第139話 暗夜の葬送曲(その7)
カリー・コンプの旅は長いものとなり、サタドを出て大陸を放浪しているうちに彼は少年から青年へと成長し、歌声と演奏もより進化を遂げた。しかし、その旅路は決して平坦なものではなく、災難に見舞われることも多々あった。「楽神」と呼ばれるまでの天性の才能がトラブルを招き入れてしまうのも珍しくなかったが、音楽の腕前によってどうにか切り抜けたこともあったので、カリーは自らの力をいいものとも悪いものとも思えず困惑するしかなかった。また、少年時代に彼と同じ盲目の仕事人から教わった杖術も身を守る手段として大いに役立ったのだが、因縁をつけてきたごろつきを叩きのめしたために逆恨みされてますます面倒に巻き込まれる、というケースを何度か経験してから、
「黙ってやられておいた方がいいときもある」
と考え出して、大して身の危険がないと判断したときには、悪漢どものなすがままに身を任せるようにもなった。もちろん、暴力にさらされて身体は傷つくが、歌声を発する咽喉と楽器を爪弾く両手さえ無事ならばいくらでもやり直しは効く、という思いもあったし、アステラの都では袋叩きを耐え忍んだおかげ(というのも妙な気もするが)でセシル・ジンバという素晴らしい女性と知り合えたのだから、自分の考えは間違っていない、と詩人は信じていた。
とはいえ、そのような対処も意味をなさないほどの絶体絶命のピンチに陥ったこともあって、生命の危機に立たされたカリーはそのときだけは自らに課していた禁を破らざるを得なかった。すなわち、本気で歌うことだ。普段は抑えている力を思い切り解放すると、「楽神」の歌は人知を超えた超能力を発揮して、この世界に有りうべからざる奇蹟を引き起こし、それによって吟遊詩人は死地を抜け出すことができたわけである。
心ならずではあったが、何度か「力」を使っているうちにカリーはその操り方を少しだけつかみ、ごく稀に日常の中で行使するようにもなっていた。たとえば、不作に苦しむ村の畑で楽しげな
「やはり恐ろしい力だ」
最大限に集中していなければあっという間に飲み込まれて暴走してしまう、と「力」を使うたびに感じていた。成長した彼でもほんの数秒歌うのが限界だった。いくら鍛えたところで使いこなせる自信はなかったし、そもそも使いこなしたいとも思わなかった。自分がなりたいのは歌うたいであって、「神」などというわけのわからない存在ではない、と考えたカリーは、
「わたしは本気を出してはいけない人間なのだ」
と我が身に見えない鎖を自分から巻きつけた。だから、カリー・コンプはいついかなるときも、舞台が大劇場であっても街角であっても、観客が金持ちだろうと庶民だろうと、持てる限りの力を尽くそうとはしてはきたが、いかんせんそれは彼の全てではなかった。心のどこかで常に抑制を保とうと気を配っていたために、「楽神」が全力を出したことは一度としてなかったのだ。
しかし、その一方で、旅の空の下で一人眠りにつこうとして、人生をかけて覚えた技術を思う存分使うことなく死んでいくのか、と考えてどうしようもない虚無感にとらわれる夜もあった。そのたびに、藩主の宴で倒れ込んだ大勢の人々を思い起こして、
「あんなのは二度と御免だ」
諦めを深く噛み締めて、それ以上何も考えないように努めた。誰かが傷つくよりは自分が傷つく方がいい、と考え、欲望に蓋をしたまま生きていこうと思っていたカリーだったが、彼が想いを寄せるセイジア・タリウスの頼みによって、詩人は禁断の力を使わざるを得なくなる。「金色の戦乙女」を追って訪れたジンバ村で、他ならぬ彼女に呼び出されて、
「おまえの力で村を守ってほしい」
と言われたときは呆気に取られてしまったものだ。
「どうして、わたしのような目の見えない非力な者にそんなことができるとお思いで?」
と訊き返すと、
「だって、おまえならできるだろう? わたしにはわかるんだ」
あっさり答えられて愕然としてしまう。何度かやり取りを続けているうちに、セイはカリーの「超能力」について詳しく知っているわけではなく、なんとなく察しているだけだ、というのがわかったが、それが逆に歌うたいにはおそろしく思えた。根拠のある推理ならまだわかるが、ただの勘で的中させるなんてそれこそ「超能力」ではないか、と最強の女騎士の鋭すぎる直感に背筋が寒くなるのを感じるのと同時に、
(最初からそのつもりだったのか)
とセイの意図を悟ってもいた。話を聞いたところ、そう遠くない時期に百人以上の賊がこの村に襲ってくる、とのことだったが、彼女はカリーを村を防衛する「戦力」として計算していたのだ。だからこそ、詩人の来訪を喜び、「しばらくここにいてくれ」と滞在するように頼んだわけだ。
(セイジアが根っからの軍人だというのを忘れていた)
てっきり好意を持たれていると浮かれていた詩人は自らの思い上がりに苦笑いしてしまうが、皮肉な思いがこみ上げてくるのも感じていた。愛する女性の頼みを聞けばおのれに課していた掟を破らざるを得ないし、掟を守ろうとすれば彼女の信頼を失うだけでなく村も守れなくなる。こちらを立てればあちらが立たず、というどうにもならない状況に陥ったものの、
(今のわたしの思いを歌にすればきっといい曲ができるだろう)
そんなジョークを思いつくほどにカリー・コンプが落ち着いていたのは、答えが既に出ていたからだ。他人が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がマシ、という日頃抱えた思いに何ら変わりはなく、おのれの信念などというチンケなもののためにセイや村人たちを犠牲にすることなどあってはいけなかった。
「このカリー・コンプ、及ばずながら力を尽くさせていただきます」
「ありがとう、カリー。おまえのおかげで村を守る目途がつきそうだ」
礼を言うセイの明るい声が鼓膜を震わせるのを感じながら、
(お礼を言いたいのはわたしの方ですよ)
詩人は金属のように冷たく硬い思考を頭の中で作り上げる。女騎士が与えてくれたのは、一生あるはずもないと思っていた全力を出す機会であったが、その舞台のフィナーレに何が待ち受けているのか、神にもたとえられる男にもそれはまだ見えないままで、手足の末端が震えるのは歓喜のためか恐怖のためか、それもわかりはしなかった。
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