第199話 女騎士さんvs「魔術師」(その3)

(あいつがやったのか?)

「影」は粘ついた汗を垂れ流しながらセイジア・タリウスを睨んだ。ナーガ・リュウケイビッチとヴァル・オートモ同様に、彼もまたただならぬ気配を感じたのだが、それは重い怪我と火傷を負った身には耐えがたい苦痛をもたらすものだった。音もなく背後から忍び寄った死神に心臓を鷲づかみにされたかのような恐怖を味わい、血液の循環を司る臓器の表面に鋭い爪が食い込む感覚すらおぼえていた。草木を枯らすほどの殺気を受けては、攻め込んでいた「双剣の魔術師」が退くのも無理はない、と思えたが、当のセイ自身は至ってけろっとした顔をして、久々に訪れた自由を満喫するかのように首をゆっくり回して、こきこき、と音を立ててから、

「どうして攻めてこないんだ?」

にこにこ笑いながら背後を振り返った。ふたつの青い瞳から発した視線がオートモの部下である国境警備隊隊員のうちのひとりの顔に行き当たる。美女に見つめられた騎士は「ひいっ!」と情けなくも悲鳴を漏らして、尻を地面にこすりつけて全速力で後退る。摩擦熱で新たな火事が発生しそうなほどの勢いで逃げた男の手から一本の剣が落ち、鞘から解放された刃がきらりと闇に閃く。

「後ろの方から何かを企む雰囲気が感じられたので、『ははあ、騙し討ちをするつもりか。面白い』とわくわくしていたのに何もしてこないから待ちくたびれてしまったんだ」

セイの告白で事態を理解したオートモとナーガと「影」は唖然とする。つまり、「魔術師」の攻撃に防戦を強いられていた女騎士は、自らの背中を衝こうとする殺意を感じ取って、その方向に意識を向けたのだ。それこそが先程の恐るべき気配の正体だったわけだが、

(ありえないだろ)

明かされた真相はナーガをさらなる困惑の渦の中に叩き落としていた。要するに、今セイがやったのは、相手を「おい、こら!」と威嚇したわけでもなければ、「おーい」と呼び掛けたわけでもなく、「ああ、いるなあ」と認知しただけなのだ。彼女には外部に働きかけるつもりはなかったのに、並み居る強者を怯えさせたのだから、その実力はいよいよ底知れぬものになってきたとしか言い様がなく、

(頑張ってやっと強くなったと思ったのに、まだ全然遠い)

蛇姫バジリスク」はがっくりと肩を落とすしかない。遠く離れた都にいるシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズならばかつての敵国の少女の落胆に深く共感を示すはずだった。

「別に今からでも構わないぞ。かかってくるといい。さあ、どうした?」

と微笑みかけても、その美しさすら恐ろしく感じられた騎士の心は完全に折れ、股ぐらから失禁の湯気が立ち上るのを見て、

「根性無しに付き合っている暇はない」

男性諸君が女子に一番言われたくないであろうセリフを吐いてから、セイは目下の対戦相手へと向き直る。甘いマスクに緊張感をみなぎらせたオートモとは対照的に、

「なかなかやるじゃないか、ヴァル」

季節外れの春風を思わせるのんびりした口調で女騎士は話しかける。

「騎士団にいた頃のおまえの実力を踏まえてやろうとしたのだが、どうやらしばらく会わないうちに腕を上げたようだ。上手く見切れなかったおかげで体中傷だらけだ」

いてて、と美貌をしかめたセイだったが、

(ちっともうれしくないねえ)

今度はオートモが失望する番だった。国境警備隊を率いる任務の傍ら、技量を錆び付かせないように鍛錬に励んだのは、彼のナルシシズムが衰えることを許さなかったからだが、騎士団に在籍した頃よりも力を付けた自覚はあって、アステラで一番強いのは自分だ、とも思っていたのだが、

(なのに、擦り傷を負わせるのがやっとだなんて)

嫌になっちまうよ、と溜息が立て続けに出る。最初から手加減も手抜きもせずに全力で挑んだ結果がこれだった。傍目には優勢に見えたとしても、セイが一割も本気を出していないのは、実際に対戦している彼だけがわかっていた。これだから天才は嫌いなんだ、と漏れそうになるぼやきをなんとかしまいこんでいると、

「ただ、これ以上の怪我は勘弁願いたいところだ。わたしも一応若い娘なのでな。文字通り傷物になっては、嫁の貰い手がなくなってしまう」

本気とも冗談ともつかないことを言われて「魔術師」の頭に血が上りかかる。しかし、目の前の女子が場をわきまえないのは今に始まったことではない。相手より先に興奮しては、敗北が荒波のように押し寄せてきてこの世の終わりまで流されてしまう。まだ策はある、とオートモは脳髄をフル稼動させて最強の女騎士に勝ち得るかぼそい道筋をどうにか見つけ出そうとしていた。

「そうやって、いつまで余裕でいられるか見ものだよ」

不敵な笑みを浮かべて、攻撃を再開しようとしたそのとき、

「まあ、待て」

セイが深夜にもかかわらず、明朗そのもの、と言うべき声をかけてから、

「おまえにひとつ聞きたいことがある」

と続けた瞬間に、ヴァル・オートモはとうとう我慢ができなくなった。

「いい加減にしたまえ。戦いの最中にべらべらおしゃべりをするとは、きみも落ちたものだよ、ミス・タリウス」

思わず怒声をあげてしまうが、

「ごもっともな意見だが、どうしても気になることがあるんだ。それがわからないことには集中できない」

セイは一向に堪えない様子で、涼しい顔をしたままなので、怒っている自分が間違っているように思えてしまう。それは彼女の人徳なのかあるいは自らの不徳なのか、理由は分からなかったが、

「ひとつだけなら答えよう」

オートモは申し出を受け入れる。女騎士がどんな質問をしてくるのか、興味も湧いていた。ありがたい、と素直に喜んだポニーテールの騎士は、

「それでは早速聞くが」

こほん、と可愛らしく咳払いをしてから、

「ヴァル、おまえ、騎士団にいた頃にアルに稽古を付けたことがあるんじゃないのか?」

と問いかけた。

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