第160話 死の罠(その1)
「やれやれ。まさかこんな目に遭うなんてね」
闇の中にヴァル・オートモの低い声が響いた。独り言のつもりだったが、自分でも意図していないほどに大きくなったのは、アステラ王国国境警備隊隊長という要職にある者が思いがけない苦境の中にあるゆえなのかもしれなかった。
本来であれば、赤子の手をひねるがごとき簡単な作戦のはずだった。人口100人に満たない小村(確かジンバ村、とかいう名前だった)をその3倍もの軍隊で攻め滅ぼそうという、オーバーキルにも程がある計画だった。しかも、村を守る戦力はたった2人の騎士しかいない、と見込んでいたのだが、そのうちの一人を軽視すべきではなかった、とオートモは今になって悔やんでいた。
(彼女の怖さはよくわかっていたつもりだったけど、それでもまだ十分ではなかった、ということなのかな)
セイジア・タリウス。かつての上官がこの局面で彼の目前で立ちはだかっていた。実を言えば、オートモの感想とその本心は別物であって、セイを怖いと思いたくない、彼女の実力を大きく見積もりたくない、という思いが「双剣の魔術師」と呼ばれた男の判断を誤らせていたのかもしれなかった。
(まあ、わたしの考えが甘かったのは認めざるを得なかったけど、それにしてもあまりにも予想外だよ)
呆れながら、首を巡らせて後方にいる部下の様子をうかがう。隊長である彼と同じように森の中で蹲っている者、あるいは這いつくばっている者たちの姿が見受けられたが、作戦が開始した時点で総勢100人いた隊員たちは、今ではその半数以下にまで減っていた。ほんの1時間前、あともう少しで集落にたどりつくという地点で、警備隊を襲った謎の攻撃によって多くの部下が即死または戦闘不能となって従軍できなくなってしまったのだ。
(まさか、「魔弾の射手」があちら側についているとは思わないじゃないか)
アステラ王国の危機になると現れる正体不明の弓の達人の超遠距離狙撃にさらされたオートモたちは森の中に逃げ込むことしかできず、そのおかげで予定していた作戦行動は大幅な変更を余儀なくされていた。本来であれば既に村を支配下に収めていた時刻に、警備隊はいまだに集落の中に入ることすらできずにいたのだから到底許されない遅延ではあったが、ヴァル・オートモはただの優男ではなく優秀な軍人でもあったので、失点を取り戻すべくリカバリーのための行動をとっていた。
「よし。もう大丈夫なようだね」
今度は意識して大きな声を出したのは、部下に聞かせようとする意図があったからだ。時ならぬにわか雨のように降り注ぐ矢を避けるために森に入ってから、彼は生き残った部下を引き連れてジンバ村の方へとゆっくりとではあったが確実に近づいていた。そして今、警備隊長の眼には村の入り口がしっかりと見えていた。もう日付も変わっているだろうが、昼間に村人たちに降伏を勧告するために通りがかった見覚えのある道だ。ここまで来れば村に入ったも同然、という安堵感とともに、
(何故かは知らないが、「魔弾の射手」はもうわれわれを狙ってはいないらしい)
という別の安堵感もあった。むしろそっちの気持ちの方が大きかったかもしれないが。そのように考えたのはオートモの豊富な経験から得た直感と理性から導かれた結論でもあった。「魔弾の射手」が本気で仕留めるつもりなら逃亡した彼らを見逃すことなく追撃を加えていたはずなのに、二の矢がいまだに飛んで来ないのは、攻撃を続ける意思がないと見るべきなのだろう。絶好のチャンスをあえてスルーした敵の意図はわからないし、わかる必要もない気がした。男か女か、若者か年寄りかもわからない人間(そもそも人間なのだろうか?)のやることだ。考えるだけ無駄だ、と深い思考をする習慣のない青みがかった髪の騎士は結論付ける。今大事なのは一刻も早く遅れを取り戻して作戦目標を達成することだ、とヴァル・オートモは意を決して立ち上がる。
「さあ、行こうか」
ジンバ村への進撃を再開する、と宣言したものの隊員たちの反応は鈍かった。森から一歩出れば、再び「魔弾の射手」の神がかったまたは悪魔じみた射撃に襲われるのではないか、という不安が拭えなかったからだが、
「大丈夫だって、ほら」
部下の恐怖を消し去るべく、「双剣の魔術師」は山道へと足を踏み出す。正直なところ、彼にも不安がないではなく、足はかすかに震えていたのだが、10秒、30秒、1分が過ぎても何も起こらず、
「ほら、言ったとおりだろ?」
両手を大きく広げて安全性をアピールしつつ、ややひきつった笑いを浮かべてみせると、部下たちも恐る恐る表へと出てきた。そして、大丈夫そうだ、と確信すると互いに顔を見合わせて頷きあった。
「思いがけずトラブっちゃったけど、ここから本領発揮と行こうじゃないか」
陽気すぎて多少わざとらしい、と体面を気にする優男は思ったものの、リーダーの励ましは効果があったらしく、おー! だの、やー! だの隊員たちは威勢のいい声を上げた。人数はだいぶ減ってしまったが、それでも50人近く残っていて、作戦の遂行には何ら問題はなく、勝利は約束されたも同然だった。叫んだだけでは飽き足らなかったのか、長きにわたる恐怖の時間から解放された喜び、戦友を失くした復讐の念、そういったものに突き動かされて、
「隊長、先に行かせてもらいます!」
一人がそう叫ぶなり「おれも」「おれも」と後からいくつもの声が続いて、数人の騎士がそのまま怒鳴り散らしながら、集落へと続くなだらかな下り坂を駆け下りていく。
「おいおい。張り切りすぎだって」
オートモは笑いながらたしなめるが、本気で止めはしなかった。もともと部下をルールでがんじがらめにするのは好きではなかったので(騎士時代の彼は規則破りの常習犯だった)、やる気はありすぎるくらいがちょうどいい、と部下の勝手な行動を大目に見るつもりでいたそのとき、
ぼこっ!
と大きな音が突然鳴り響いたかと思うと、前方を走っていた部下の姿がどこにも見えなくなっていた。
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