第93話 リボン・アマカリーの帰還(その4)

最初は心当たりのなかったロベルト・アマカリーだったが、

「あっ、それは?」

背後でゲオルグの声が聞こえたので、リブ・テンヴィーが手にした封筒の正体を思い出した。

「この手紙に見覚えがあるはずよね?」

ごくり、と唾を飲み込んだのは、この占い師の微笑があまりに魅力的だったためか、それとも彼女が想像以上に子爵家の内情に通じているのに怒りを感じたかはわからなかったが、

「父上が亡くなる間際にゲオルグに向けて書き残した手紙だ」

どうして貴様がそれを持っている? と怒鳴ってみせたが、「いろいろあってね」と涼やかな美貌であっさりと受け流される。

「じゃあ、何が書かれてあったかもご存じよね?」

ああ、と子爵は頷いてから、

「わたしの姪のリボンへ令嬢としての心構えを説いたものだと記憶している」

「ええ、うわべだけ見ればそうとしか読めないわね」

白い封筒を赤いルージュが映える口許にやってから、

「だから、あなたは中身をあらためたうえで、残しておいたとしても自分にとって不利に働かない、と判断して、取り上げないでゲオルグに返してあげたのよね」

「人聞きの悪いことを言うんじゃない。わたしが父上の手紙を勝手に取り上げたりするものか」

あら、とリブは眼鏡のレンズを、きらり、と光らせて、

「じゃあ、先代子爵が書いた他の2通、あなたと孫娘に宛てられた手紙はどうしたのかしら? あなたが持っていった、って聞いているけど」

えっ? と使用人たちの中に恐慌が走ったのが占い師と伯爵と2人に同行してきた中年男の眼にはしっかりと見えた。ゲオルグは同僚にもこの秘密を漏らしていなかったのだろう。

「貴様が何を言っているのかさっぱりわからん。そんな手紙などわたしは知らん」

「だとしたら妙な話ね。実の息子を差し置いて執事にだけ手紙を書き残すなんて、あなたはお父様から信用されてなかったのかしら?」

皮肉の切れ味が鋭すぎて、「黙れ! 黙れ!」と絶叫することしかロベルトはできない。

(まあ、他の手紙の存在を認めるわけにはいかないのだろうが)

セドリックは初老の貴族の醜態に呆れながらも一定の理解を示そうと努力もしていた。先代子爵の遺言があると認めたが最後、リブは中身の確認を要求してくるに決まっていて、そうしたら手紙を処分してしまったことが明るみに出て、アマカリー子爵の立場はかなり悪くなるはずだった。

「わたしたちにそんな言いがかりをつけるなんて、この女、頭がおかしいんじゃないの?」

人間の可聴域ギリギリの甲高い声でわめき散らす子爵夫人の方こそ、「頭がおかしい」と周囲から見られかねなかったが、

(おそらくこの奥方が首謀者なのだろう)

タリウス伯爵は推測する。ロベルト・アマカリーが根っからの悪人であるようには彼には思えなかった。ひとりだけで凶行に及べるほどの精神力も持たない男だ。誰かが背中を後押しして悪の道へと進ませた、と見るのが一番ありそうなことだった。子爵の座に目がくらんだ女性が夫をそそのかしたのではなかろうか。

「ところで」

2人の男女の絶叫で沸き立った空気がリブの一言でたちまち元通りになる。この場を支配しているのが何者なのか、あまりにも明白だった。

「子爵様はおかしいとは思わなかった? この手紙、亡くなる直前にわざわざ書き残すほどの内容なのかしら? まあ、貴族としてのたしなみを説くのも大事なんでしょうけど、他にもっと書くべきことがあるんじゃないか、って普通は思わない?」

主演女優の朗々たるセリフ回しが聴衆の胸に沁みていき、「確かにその通りだ」と聞く者全員が彼女に同意していた。何より手紙を送られたゲオルグ自身が疑問を抱いていたのだ。

「でも、実はこの手紙には孫娘に向けたメッセージがしっかりと書かれていたのよ」

「えっ?」

子爵のみならず元執事も声を上げていた。そんな馬鹿な、と実際に手紙に目を通した2人が愕然としていると、

「あなたたちがわからなくても当然よ。そのメッセージは、先代子爵と孫娘にしかわからない符牒でもって書かれていたんだから」

ね? とリブはセドリックを見つめながらにっこり笑う。2つの菫色の瞳が光るのに胸が高鳴っていくのを感じながら、

(もしや、と思ったのが大当たりだったな)

恋人の役に立てた喜びも同時に感じていた。アマカリー家の許可があればリブとの結婚に前進できると思い、そのために内情を知っておきたい、と考えた伯爵が元執事のゲオルグを最初に呼び出して話を聞いたときに、手紙の存在を知って、ぴん、と来たのだ。知謀に長けた最強の女騎士の兄だけあって、彼もまた優秀な頭脳の持ち主だった。

(まったく、おじいさまもよくやったものね)

リブは祖父に感心するような呆れるような思いでいた。手紙に使われていたのは、彼がモクジュとの通信に用いていたのと同じ、そして孫娘が一目で見破った暗号だったのだ。これならば、手紙の真実の内容は祖父と孫の2人だけにしかわからない、というわけだった。

「出鱈目を言うな。そんな文章が隠されているはずがない」

納得できないロベルト・アマカリーが尚も叫んでいたが、

「先代アマカリー子爵リヒャルト氏が書き残していたのは」

妖艶な占い師は取り合わずに話を進めることにした。物分かりの悪い人間に付き合っていたら日が暮れてしまう。

「彼が孫のためにひそかに残していた隠し財産の在処だったのよ」

その言葉に、子爵の動きがぴたりと止まり、「え? え? え?」とリブの白い顔と金貨がぎっしり詰まった箱の間を視線がせわしなく往復する。魯鈍な男がようやく理解してくれた、と見たグラマラスな女性は「そういうこと」と頷いて、

「今日ここに持ってきたのは、それのほんの一部、というわけ」

嫣然たる笑顔を惜しみなく見せつけた。リブ・テンヴィーの堂々たる名演技に、すぐ隣に立っていた中年男は思わず拍手しそうになってから、

「ここからは、わたしが説明した方がよさそうですな」

ようやく自分の出番が巡ってきた、と思いながら一歩前に踏み出した男の背中に、「ええ、お願いするわ」とかけられた彼女の声は当然のように美しく聞こえた。

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