔を見たときにすぐにわかった。あのときのおまえは、獲物を仕留めた獅子ではなく、暗がりをこそこそ逃げ惑うどぶねずみと同じ感じがした。『なんだ、こいつ、もう負けてるじゃないか』と思ったものだよ」
ふっ、と小さく笑い、
「それが自分一人しか大事にできない者の限界だ。そんなちっぽけな心構えで、命よりも大切なものがある、と自らを犠牲にして他者を守り抜く魂にかなうものか。表面のみに囚われ本質を見失った者が真実に向き合えるものか」
そして、
「偽物が本物の騎士に勝てるものか」
その一言は先程の鉄拳をも上回る痛撃をオートモにもたらしていた。長年肥大し続けていた病巣がついに暴かれたのだ。あああああ、と虚ろな声が漏れるのを止められない。
「しかし、正直なところ、おまえに感心しているんだ。パドルに心がほとんど折られていたのに、ここまで食い下がったんだからな」
だが、それももう終わりだ、とセイは言わなかったが、瞳を見ればそのように思っているのは明らかだった。怨念、憎悪、欲望、執着、期待、戦意、闘争心、虚栄心。そういった数々の情念で無意識のうちに補強していた心は女騎士のたった一発のパンチで見るも無残に打ち砕かれ、剣をまともに操れないほどの深刻な精神的ショックを肉体にもたらしていた。
(そういうことだったのか)
「影」は一人納得していた。対決が始まる前にセイがつぶやいた、
「わたしはもう既に勝っている」
という言葉の意味がようやく理解できたのだ。「魔術師」の内心の怯えを見抜いたセイに驚嘆してから、もしかすると、この結末までも織り込み済みだったのだろうか、と最強の女騎士の戦術眼に感心を通り越して震撼すら味わっていた。
「姉上、パドルは犬死ではなかったのですね」
「ああ、もちろんだ。なんと頼もしい家来をわたしたちは持ったことか」
リュウケイビッチ姉弟は忠臣の亡骸を見つめて感涙に咽び泣く。
「つまり、おまえはわたしに負けたんじゃない。パドルに負けたんだ」
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
血に染まった顔面でセイに激昂するオートモ。王都で数々の浮名を流した伊達男は変わり果てた姿になりながらも、
「そんな戯言を真に受けてたまるものか!」
それでも抵抗をやめようとはしない。袋小路に追い詰められた野良犬の様に唸る元部下を「おい、もうよせって」と女騎士はなだめようとするが、
「最後に勝つのはこのわたしだ!」
絶叫から遅れて、がちゃん、と金属音が深夜の村に小さく鳴った。
「はへ?」
大きく開けた口からよだれを垂らした「双剣の魔術師」の視線の先に二振りの剣があった。まっすぐに伸びた刀と大きく弧を描いた剣、彼の得意とする武器が地面に落下していた。手放したつもりはないのに何故こんなことに、と思ってから、
「ああああああああああ!」
ヴァル・オートモは悲痛な叫びとともに土の上に跪く。左右の得物を入れ替えるシャッフルをやろうとしたものの、震える手ではままならず取り落としてしまったのに気が付いたのだ。何千何万回と敢行してきて一度として失敗したことのないテクニックをしくじったこの瞬間、「双剣の魔術師」はようやく敗北を認め、おのれを支えてきた精神がへし折れたのを自覚していた。
「ああああああああああ!」
大の男が幼子のように泣きじゃくるのを「だから言わんこっちゃない」と言いたげな困った顔でセイは見つめ、オートモの二つの掌は上を向いたままぶるぶる震え続けていた。
かくして、セイジア・タリウスはヴァル・オートモに勝利を収めた。だが、決闘が終わっても戦いはまだ終わらず、さらなる事件が彼ら彼女らを待ち受けていた。
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