第77話 祝典の日(中編)
「楽師さん、もう一曲頼むよ」
飲んべえのドラッケにリクエストされて、
「かしこまりました」
カリー・コンプは芝生の上に胡座をかいたまま注文に応える。木のボディに張られた6本の弦がかき鳴らされ、世にも妙なる音色が結婚式の会場に流れ出すと、詰めかけた客たちは「ほうっ」と溜息を漏らした。誰もが知っているはずのありふれた民謡が、吟遊詩人の超絶技巧によって生まれ変わり、作者の意図通りかあるいはその意図を越えた傑作へと変貌していた。王侯貴族や大富豪が是が非でもお抱えにしたいと願っている「楽神」が寒村の無教養な人々に無償で歌を提供するなど才能の無駄遣いの最たるものだ、と訳知り顔で不平を漏らす半可通もいるかもしれなかったが、
(これこそがわたしのやりたかったことだ)
当のカリー自身は心から演奏を楽しんでいた。人も羨む天性の能力を持ち合わせながらも、この詩人は自らの才をまるで誇ることがなく、富と名声を築き上げることにも興味がなかった。芸術のために我が身を捧げ、多くの人を喜ばせること、それだけが彼の喜びなのかもしれない。最強の女騎士の愛情を得たい、という願いはただ一つの例外ではあるが。
楽しい歌に誘われたのか、いつしか村人たちは立ち上がって踊り出していた。踊り、といってもリズムやテンポはてんでばらばらで、無闇に手足を動かしているだけのようにも見えたが、余計なことを考えずに本能のままに飛んだり跳ねたりする快感は何物にも代えがたいものがあって、ダンスをする老若男女の顔には等しく喜びがあふれていた。
「ぼくらも踊ろう」
マキシムに手を取られてアンナは立ち上がらされるが、心の中では躊躇があった。新しく夫となった青年が右足に障害を抱えていることを知っていたからだ。新妻の心配を察したのか、
「いいんだよ。ぼくはただきみと踊りたいだけなんだから」
柔らかな笑顔を見たアンナの眼に涙がにじんだ。この人と一緒になれてよかった、とあらためて強く確信していた。共にずっと歩いていこう。同じ思いを共有する若い2人は手を取り合って軽快に踊り出した。
「おれは踊りなんかしたことねえよ」
ぶつくさ文句を言うガダマーの背中をぐいぐい押しながら、
「ガタガタ言うんじゃないの。あたしらだけじっとしているわけには行かないでしょ」
エリは強引に新郎の腕を取ってステップを踏み出す。鍛冶屋の短い脚が無様によろめくのに、客席はどっと湧き、「しっかりしろ」と野次も飛んだ。
「だから嫌だって言ったんだよ」
不貞腐れるガダマーだったが、
「なによ。わたしと一緒に踊るのがそんなに嫌?」
エリに睨みつけられて、
「そんなことはねえけどよ」
と答えるしかない。もしかすると一生この調子で怒られ通しなんだろうか、とうんざりする気持ちもあったが、彼女なしの人生がもはや有り得ないこともよくわかっていた。
「そうそう。上手いもんじゃない」
わたしがいないとこの人はダメなんだから、とエリの方でも思っていた。みんながわからない彼の美点を自分だけがわかっている、と思うとどうにも嬉しくなってしまうのだ。
2組の新郎新婦のダンスに村人たちは手拍子を送り、
(素晴らしいお祝いになった)
カリーも充実感と共に爪弾く手に一層気迫を込める。この辺境の地での短い滞在の間に天才詩人はインスピレーションを得て、現在でも多くの人に愛唱されている「ジンバ村組曲」を後に作り出している、というのはほんの余談である。
「うむ。マキシムもエリも実にめでたいことだ」
満足げに腕組みしているのはジャロ・リュウケイビッチ少年だ。家来が幸福になるのは、リュウケイビッチ家の後継者としてもとても喜ばしいことであった。もっとも、おくての美少年は「結婚」が何を意味しているのか、いまひとつ理解しきってはいなかったのだが、みんなが喜んでいるのだから悪いことではないのだろうと、とりあえず満足していた。
「うわっ!?」
ジャロが驚いたのはいきなり手を取られて前に引っ張られたからだ。日頃彼に付きまとってくるクロエという村の少女だ。
「何をするんだ?」
「やあね。一緒に踊るに決まってるじゃない」
