第117話 戦いの前に(その1)
「うむ。ぴったりだ」
セイジア・タリウスが満足げに頷くと、
「まさに上出来だ」
ナーガ・リュウケイビッチも感嘆の声を漏らした。2人の騎士は戦争が終わって以来初めて、鎧で身を固めていた。これから多数の敵と戦う以上、武装した方がいいのは当然のことだった。彼女たちは村の集会場で鎧を身に着けたのだが、
「あたりまえだ。このおれの仕事なんだ。出来が悪いわけがない」
すぐそばで様子を見守っていたガダマーが太く短い腕を組みながら憎まれ口を叩く。この鍛冶屋が女騎士たちのために鎧を仕立てたわけだが、一から作ったわけではなく、戦いが避けられないのを予期したセイが近隣の村から使われなくなった武器と防具を貰い受けて、それを使い物にしてくれるように頑固な職人に頼んだのだ。そういう事情もあって、セイとナーガの鎧は揃ってどこか古めかしく見栄えもあまり良くない代物だったのだが、「金色の戦乙女」と「
「いや、全くだ。ガダマー、おまえは実にいい仕事をしてくれた」
と言いながら、金髪の女騎士は腰に佩いた
「おまえのおかげで十二分に戦えそうだ。本当にありがとう」
ずしりとした重さに満ち足りた笑みを浮かべる。まっすぐな褒め言葉に耐えきれなくなったのか、髭で覆われた丸い顔を真っ赤にして、
「うるせえ。おれは料金を貰ったからそれに見合った仕事をしただけだ」
どすどす、と大きな足音を立てながら外へと向かいかけて、
「せっかく作ってやったんだ。死んだりしやがったら承知しねえぞ」
扉の前でぶすっとした口調でつぶやいてから出て行く。頭から足元まで鋼で覆った美女2人は一瞬ぽかんとしてから、ほぼ同時に笑いを爆発させた。
「素直じゃないなあ、あいつ」
なんだ、ちゃんと心配してくれているんじゃないか、とセイが涙を流し、
「エリが惚れた理由がわかった気がする」
かわいいところがあるんだな、とナーガも腹を抱える。ガダマーの妻エリはかつてリュウケイビッチ家のメイドだった。偏屈でいかつい男の意外な一面を発見したことは、迫り来る危機に緊張していた騎士たちの心をわずかながら慰め、それでモクジュの少女騎士はアステラの女騎士に訊ねる気持ちを起こしていた。
「なあ、本当にいいのか?」
「何がだ?」
質問が簡潔すぎたのは自分でもわかったので、ナーガは補足することにする。
「あいつ、カリー・コンプのことだ。本気であいつを村の南の守りに当てるつもりなのか?」
それは常識的な疑問と言うべきものだった。戦いの素人を重要な拠点に担当させることがどう考えても妥当とは思えなかった。しかも、盲目の吟遊詩人ただひとりに防御を任せるなど、古今東西においていまだかつて採用されたことのない作戦であることは明らかであり、暴挙としか思えなかった。だが、
「なあ、ナーガ。思い出してくれないか」
そう言いながらセイは浅黒い肌の娘をじっと見つめて、
「わたしに頼まれて、カリーはずいぶん困っていたが、それでも『できない』とか『無理だ』とは言わなかっただろう?」
青い瞳の騎士の言葉を聞いて、「確かにそうだった」とナーガは絶句する。しかし、
「それは一体どういうことなんだ? あの歌うたいには軍隊を相手にできるだけの力があるというのか?」
疑問は膨らむばかりだった。あのカリー・コンプという男が歌と演奏にかけては天才と呼ぶべき腕前なのは一応知っていたが、それでも多くの敵を倒すだけの手段を持っているとはとても思えない。
「わたしも詳しいことは知らない。だが、カリーには敵を撃退する力がある、ということだけは知っているし、今はそれで十分だ。というか、あいつに頑張ってもらわなければ、わたしたちの勝利の可能性はきわめて低くなる」
セイの切れ味鋭い言葉に、ナーガは黙り込んでしまうが、
「カリー・コンプが失敗したときのことは考えてあるんだろうな?」
