第78話 祝典の日(後編)
雨天のために用意されていた天幕は臨時の炊事場となり、式の参加者に提供する食事が作られていた。宴もたけなわ、というわけで、作る端から料理は消えていく一方で、手を止めるわけには行かなかった。
「ローストビーフ、あがりました」
「うん。いい焼き加減だ」
と言いながら、勢いよく湯気を立てる肉にソースをかけているのはセイジア・タリウスだ。油断なく周囲に目を配ってから、
「そろそろ酒が無くなるはずだから、ビールのお代わりを持って行ってくれ」
「はい、ただいまー」
白い三角巾を頭にかぶり、クリーム色のエプロンを身体の前面にかけて村のおかみさんたちを取り仕切っている姿は、戦場で軍団を率いる勇者というよりも、遠く離れた都の大衆食堂の女主人を連想させたが、そのように評されたとしたら、
「いやいや、おかみさんに似ているだなんておこがましい」
金髪の女子は顔を赤らめてしまったことだろう。
「おまえはまた妙なことをしているな」
ナーガ・リュウケイビッチが呆れ顔でテントの中に入ってきた。
「おや、ナーガ。何か注文しに来たのか?」
セイが目を丸くすると、
「いや、そうじゃない。みんな食事には満足している。『こんなごちそうを食べたのは初めてだ』と喜んでたぞ」
賞賛の言葉を耳にした女騎士は「そうか」とはにかむ。「くまさん亭」で磨いた腕前は錆びついてはいなかったらしい。
「わたしが気になっているのは、どうしておまえがわざわざ料理を作っているのか、ということだ」
ナーガに訊かれて、
「そりゃあ、わたしが作った方が一番都合がいいからさ。今日は村のお祝い事なんだ。村のみんなには楽しんでもらった方がいい」
「よそもの」が裏方に回るべきだ、という考え方は一理ある、と認めないでもなかったが、
(やっぱり変なやつだ)
モクジュの少女騎士はライバルと目する女騎士を見つめる。戦争を終わらせた英雄が自ら好き好んで雑用を志願する気持ちが今一つわかりかねたのだ。ただ、人々の喜びを陰ながら支えようとする心意気は、国は違っても同じ騎士として共感できるところがあった。だから、
「わたしも手伝おう」
自ら志願を申し出ていた。
「おいおい、きみはマキシムとエリの主人なんだから、会場で見届けた方がいいんじゃないか?」
思いがけない助っ人の登場にセイは喜ぶよりも困惑してしまったが、
「なあに。わたしの代わりにパドルがいてくれるから、その点は心配ない」
エリの花嫁姿に感涙にむせんでいるリュウケイビッチ家の執事を見て、「お嬢さん、よかったですね」とてっきり実の父親だと勘違いする者が続出していたのだが、それはさておき、
「それに、きみがどれくらい料理ができるのかわからない」
「何を馬鹿なことを。龍騎衆の皆はわたしの炊事当番を心待ちにしていたのだぞ」
「
「武勇においても、食においても、貴様に引けを取ることはない」
勇ましい挑戦にセイはにやりと笑って、
「じゃあ、お願いしようか」
「望むところだ」
同じく不敵に笑ったナーガは「後はまかせてくれ」とおかみさんたちを引きあがらせて、自らも頭巾とエプロンを身につけ、料理に取り掛かる。
「なるほど。大口を叩くだけのことはあるようだ」
ナーガの手際の良さにセイは思わず口笛を吹く。確かにかなりの技量があるようだ。
「当たり前だ。誰かと違って、わたしは嘘など言わん」
俄作りの厨房は2人の騎士が躍動する戦場へと変化し、多種多彩なメニューが山のように出来上がっていく。
「ナーガ、張り切るのはいいが、後片付けのことも考えておけよ。そこまでやるのが料理人の仕事だ」
「わかりきったことを言うんじゃない。たわけ者め」
メインディッシュを作り終えると、今度はデザートに取り掛かる。スイーツが乗せられた皿を持って、おかみさんたちが会場と炊事場をあたふたと往復していく。
「あちゃあ」
「少しやりすぎたかな?」
セイとナーガが作業を始めて15分も経たぬうちに食材が尽きてしまった。2人の女戦士をもってすれば、この程度の戦果を挙げるのはあまりにたやすかったのかもしれない。
「わたしたちも一息入れよう」
冷やしていない予備のシャンパンの瓶を手に取って、んぐんぐ、とラッパ飲みするセイに、
「貴様には恥じらいというものがないのか。野蛮人め」
ナーガは金の発泡酒を行儀よくグラスに注ぐ。
「だって、こうやって飲むのが一番美味いんだから」
臆面もなく言ってのけるので、「確かにそうなのかもしれない」と異国の少女騎士は説得力を感じてしまう。今度こっそりやってみようか、という気になる。
「いい式になったな」
「まあな」
セイとナーガの視線の先には喜びに沸く人々の姿があった。2つの新しい家庭が生まれることで、村の未来にも希望が見えてきたかのように思える。
(おじいさまには申し訳ないが)
ナーガはセイの横顔をこっそり覗き見て、
(今のわたしはこいつと戦う気にはなれない)
ドラクル・リュウケイビッチの死から、絶えることなく胸の奥で暗く燃えていた復讐の炎が鎮まっていくのを黒い短髪の少女は感じていた。とはいえ、祖父は敵討ちなど望んではいなかったのだから、孫娘はようやく本来のあるべき道に戻りつつある、と見るべきなのだろう。
(憎たらしいやつだが、悪いやつではない)
「金色の戦乙女」に恨みを抱き続けるには、ナーガ・リュウケイビッチの性根はまっすぐすぎた、と言えたのかもしれない。村のために奔走するセイに心を打たれていたのも事実だ。今こうして、傍に立っていても妙な心地よさを覚えているのが、自分でも不思議だった。これではまるで宿敵ではなく戦友ではないか。
「なあ、ナーガ」
いきなり声をかけられて飛び上がりそうになるが、
「なんだ?」
肝の座った少女は動揺を押し隠して返事をする。
「一つ頼みごとをしたいのだが、聞いてもらえるか?」
「皿洗いならわたしもやるから心配するな。テントの撤収も手伝ってやる」
「それはありがたいが、わたしが言いたいのはこの後の話だ」
この後とはなんだ? とナーガは思わず眉を顰めるが、セイがいつになく真剣な表情をしているので口を差し挟むのは躊躇われた。少し考えてから、
「いいぞ」
と答えていた。
「まだ何を頼むか言ってないが」
きょとんとした表情で訊ねてきた金髪ポニーテールの騎士に、
「貴様のことだ。断ったところで無理矢理にでも応じなくてはならなくなる」
セイの強引さは嫌というほどに知っていた。「それに」と浅黒い肌の美少女も厳しい顔になって、
「おそらく、わたしにとっても重要な事柄のはずだ」
違うか? と鋭い視線で訴えかけられて、「さすがだ」とセイは思わず感心する。それくらい察知できるようでなければ、モクジュの精鋭部隊の一員にはなれないのだろう。
「その通りだ。どうあっても、きみに助けてもらわなければならない」
2人の女騎士は見つめ合う。日は西に傾き、祝宴は終わりに近づきつつある。しかし、セイジア・タリウスとナーガ・リュウケイビッチ、この美しき勇者たちだけは、喜びに沸く村に嵐が刻一刻と近づいているのを予期していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます