第61話 女占い師、世界を巡る(その8)

「久々に大技を使って疲れたよ」

テンヴィー婆さんは大儀そうに息を吐いてから自分で自分の肩を揉み、

「あれはやっぱりおばあちゃんの仕業だったのね」

隣に座るリブがにんまり笑う。宮殿から少女を救出すると、国境へと逃走を図った2人の占い師が、王子の命令を受けたサタドの役人たちの猛追を受け、危うく捕まってしまいそうになったまさにそのとき、突然の豪雨が追跡者たちに足止めを喰らわせたのだ。槍のように降りしきる激しい雨に役人は一歩も前に進むことができなくなり、その間に師弟は悠々と逃げ切って、城門ゲートをくぐりサタドからの出国に成功した、というわけである。そして、今、2人は国境近くの飲み屋の店先で休憩をとっていた。

(まあ、あんなにタイミングよくスコールが降るわけないもんね)

しかも、雨は男たちの周囲にだけ降ってリブとばあさんには雫は一滴たりともかかってはいない。それを偶然だの神の恩恵だのと考えるほど、若い女占い師の頭脳はおめでたく出来上がってはいない。

「あたしがあんたぐらいの年頃には、よく雨乞いをしてみんなに喜ばれたもんさ。あんたにも教えてやろうか?」

教えられたところで師匠ほどの力を使えるはずもないので、「遠慮しとく」とリブはやんわり断った。それから、

「助けてくれてありがとう」

あらためて老婆に感謝する。たった一人で助けに来てくれたこと、見捨てずにいてくれたことを思うと、胸が温かくなるのを感じた。だが、

「礼を言われる覚えはないよ。むしろ、余計なことをしちまったんじゃないか、って思っているよ」

テンヴィー婆さんの反応は意外なもので、皺だらけの丸い顔を曇らせているではないか。

「余計なこと、ってどういう意味?」

疑問を呈する弟子を老婆はじっと見つめて、

「あのまま王子様と一緒にいればいい暮らしが出来ていたのに、それを台無しにしちまったんじゃないか、って思っているのさ。あんたは外国人で、しかも生まれは貴族でも今は占い師だから、お妃さまに取り立てられるわけにはいかないだろうが、側室でも愛人でも、庶民とは比べ物にならない贅沢な生活が楽しめたはずなんだよ。きれいなも着れただろうし、ごちそうもたらふく食べられただろうに、そのチャンスを台無しにしちまったんじゃないか、って悔やんでるのさ」

はあ、と大袈裟に溜息をついた老占い師に、

「わたしがそんなことを望んでいないのは、おばあちゃんだってわかってるでしょ?」

リブが困ったように笑いかけると、

「ああ、わかってるさ。あんたときたら、普通に生きていたらとてもお目にかかれない幸運に何度も出くわしておきながら、それに見向きもしない。だから、歯痒くて仕方がなくてね」

それから説教が開始され、「また始まった」と何度も同じ注意を受けていた弟子はうんざりするが、婆さんの憤りもわかる気はするので、反論する気は起きなかった。マキスィを出てからの長い旅の間に、リブが男に愛を告げられたのは、サタドの王子が初めてではなかった。

「女王陛下に忠誠を誓った身だが、あなたに心を奪われてしまった」

ヴィキンの親衛隊長に不器用な告白をされ、

「どんなお宝よりも、あんたが欲しい」

カイネップの海賊に強引に口説かれ、

「貴女の心が得られるのであれば、この命、惜しくはない」

メイプルの侍に真剣な思いをささやかれた。

「今度の王子様もそうさ。みんないい男なのにあっさり振っちまって、あんた、一体何が不満なんだい?」

老いたとはいえ同じ女性としてやっかみもあるのか、ばあさんに文句を言われて、「不満なんてないわ」

リブは苦笑いをする。彼らは誰もが魅力的で、若い娘として胸が騒いだ事実は否めなかった。身も心も捧げてしまおう、と思った瞬間がなかったと言えば嘘になる。しかし、

「ただ、なんだか違う、って思っただけ」

ジグソーパズルにただ一つ残された空白。それを埋める最後のピースになり得たかもしれない男たちだったが、どれもぴったり嵌まりはしなかった。それゆえに愛を受け入れられなかったのだが、リブにとっては十分な理由でも、他人にしてみればあまりに些細なことだというのはわかっていた。だから、師匠にも「つまらないことを気にするんじゃないよ」と怒られる、と思っていたのだが、

「それなら仕方ないね」

「えっ?」

意外にもテンヴィー婆さんは弟子の説明をあっさり受け入れた。目を丸くする美女を興味深そうに眺めてから、

「その『なんだか違う』ってのは決して馬鹿にできないものなのさ。離婚の相談に来る連中が『前からおかしいと思ってたんです』ってぶーたれるのを、あんたも何度も聞かされてるだろ? 長い間ずっと、下手をすると結婚する前から気づいていたちょっとした違和感が溜まりに溜まって、とうとう爆発する、ってのは珍しくもなんともない。だから、あんたが『なんだか違う』って思ったんなら、それは無視しない方がいいし、断って正解だったかもしれない」

少女の何十倍もの経験を積んだ老占い師の言葉には説得力がありすぎて、何も言えなくなってしまう。しばらく黙った後で、椅子に腰掛けたまま長い脚をブラブラ揺らしながら、

「わたしはまだ運命の人に出会えていないのかもね」

なんちゃって、と冗談交じりでロマンチックな言葉をつぶやいたリブを、

「どうかしたの、おばあちゃん?」

老女が奇妙な表情で睨んでいるのに気づく。

「なによ。ほんのジョークだから、怒らなくてもいいじゃない」

「別に怒ってやしない」

ぷい、と顔を背けるテンヴィー婆さん。「読まれた」と美女は思う。自分では気づかない宿命あるいは未来を、超人的な能力を持つ占い師は察知したのだ。ただ、それを聞き出そうとは思わなかった。老婆が何も言わないとしたら、その必要がない、ということなのだ。リブに不吉な兆しがあったならば、必ず忠告してくれるはずなので、特に問題があるわけではないのだろう、と判断する。それだけ師匠を信頼してもいた。

「それで、これから何処へ行くの?」

さっき潜り抜けたばかりの、サタド城国とアステラ王国の境を遮る巨大な壁面をぼんやり見ながら眼鏡の少女が訊ねると、

「もう何処へも行きやしないよ」

「えっ?」

ばあさんが意外なことを言ったので、声を上げて驚いてしまう。

「何も驚くことはないだろ? あたしはもうトシで、これ以上旅を続けられやしないんだから」

ふぇふぇふぇ、と歯の抜けた口からくぐもった笑い声を上げる老婆。そして、

「このアステラで家を買って住むことにするよ」

ひそかに温めていたプランを弟子に打ち明けた。

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