第73話 伯爵、愛を告げる(中編)
「あきれたものね」
セドリック・タリウスにプロポーズされたリブ・テンヴィーから表情というものが消え失せていた。それでも傲岸な女帝のように見えてしまうあたり、「美」というものは彼女から決して離れることはないのだろう。
「わたしの言っていることにおかしなところがあっただろうか?」
「おかしなところだらけじゃない。いいこと? 結婚というものは、そんなに軽々しいものじゃないのよ。一般の人間ですら重要なものなんだから、貴族にとっては尚更じゃないの」
リブの言っていることは正しかった。貴族の結婚においては双方の家柄が重視され、父、祖父の代はもちろんのこと、始祖にまで遡って不備が見当たらないか検証されることも珍しくなかったのだ。もちろん、平民との婚儀など禁忌にも等しい事柄だ。
「しかも、わたしは占い師なのよ。そんな下賤な女と結婚したら、あなただけでなく、あなたの大事なタリウス家まで白い眼で見られるようになるに決まってるじゃない」
「きみがそこまで心配する理由がよくわからないな」
伯爵は美女の怒りに共感できない自分を残念に思っていた。貴族ほど本音と建前が乖離した人種はいない、と同じ社会に籍を置く者として知り抜いていたからだ。前述した通り、貴族と平民が結婚するのは御法度なのだが、実際のところ抜け道はいくらでもあった。たとえば、知り合いの貴族に頼んでいったん養子にしてもらってから「由緒正しい〇〇家のご息女」との触れ込みで婚礼を挙げる、といった手口はごく当たり前のように行われていた。娼婦上がりの夫人も何人かいるほどだ。セドリックがリブの職業を問題視しないのにはそれなりの理由があったわけだ。
「それに、きみは本当に貴族の出身じゃないか。現在の当主はともかく、リヒャルト・アマカリーの高名は現在でも多くの人が記憶している。その孫娘、となれば貴族に嫁ぐ資格は十分ある、と認められると思うがね」
その「現在の当主」が問題なんじゃない、とリブが青年の説明を受け入れる気持ちにはなれなかった。姪を陥れ子爵の座を奪った叔父が、自分の存在を認めてくれるとはとても思えない。
「別に認めてもらおうとは思わない。きみを殺そうとした外道だ。八つ裂きにしても飽き足らない。邪魔をするつもりなら受けて立ってやる」
妹と同じ青い瞳を鋭く光らせる青年を見て、「だから嫌だったのよ」と女占い師は気持ちが塞ぐのを感じた。自分のトラブルにセドリックを巻き込みたくはなかったのに。
「きみは間違ってるよ、リブ。アステラ随一の占い師にアドバイスするのも口幅ったいが、悩み事を一人で抱えたら駄目だ。わたしをどんどん巻き込んだらいい。きみと一緒ならどんなトラブルもピクニックのように楽しめるはずさ」
求婚したおかげで気分が高揚しているのか、口が滑らかになってきた若者は「そうだな」と天井を見上げながら、
「逆もありなのかもしれないな。きみが貴族に戻りたくないというなら、わたしが爵位を捨てて平民になっても」
「それ以上言ったら、本気で怒るわよ」
リブの背中から紅蓮の炎が燃え盛っているのを見て「もう本気で怒っているじゃないか」と軽口を叩くわけには行かなかった。セドリックが貴族として生まれたことに心から誇りを持っているのを幼馴染としてよく知っていた。青年にとって一番大事な物を自分のために抛棄させるなど、あってはならないことで、だからこそ彼女は心の底から怒ってみせたのだ。
「いや、すまない。もちろん本気で言ったわけじゃないんだ。それくらい、わたしには覚悟がある、とわかってほしくてつい言ってしまったんだ」
申し訳ない、と素直に謝られても、「悪い冗談ね」と美女はそっぽを向いたまま不機嫌さを維持し続けていた。そういうところも可愛い、と思いながら、
「きみを手に入れること、そして、タリウスの家を守ることは何があっても両立させる。その2つのためにわたしは生きている、と言ってもいい。どんな手を使おうともやってみせる」
雄々しく決意を述べた伯爵の顔を占い師は紫の瞳で見やってから、
「ほんと、あなたたち兄妹ってよく似てる」
呆れたようにつぶやく。セドリック・タリウスは騎士に憧れながらも諸般の事情で断念せざるを得なかったのだが、しかしそれでも、不屈の精神は本物の騎士に勝るとも劣らないものだ、と認めてもいいのかもしれない、と褒めたつもりだったのだが、
「だから、わたしをセイジアと一緒にしてくれるな、と言ってるんだ。どうして嫌なことばかり言うんだ」
苦り切る伯爵にようやく一矢を報いた気持ちになったリブは「いい気味」と言わんばかりに微笑み、手元のグラスに少しだけ残っていた酒を飲み干す。
「でも、ごめんなさい。あなたと結婚するのはやっぱり無理」
横を向いたまま美女はつぶやく。何故か正面から青年を見ることができなかった。
「きみとわたしとの結婚には何ら障害はない、というのは説明したつもりだし、仮にあったとしても乗り越えてみせるつもりだ、というのも話したつもりなのだが」
そこまで言ってから、セドリックは顎に手を当てて何かを考え込み、はっとした表情になって、
「一番肝心なことを聞くのを忘れていた。わたしがきみを愛している、というのはわかってくれていると思うが、きみがわたしをどう思っているかを聞いていなかった」
端正な顔に憂鬱さをよぎらせて、
「もしも、きみがわたしを嫌いだというなら、結婚を無理強いすることはできない。それだけは男として貴族としてやってはいけないことだと思うからね」
「じゃあ、嫌い」
「『じゃあ』とはなんだ。『じゃあ』とは」
そんないい加減な答えが許されるのか、と憤然として立ち上がった金髪の青年をリブはきっと睨みつけて、
「何度だって言うわ。嫌いよ。嫌い。あなたなんか大嫌い」
だから、わたしのことはもう抛っておいて。そう言いたかった。なのに、「嫌い」と一言つぶやくたびに胸に痛みが走り、涙がこぼれそうになるのをどうすることもできない。
(わたし、おかしくなってる)
自分を狂わせたのは他でもない。断っても諦めずに執拗に求愛してくる目の前の青年だ。実に憎たらしい。だが、憎いだけでもない。ならば、彼は自分にとっていかなる存在なのか。その答えを測りかねているうちに、
「あっ」
テーブルを回り込んで近づいてきたセドリック・タリウスに腕を取られて立ち上がらされる。そしてそのまま、リブ・テンヴィーは彼に強く抱き締められていた。
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