次善の策について聞く必要があった。ドラクル・リュウケイビッチには「プランBを用意するのは戦士のたしなみだ」と常々注意されていて、祖父が他界した後も孫娘はその教えを忠実に守っていた。
「まあ、そのときは『影』のやつに頑張ってもらうさ。だからこそ、あいつに南を守らせなかったわけでもあるのだが」
なめらかな答えぶりに、なるほど、と金の瞳の少女騎士は疑問が氷解したのを感じた。「影」も相当な使い手であるが、彼が倒されれば本当に後がなくなってしまう。それを考えて、セイは黒い仕事人に別の任務を担当させたのだろう。
「それに、わたしも出来るだけすぐに西から来る連中を撃退して他の援護に回るつもりだ」
かつてアステラの騎士団を率いていた女子は「プランB」をちゃんと想定していたらしい。偉大なる「モクジュの邪龍」の眼鏡にもかなうだろう、と思ったナーガだったが、その表情が晴れないのにセイは気づいて、
「なんだ? まだ心配事があるのか?」
そう訊ねてみると、しばらく躊躇ってから、
「いや、わたしひとりだけで守り切れるのか、今一つ自信が無くてな」
異国から来た娘は恥ずかしそうに小さく呟いた。彼女は村の北の守りを任されていたが、「蛇姫」と呼ばれた女戦士でも100人余りの敵を単独で相手にしたことはなく、それに加えて自分が失敗すればジンバ村が危機に陥る、と考えるとこみあげてくる不安を抑えることができなかった。
「今頃になって、泣き言を言うのもみっともないのだが」
そう言いながら俯きかけたナーガの肩をセイが、ぽん、と叩いた。
「それでいいんだよ、ナーガ」
「え?」
顔を上げると「金色の戦乙女」の白い顔がよく見えた。何の底意もない思いやりに満ちた笑顔がとても眩しい。
「戦いの前は誰の心も弱くなるものさ。死んでしまったらどうしよう、負けたらどうなってしまうのか、そういうことを考えないやつがいたら、そいつが大嘘つきか余程の馬鹿者に違いない」
ナーガの肩に置いた手に、ぐっ、と力を込めて、
「おのれの弱さを隠さないことが、強くなるための第一歩だ、と昔わたしに教えてくれた人がいた」
オージン・スバル。セイジア・タリウスのかつての上官からかけられた言葉なのだろうか、とナーガは思う。
「それで言えば、ナーガ、自分の中の恐怖心を素直に認められるきみは十分に強いんだ」
うん、と大きく一度頷いて、
「大丈夫だよ。きみの強さは、何度もやり合ったわたしが保証する。きみなら必ずこの戦いを勝ち抜いて、みんなを守ることができる」
おかしなものだ、と「蛇姫」は笑ってしまいそうになる。かつて命を狙った宿敵に優しい言葉をかけられて、それで心が奮い立っているのを奇妙に思わない方が難しかった。だが、その不条理さは何処か心地いいもので、否定する気にはまるでなれなかった。
(セイジア・タリウス、おまえは本当に大したやつだよ)
そんなこと、面と向かって言うつもりはないけどな、と薄く笑みを浮かべながら、ナーガはセイから少し身体を離すと、すっ、と右の拳を顔の前に掲げた。
「今日だけだ」
「え?」
言葉と行動の意味が分からず、セイがナーガの顔と金属の籠手をそれぞれ眺めていると、
「わたしとおまえは決して相容れないが、今日だけは一緒に戦ってやる。わたしは必ず生き残るから、おまえも必ず生き残れ。そして、この村のみんなを一緒に守るんだ」
ガダマーだけじゃなく、こっちも素直じゃないな、と思いながらも、体中が喜びであふれていくのを感じながら、セイは思いのままに動き、言葉を発していた。
「ああ、もちろんだ。このセイジア・タリウス、悪しき心を持つ兇賊を薙ぎ払う剣となることをここに誓う!」
ナーガも全力で応える。
「ナーガ・リュウケイビッチ、大恩あるジンバ村の人々を暴虐より守り通す盾となることをここに誓う!」
そして、2つのガントレットが打ち合わされた。「金色の戦乙女」と「蛇姫」の共闘が成立したのは、まさにこの瞬間であった。
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