第64話 最後の日々(その3)
「あんた、その宝石の在処を知ってたりしないかい?」
テンヴィー婆さんに訊かれて、
「そんなわけないでしょ」
リブはかすかに微笑みながら否定する。リヒャルト・アマカリーの死はあまりに突然で孫娘に家宝を譲り渡す余裕などありはしなかったのだ。
「石がなくなったことだって、そのときは知らなかったのよ」
と言うと、「へえ」と婆さんは驚いてから、
「おじさんたちが隠してたわけだね。なくなったのがあんたにばれると都合が悪かったと見える」
と納得した表情になった。
(今になって思うと、確かにそうだったのかも)
若い女占い師は口に出さずに考える。最愛の祖父がいなくなって憔悴しきっていた当時の彼女は気づけなかったのだが、叔父夫婦が自分に何事かを問いかけようとしてやめてしまったことが何度かあったのだ。おじさまたちは何を気にしているんだろう、とそのときは不思議に思っただけだったが、あれは「煌炎の真紅石」の行方を訊ねようとしていたのだろう。訊いてくれれば「知らない」と素直に答えたのに、とロベルト・アマカリー夫妻の躊躇がリブには不可解でしかなかったが、
「後ろ暗いところのある人間は、自分から勝手に世界を狭めていくもので、そのうち手足も自由に動かせなくなる。そこが罪悪感ってやつの恐ろしさかもしれないね。まあ、おじいさんが亡くなった時点で、あんたから後継者の座を奪う算段を立てていたのだろうよ」
ずいぶんとひどいことを考えたものね、と命を狙われたにも関わらず、他人事のようにリブは感じていた。正直な話、叔父たちがそこまでの悪人だとはいまだに思えなかったのだが。
「2人とも悪いことができる人たちじゃないのよ。性格もどちらかというと臆病だったし、根性もあまりないし、頭脳も行動力も普通かそれ以下だったしね」
「あんた、ずいぶんと酷いことを言ってるよ」
そう? と辛辣な批評を下したのに気づいていない弟子を見て婆さんは呆れる。
「そんな程度の低い連中にしては、あんたを追い出して、子爵になる悲願をかなえられたんだから、よくやった方なのかもしれないがね」
そう言って、老占い師がなで肩をすくめると、
「ただ、子爵になって本当によかったかどうかはわからないけどね」
眼鏡の美女が皮肉っぽく笑みを浮かべたのに、
「おや。もしかして、あんたは実家の懐具合も知っているのかね?」
師匠の質問に「もしかしなくてもそうよ」とリブはそっけなく答える。
ロベルト・アマカリーを襲った災難は、社交界での悪評のみにとどまらなかった。アマカリー家はアステラの貴族の中でも比較的裕福な方で、父リヒャルトの財産を相続すれば贅沢な暮らしができる、と彼も妻のエレナも大いに期待して、将来に向けてあれこれプランを立てていたのだが、
「どういうことだ?」
お抱えの会計士から手渡された父の遺産を算出した帳簿を見るなりロベルトは目を剥いて叫んだ。アマカリー家の資産総額が、彼の想像の半分をやや下回っていることが判明して、冷静でいる方が無理だった。
「何かの間違いじゃないのか?」
「当方も何度も検算した結果なので、この数字は確かなものです」
算盤を扱うのに慣れた長い指を組み合わせながら会計士は機械的に告げた。
「馬鹿な。父上がひそかに投資でもして、それに失敗したのか?」
凡庸な男なりに理由を考えてみたが、そうではないことは自分でもわかっていた。リヒャルト・アマカリーは堅実で質素な生活を好み、偉大な父の目を気にする息子は派手に遊ぶこともできずに窮屈な思いをしていたのだ。
「そうではありませんが、資産が減少した理由がリヒャルト氏にあるのは明らかです」
「なに?」
ロベルトはもう一度目を剥いて、会計士の顔を見つめた。いかにも計算に長けていそうな、広い額をしている。
「リヒャルト氏が亡くなる半年ほど前に、多額の現金が銀行から下ろされた形跡があります。わたしどもにも連絡がなかったので、知ることはできなかったのですが」
そんな大金で何を買ったのか。あるいは何処かへ隠したのか。消えた財産の行方をロベルトは死に物狂いで探し求めたが、不肖の息子に父の目的を知ることはできなかった。彼が唯一わかったのは、遺産をあてにして立てていた計画が皮算用にすぎなかったことで、そのうちのいくつかは既に実行に移って止められなくなっていたので、夫婦は泣く泣く身銭を切る羽目になり、手持ちの金が尽きると借金を繰り返すようになり、その窮状はアステラの貴族社会で広く知れ渡って、アマカリー子爵は完全に笑い物かつ鼻つまみ物になってしまったのだった。
「あんたのじいさんは金をどこにやったのかね?」
巨額の金の話だからなのか、現金な顔をする婆さんに、
「だから、わたしにわかるわけないでしょ」
リブは呆れ顔で文句を言う。ただ、
(おじいさまは何を考えていたのかしら?)
祖父の謎の行動に興味を惹かれたのは否定できなかった。無駄遣いをするような人ではなかったから、秘密裏に金を下ろしたのにも何かしらの意味があるはずだった。だが、その意図を聞きたくても聞くことはもうできない。
「あんたを酷い目に遭わせた罰があたったのさ」
ふん、と老婆が鼻息を荒くして、「まあ、そういうものかしらね」とその美しい弟子は赤い唇を歪めた。
「なんだい? まさか、復讐しても何も変わらない、とか聖人君子みたいなことを考えてるんじゃないだろうね?」
そうじゃないわ、とリブは寂しげに笑う。
「裏切られた、と思っていたし、仕返ししたい、と思ったことがあったのは確かよ。でも、たぶんなんだけど、わたしは復讐には不向きな人間なのよ。長い間誰かを憎んだり恨んだりすることができないみたい。つらい過去を引き摺るよりは、前を向いて楽しく生きていく方がずっと有意義だと思うの」
そう言いながら、台所から持ってきたワインの栓を開けてグラスに注いだ。馥郁たる香りをまとった赤い美酒をリブは一気に飲み干す。上気した顔に日頃の憂さは見て取れない。
(優雅な生活こそが最高の復讐、ってわけかね)
娘からグラスを受け取りながら老婆は考える。リブの考えが正しいかどうかは超一流の占い師にもわからない。だが、一度きりの人生をどのように生きていくかは、本人にしか決められないことで、人任せにしてはいけないものなのだろう。そして、リブ・テンヴィーが決断した以上、それを受け入れるのが年長者のやるべきことだ、とも考えていた。
「それにね」
早くもお代わりを注ごうとしながらリブがつぶやく。ピッチが速すぎはしないか、と呆れる婆さんに向かって、
「おじさまたちがわたしにしたことはもちろん許せないけど、でも、あのことがなかったら、おばあちゃんに会えなくて、今のわたしがいなかったのも確かなのよ」
頬が桃色に染まっていたおかげで、その笑顔は春に咲く花のように見えて、老女はしばし見とれてしまう。ようやく我に返ってから、
「つくづくお人よしだね、このお嬢ちゃんは」
大きく息をついてから憎まれ口を叩いた。
「子供扱いしないで、っていつも言ってるでしょ。わたし、今年で二十歳なのよ」
「あたしから見ればまだまだ赤ん坊さ」
そんな調子で酒を交えた楽しい言い合いは夜遅くまで続いたが、
(おばあちゃんはもしかすると、あのときにはもうわかっていたのかもしれない)
後になってリブは2人きりで過ごしたこの夜を何度となく思い返すことになる。
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