第179話 小さな騎士と最後の罠(その9)
ジンバ村全域をすさまじいまでの爆風が吹き抜けたのはほんの数分に過ぎなかったが、ジャロとマルコ、2人の少年には永劫に続くかのように感じられた。圧倒的な破壊を前にして、もはや命はないものと観念してしまった。だが、背中に感じられる土の感触が貴族の御曹司とガキ大将に自らの生存を実感させる。どうやらまだ死んではいないらしい、と少し安心してから、ちりちりと痛いばかりに肌を刺していた熱さが和らぎつつあるのに気づいてさらにほっとする。それでも、ごおっ、と音を立てて炎がそこかしこで燃え上がる音が恐ろしくて震えそうになったものの、今の自分が一体どんな状況に置かれているのか、恐怖心に勝る好奇心がマルコの目を開かせた。
「えっ?」
最初に驚いたのは、爆発の寸前まで抱いていたミケがそのまま腕に収まったままだったことだ。動物の本能としてパニックを起こして逃げそうなものなのに、と思ってから、逆にパニックを起こして動けなくなったのか、あるいは炎に包まれた村を駆け回るよりは少年たちと一緒にいた方がいいと賢く選択したのかはわからなかったが、とりあえず猫が無事なのは間違いなく、そういうことなら理由などどうだっていいや、と単細胞の悪童が思考回路をストップさせたのと同時に、
「マルコ、怪我はないか?」
右隣に倒れているジャロに声をかけられた。見ると、友人も同じように仰向けに倒れている。身体の何処にも痛みはなく、血が流れている感覚も無かったので、
「おれは平気だけど、おまえは?」
と訊き返すと、
「ぼくも大丈夫だ」
気丈にも微笑み返してきた。こいつのことをもう「弱虫」とか「泣き虫」とか馬鹿にできないな、と評価を改める必要を感じていると、はあはあ、とすぐ近くから荒い息づかいが聞こえてきた。「えっ?」とまた驚いて視線を上げると、何か黒い物が自分たちに覆い被さっているのが見えた。そこで村一番の暴れん坊は思い出す。爆発の寸前にこちらに向かってきた誰かに突き飛ばされて倒れてしまったことを。そして、その誰かが倒れた自分たちを庇ったおかげで、炎に巻き込まれることなく傷一つ負わずに済んだ事実に気づかされる。
「ったく、ここで一体何をやってやがるんだ」
馬鹿なガキどもめ、と吐き捨てたのは「影」だ。彼が身を挺して楯になってくれたのだ、と気づいたジャロが、
「おまえ、どうして」
とつぶやいてから、黒い男の苦しげな表情に気づく。顔は汗と血にまみれ、瞳はぐらぐらと揺れている。そして、
「ああっ⁉」
違和感を覚えて頭を持ち上げたモクジュの美少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。「影」の背中が剥き出しになって肌が焼けただれているではないか。しかも、大小いくつもの破片が食い込み、かなりの重傷だと医学の心得のないジャロにも一目でわかった。本来であれば自分たちに直撃していたはずのものを男が全て引き受けてくれた、というのは明白だった。
「おっちゃん、そんな」
マルコにも「影」が死に瀕しているのはわかってしまう。直接見なくても、黒ずくめの怪人の肉が焦げる悪臭が鼻を衝いていた。村を一人で守ろうとした孤独な番人が、自分たちのために身を投げ出したのだ、と愕然とする2人の目に涙が浮かぶ。洞窟から勝手に抜け出さなければこんなことにはならなかったのに、と取り返しのつかない過ちをしてしまったのを自覚する。「ごめんなさい」と謝るべきなのか「死なないで」と励ますべきなのかわからずに、ぐすぐすと泣き出しそうになる少年たちに、
「びいびい泣くんじゃない。おれの好きでやったことだ。おまえらが気に病む必要は無い」
「影」はきっぱりと言い放つ。別に子供たちを慰めたかったわけではなく、偽らざる本心を吐露したまでのことだった。
(ガキをわざわざ助けてやるとは、おれも焼きが回ったもんだぜ)
マジで身体が焼けちまってるしよ、とユーモアセンス皆無の男は珍しくジョークを飛ばしたが、実を言えば2人の少年を助けた理由がないわけではなかった。
黒服に身を包んだ暴力のプロフェッショナルは、村のあちこちに仕掛けた爆薬で攻め込んできた敵部隊を全滅させるトラップを元々用意してあったが、あくまでそれは「奥の手」であって使わぬに越したことはない、と考えていた。この最後の罠を起動させれば、この山奥の集落はまるごと灰燼と化すはずで、たとえ勝てたとしてもリスクが大きすぎると考えていた。それに他ならぬ「影」自身がしばらく暮らしているうちにこの村に愛着を持ちつつあった(本人は断固否定しただろうが)、というのも爆破をためらった理由の一つなのかも知れない。
しかし、仕事人は「双剣の魔術師」との対決に敗れ、もはやなりふり構っては居られなくなった。深い傷を負ったうえに敵に囲まれ、爆薬に点火するチャンスはないものと諦めかけていたときに、いきなりナーガ・リュウケイビッチの弟が現れて国境警備隊の気を惹いてくれたおかげで、どうにかスイッチのある場所までたどりつくことができた。本来の予定であれば、爆風の届かない安全圏まで脱出するはずだったが、あのお坊ちゃまとその後に現れたマルコ(「遊ぼう」としつこくつきまとわれるので心底迷惑していた)を救い出すために、危険を冒して敵の真っ只中に舞い戻ったのだ。ほんの一年前なら、セイジア・タリウスと出会う前の、ジンバ村にやってくる前の彼なら、少年たちを容赦なく見捨てたことだろう。だが、今の彼にはそれができなかった。2人を助ける、と決めた瞬間に「おれは馬鹿だ」とわかっていたし、どうにか助けた今でも「やっぱり馬鹿だった」と思っていた。せずに済んだかも知れない大怪我をして、痛くて苦しくてたまらない。しかしその一方で、出所の分からない充実感で占められた胸の裡はとてもさわやかで、自分のやったことを悔やもうとはまるで思わない。「馬鹿だったが、それならそれでいい」と思っていた。戦火の中で、男はまだ見ぬ自分自身と出会い、新しく生まれ変わろうとしているのだろうか。
「おっちゃん、死んだらダメだよ。頑張ってくれよ」
「今度はぼくらがおまえを助ける番だ。しっかりしてくれ」
涙ながらに励ましてくるマルコとジャロに、「影」は刃のように光る歯を見せて、
「おれの心配よりもてめえの心配をしてろ。まだ何も終わっちゃいねえんだ」
精一杯声を張り上げて彼らを遠くへ逃がそうとするが、
「よくもやってくれたねえ」
背後から聞こえた甘ったるい声で、間に合わなかったか、と呻き声を漏らす。
「まさか村ごと吹き飛ばすなんて、恐れ入ったよ」
ヴァル・オートモが燃えさかる炎の中で端然と立ち尽くしていた。「影」の最大にして最後の罠をもってしても、「双剣の魔術師」を葬り去ることは遂にできなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます