第174話 小さな騎士と最後の罠(その4)
「きみにはガッカリだよ」
ヴァル・オートモはそう言って「影」の胸を踏みつけた。横に走った深い傷を鉄の爪先で抉られて、さしもの怪人も苦鳴をこらえることができない。
「吠え面をかかせてくれるんじゃなかったのかね?」
「双剣の魔術師」のあからさまな嘲弄も、あたりを取り囲んだアステラ王国国境警備隊たちの笑い声に反論しようとは思わなかった。敗北を喫したことで黒い男から敵に立ち向かえるだけの体力も闘志も失われつつあったのだ。だから、
「殺すならさっさと殺せ」
と吐き捨てたのだが、
「そうはいかないよ」
甘いマスクの警備隊長は一笑に付す。
「まだ聞かなきゃならないことがたくさんあるんだ。この村のみんなが何処に行ったのか知りたいんだけど」
誰が言うものか、という固い決意を仰向けに転がった男の顔に見たオートモはわずかに眉をひそめると、
「素直にならないと痛い思いをすることになるよ」
剣をぶら下げたままの両手をかすかに揺らした。勝負に敗れてしまった以上拷問は避けられなかったので「影」は「好きにしろ」と捨て鉢に思うだけだったのだが、
「隊長、おれらにもやらせてくださいよ」
「こいつにはさんざん煮え湯を飲まされたんだ」
20人ほどにまで数を減らした生き残りの騎士たちが憎悪と復讐心で目を光らせているのにはかなりげんなりさせられた。弱い奴ほど残酷に人をいたぶるものなのだ。楽には死ねないらしい、とこれから自らを見舞うであろう災厄を案じているところへ、
かきん!
突然甲高い音が鳴り響いた。「お楽しみ」にはしゃいでいた警備隊員たちの笑い声は止み、「影」の上にのしかかるように立っていたオートモも驚いて目を丸くする。「魔術師」と呼ばれる男は最初に高々と上げられたおのれの右手を見てから、続いて地面に転がっている物体に目を落とした。さっきまではなかったはずの拳ほどの大きさの石がきれいに両断されているではないか。つまり、頭部めがけて飛んできた石を無意識のうちに右手で持った剣で撃墜した、ということなのだろう、とオートモは推測する。一流の騎士ならば誰もが内蔵しているはずの防衛機構がオートマチックに発動したわけだ、と怪我をせずに済んだことにほっと息をつきながら、
「一体何の真似だい?」
警備隊長は深い闇に向かって呼び掛けた。すると、あかりのない暗がりからひとつの人影が歩き出てきたのに、オートモも彼の部下もそして彼に斬られた「影」も、その場にいた全員が思わず目を見開いた。子供じゃないか、と誰もが思っていた。日付も変わった時刻に、住民が皆逃げ去った集落にまだ10代前半の少年がひとりきりで残っていると考えた者などいなかったのだ。しかし、それでも、
「だめじゃないか。いきなり石なんて投げたりしたら」
甘ったるいマスクに似合わず剛胆なヴァル・オートモは早くも冷静さを取り戻すと、いきなり現れた謎の男児に向かって話しかけたのだが、
「石を投げられるようなことをするのが悪いんだ」
と少年は言い返してきた。
「なんだって?」
思わぬ反撃を食らい、わずかに気を高ぶらせたオートモに向かって、
「そこの男は怪我をしているじゃないか。それをよってたかって痛めつけるとは感心しない。少なくとも騎士がやるべきことじゃない。だから、ぼくは石を投げて止めようとしたんだ」
まだ声変わりを済ませていない高めの声で堂々たる理屈を述べてこられたので、ジンバ村を襲った男たちは気を呑まれてしまうが、ただひとりオートモだけは「ふーん」とつまらなさそうな顔をして、
「きみはこの男と知り合いなのかい?」
右の剣の切っ先を「影」に向けながら、さっきよりも温度の低くなった声で訊ねる。
「いや、知り合いという程じゃない。何度か遠くから見かけたことはあるけど。でも、だからといって、卑怯な振る舞いを見逃すわけにはいかない」
子供相手に本気になるのは大人げない、とわかってはいても、「双剣の魔術師」はこの少年に対する不快感が増していくのを止められずにいた。こまっしゃくれたガキが訳知り顔で何を言ってやがる、と怒鳴りつけたかったが、それを思い留まったのは人前で感情を発露させるのを嫌う気位の高さと好奇心のなせるわざだった。
(こいつ、一体何者だ?)
栗色にカールした髪と女の子と見間違うほどのルックス、それに身なりも上等で犯すべからざる気品まで漂っていて、ただの田舎者であるはずがない。そんな子供がこの騒乱の場に出てきたのは一体どういうことなのか、と考えてから、
(いけない、いけない)
首を軽く横に振りながらオートモはどうにか落ち着きを取り戻そうとする。どんなに風変わりでも少年は少年に過ぎないのであって、彼ひとりが出現したところで戦況が覆るわけではなく、何も変わるはずがないのだ。よって、
「そこの坊やをなんとかしてくれ」
近くにいた部下に対応を一任する。「対応」といっても銀行の受付係のように丁寧に話を聞き取るわけではなく、一発の拳骨で黙らせるプリミティブな方法がとられるはずだった。生意気な子供は痛い目に遭って世間というものを勉強すればいいさ、と幼い闖入者に対する関心を捨て去って「影」へと向き直ろうとしたヴァル・オートモの耳に、
「ぼくはジャロ・リュウケイビッチだ」
少年が名乗る声が聞こえた。
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