ええっ? と栗色の天然パーマの少年は声を出しそうになる。貴族たる者、村人に入り混じって野卑な踊りに興じるわけには行かない、と断ろうとするが、
「わたしのこと、嫌い?」
と訊かれると拒否しきれなかった。クロエはもともと可愛らしい娘だが、今日はお祝いの席ということもあって、白いワンピースに身を包んだ妖精さながらの可憐さで高貴な生まれの少年としては、無下に扱うべきでないと思われてならなかったのだ。
「いや、それはちょっと。ぼくの一存で決めるわけには。姉上のお許しを得なければ」
しどろもどろの言い訳に、少女は明らかにむっとして、
「いい加減お姉さん離れしなさいよ」
身体を密着させてきたので、「ぎゃーっ!!」とジャロは泣き叫ぶ。これを見て、
「待てーっ!」
飛び出してきたのはマルコだ。村のガキ大将は気になる少女と外国から来たなよなよした少年がいちゃついているのにとうとう我慢ならなくなったのだ。
「クロエ、おまえ、何してるんだよ。そいつから離れろよ」
「なによ。あんたには関係ないでしょ」
そう言われると「関係ある」とは言いづらくなる。そいつじゃなくておれと踊ってくれ、とはもっと言いづらい。なので、
「こんな生意気なやつと一緒にいるんじゃねえよ。こいつは『よそもの』なんだぞ」
ジャロに矛先を向けた。
「あー、いけないんだ、『よそもの』とか言っちゃって。あんた、まさか、ジャロをいじめてるんじゃないでしょうね?」
クロエに睨まれて悪童はたじろぐが、
「いや、そんなことはないぞ」
ジャロから助け船が出たので、「え?」と村の少年少女は目を丸くする。
「クロエ、それは誤解だ。マルコや他のみんなはぼくによくしてくれている。いじめなどとんでもない話だ」
きっぱり言い切られたので、
(いや、よくしたつもりなんかねえんだけど)
それも誤解だ、とは言い切れずにマルコは困ってしまう。ジャロと仲良くしたつもりなどなく、どちらかといえば非友好的な態度を取ってきたつもりだからだ。ただ、村の女の子たちにちやほやされている新参者に腹を立てた仲間から「ボコボコにしようぜ」と提案されたときに、
「そこまでしなくていい」
と少年団のリーダーとして却下したことはあったが、それはジャロを思いやったからではなく、たった一人を大勢で寄ってたかって袋叩きにすることへの嫌悪感の方が大きかった。それに、もしそんなことをすれば、彼の命を救ってくれた金髪の騎士にどう思われるか。考えるだけでも怖くなってしまい、とても卑怯な真似など出来そうもなかった。セイジア・タリウスと共に過ごす日々の中で、田舎暮らしの少年の心に正義感がしっかりと根付いていたわけだが、それを貴族出身の少年は見抜いて、「マルコは悪いやつじゃない」と一方的に好感を抱いていたのかもしれない。
「よし、わかった」
マルコの当惑をよそにジャロは一人で頷いて、
「マルコも一緒に踊ったらいい」
ぐい、と手をつかんでいた。
「は?」
「それに他のみんなも踊ろう。たくさんの人と一緒ならもっと楽しくなる」
おーい、と呼ばれると、他の子供たちも駆けつけてきて、たちまち小さな少年少女たちの輪ができ、一団は踊り始めた。
「ははは。クロエも楽しいだろう?」
上流階級出身らしい鷹揚さで笑い声を上げるすぐ隣のジャロ少年に、
「ええ、まあね」
クロエは小さく頷くしかない。男の子ってみんな馬鹿なのかも、と思わざるを得ない。2人きりになるチャンスは逸したが、手をつなぐことができただけでも今日は満足すべきなのだろう、と恋にかけては計算高い少女はひそかに考える。
「ジャロ、おまえ、いいやつだな」
クロエの逆の隣にいるマルコに声をかけられて、
「きみだっていいやつさ、マルコ」
リュウケイビッチ家の跡取り息子は笑い返し、つないだ手に力を籠めると、マルコも力を籠めてくる。痛いのが何故かとても嬉しくて、また笑ってしまう。
かくして、2人の少年は身分の違いを超えて友情を築き、子供たちの踊りに大人たちは惜しみなく喝采を送り続けたのであった。
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