第95話 リボン・アマカリーの帰還(その6)
ワトキンス弁護士の告白で場は騒然となる。長らく行方不明だった令嬢リボン・アマカリーが大人になって戻ってきた、というのだから誰も冷静ではいられなくて当然だったが、中でも当主であるロベルト・アマカリーの動揺は激しく、
「貴様、どのような証拠があって、あの女をわたしの姪だと認めぷぎゃっ!」
呂律が回らなくなって噛んでしまう始末だった。感情的になる人間を相手にするのは職業柄慣れているのか、
「まあまあ、落ち着いてください」
と子爵をなだめた後でワトキンスは、
「証拠と言われれば、リブ・テンヴィーさん、彼女がわたしの元までやってきたのが最大の証拠だと言えるでしょうな」
「なんですって?」
子爵夫人エレナが叫ぶ。度重なる衝撃のためか、彼女の風貌はこの数分で10歳以上も一気に老けたように見えた。
「何故なら、先程も申し上げた通り、財産の売却及び移動に関しては、わたしとリヒャルト氏の2人だけで進められた内密の話だったからですよ。リヒャルト氏は秘密が漏れないよう気を付けてましたし、わたしは弁護士として守秘義務を負っているわけでして、この件を第三者が知ることはできなかったはずなのですよ」
ちらり、とリブの顔を伺い見てから、
「ただひとり知り得る人間がいるとすれば、あの方が財産を譲ろうとしていたお孫さんでしょうな。『あの子にはいずれ伝えておくつもりだ』とリヒャルト氏が仰っていたのをはっきり覚えています。どのような形で伝えるかまではわたしも知りませんでしたが、手紙にメッセージを隠すとはさすがに驚きました」
冴えない外見に似合わずなかなかの切れ者であるらしい法律家の話を聞きながら、
(リヒャルト氏はリブにどうやって伝えようか迷っていたのだろう)
セドリックは考える。他の誰にも知られることなく孫娘だけに伝わる手段、それを見つけるのは辣腕政治家といえども容易ではなかったろうが、少女が祖父に幻滅した一件がヒントを与えてくれた、というのは皮肉な成り行きにも程がある、というものだった。「それにしても」と伯爵はまた考えてから、
「きみのために資産を残そうとした、ということはリヒャルト氏はロベルト氏を信用していなかった、ということになるが」
弁護士に食って掛かっている最中の子爵を眺めながらリブに訊ねると、
「残念ながらそうみたいね」
女占い師は溜息をついた。叔父が後継者から除外されたのを不満に思っていたのに祖父も気付いていたのだろう。心臓の病を抱えていた先代子爵が、自らの死後に起こる事態を不安に思っても無理はなかった。
「ゲオルグに手紙を書いたのもそのあらわれでしょうね。おじさまを信用していたら、あんな手紙は必要ないもの」
孫娘に宛てた手紙を渡さないのではないか、と実の息子に不信を抱いた祖父の心中を思うとリブはやりきれない気持ちになり、その心配が現実のものになってしまったことにさらにやりきれなくなってしまう。
「しかし、あの手紙を大人になってから渡すように、と指示してあったのは、いささか悠長すぎた気もするが」
結果論になってしまうのはわかっていても、セドリックはそう言わずにはいられなかった。リボン・アマカリーは災厄に見舞われて危うく命を落とすところだったのだから、もっと対策をしておくべきだったのではないか、と思えてならなかったのだ。
「それは言わないであげて」
リブは悲しげに眉をひそめてから、
「もし仮に、おじいさまが亡くなられてすぐにお金を渡されていたとしても、わたしにはどうしようもなかったと思うの。13歳の娘が莫大な財産を扱うなんて到底な無理な話よ。だから、おじいさまの指示は正しかったと思う」
それに、と呟いてから瞼を閉じて、
「おじさまを信用していなかったとしても、さすがにあそこまでひどいことをするとは思ってなかったんじゃないかしら。思ってなかった、というよりは、そう思いたかった、ということなのかもしれないけど」
なるほど、とセドリックは頷いて、出来の悪い息子をそれでも信じようとした親心の悲しさを思った。親の愛情への裏切りこそが、真に責められるべきものだった。若い恋人たちが小声で話し合っている一方で、
「ええい。確たる証拠を出せ。何もなしに、そんな馬鹿げた話を信じられるものか」
いきりたつロベルトに「そう言われましても」とワトキンスはうんざりした顔をして、
「リブさんから一通り話を聞きましたが、一貫していて矛盾は見当たりません。仮に法廷に持ち出したとしても、十分採用されうる説得力のあるものです。裁判官も彼女をリボン・アマカリーとして認めることでしょう」
馬鹿馬鹿しい、と子爵は下卑た笑顔になって、
「あの女は占い師だぞ。嘘をつくなんて朝飯前なんだ。そんな女の言い草に弁護士先生がまんまと乗せられるとは呆れて物も言えん。色仕掛けでもされたのではないかね?」
リブを侮辱する発言にかっとなったセドリックが言い返すよりも早く、
「あなた様は本当にリボンお嬢様なのですか?」
ゲオルグが叫んでいた。人一倍辛抱強い使用人も終わりの見えない言い争いに遂に痺れを切らせたのだ。心から敬っていた可憐な令嬢が長い時を経て戻ってきたかもしれない、と思うとこれ以上我慢することなどできなかった。聞く者の心を震わせる元執事の悲痛な叫びが沈黙を招き入れ、夏の午後の屋外には陽光だけが満ち溢れる。そして、
「わたしが何者なのかは今はどうでもいい話じゃないかしら?」
リブ・テンヴィーはまるで感情を交えない声でつぶやいた。
「なんだと?」
ロベルト・アマカリー子爵は愕然とする。この女占い師がリボン・アマカリーの名を騙って金品をむしり取ろうとしてくるものだとばかり思っていたので、完全に予測を外された格好になる。ならばこの女は一体何を狙っているのか、思考も視野も狭い男がパニックに陥っている一方で、
「先代アマカリー子爵の遺産を現在の当主にお渡しすること、それがわたしがここまで来た理由の一つよ。お受けいただけるかどうか、今すぐ返答していただけないかしら?」
わけがわからなかった。万が一にも有り得ない話だが、仮にこの女が彼の姪だったとして、こんなことをして何の得があるのか。外面だけは貴族だが、内面では常に損得ずくめで考えている初老の男には妖艶な占い師の行動原理が全くもって読めなかった。
(らちがあかないわね)
身に余る事態に馬鹿面を曝け出す叔父に苛立ったのか、リブは一歩前に踏み出すと、
「答えがないようだから、こちらから要望を伝えることにするわ」
その言葉にアマカリー家の人々だけでなく、セドリック・タリウスとワトキンスも驚く。美女に同行してきた2人も事前に聞かされていない展開が始まろうとしていた。だはははは、と出し抜けにロベルトは笑って、
「やはりそうだったのか。その要望というのは、わたしの財産を根こそぎ持っていこうというのだろう。貴様のような下賤の人間の考えなどわたしにはお見通しだ。そうはさせ」
「いや、そうじゃなくって」
まくしたてる子爵をばっさり切り捨ててから、
「子爵様、あなたのお困りごとをもうひとつ解決しようと思ってるんだけど、いいかしら?」
またしても予想外の方向から矢が飛んできて、初老の貴族の全身はがくがく揺れる。
「馬鹿を言うな。困りごとなどあるものか」
「いいえ。あなたは困っているはずよ」
リブはにんまり笑ってから、
「煌炎の真紅石」
アマカリー家に代々伝わる宝石の名をつぶやいた途端に、子爵もその夫人も「ひい」と思わず悲鳴を漏らしていた。先代国王に拝謁した際に家宝のルビーを身に着けていなかったことを見咎められた不祥事は、当主夫妻のトラウマになっているようだ、と占い師の慧眼はたちまち見抜く。
「あの宝石、失くしてしまってお困りなんでしょ?」
馬鹿な、そんなわけがあるか、と叔父が口の端にあぶくを溜めているのを見て、「やれやれね」とリブはくびれた腰に手を当てて呆れ顔になる。これじゃあおじいさまも跡継ぎに選ばないはずだわ、と現当主のふがいなさに嘆息してから、
「わたしでよければ、『煌炎の真紅石』を見つけて差し上げたいんだけど」
どうかしら? と微笑む美貌を目にして、その頼みを断れる者など、この地上には存在しないはずだった。
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