第52話 女占い師、デビューする(その6)

「みんな見誤っている」

とリブ・テンヴィーについて語ったのは、彼女の生涯の親友であるセイジア・タリウスだ。

「色っぽくてきれいな外見にごまかされるのだろうが、リブの本質は戦士だ。つまり、わたしと似た者同士、ということだ」

「金色の戦乙女」の評価を聞いたなら、「あなたと一緒にしないで」と女占い師は即座に否定しただろうが、最強の女騎士の慧眼は美女の正体を確かに見抜いていたのだ。まだリボン・アマカリーと名乗っていた頃から、理不尽や不正を決して見逃さず、幼く未熟な我が身を省みることなく炎のごとき怒りを持って悪を為す者に立ち向かっていくほどの、とびきりの勇気の持ち主だった。そういう意味では確かにセイの言う通り、リブ・テンヴィーは生まれながらのファイターであったかもしれない。しかし、「レッド・パール」で占い師としてデビューを飾った時点において、リブの中から闘志は消え失せ、ただの臆病な娘になってしまっていた。祖父の死から始まった数多くの災難によってすりへった彼女の魂は輝きを失い、今も狭いブースの中で、自分に言い寄る男の一方的な攻勢に手も足も出ないまま、涙ぐむことしかできずにいた。


(たまらねえ)

船乗りの忍耐は限界に達しかけていた。言葉だけではもう満足できなかった。身体で直接目の前の娘を感じたかった。触れて抱きしめて口づけたい。肉体を駆使する労働者の思考と行動は一体をなし、思いついた瞬間にグラマーな肉体を硬くしている占い師へとごつごつした手を伸ばしはじめていた。蛮族が略奪するかのように、美女を横抱きにしてこの店から攫ってしまおう。

「おれとつきあってくれよ。おねえちゃん。あんたみたいなセクシーなナオンと一晩過ごせたら、後はどうなったってかまわねえ」

「え。いや。あの。乱暴はよしてください」

びくびくしたままでの拒絶は効果がないどころか、かえって男の行動を促す誘い水になってしまったようで、明日のことなど全く考えることなく、今夜の快楽のみに頭を支配された船員の白目が赤く濁っているのを見て、リブは絶望に打ち震えた。

(もうだめ)

自分にはどうしようもない。男たちに好きなようにやられてしまうんだ。ちゃんと占わなきゃいけないのに、やっぱりわたしには無理だったんだ。

(好きでこんな外見になったわけじゃないのに)

世の女性からしてみると、とんでもなく贅沢なことを美少女は考える。自分が人よりも美しいということは、わかっているつもりだったし、否応なくわからされてもいた。街を出歩けば、人々にじろじろ見られるのは当たり前のことで、口さのない男たちに無遠慮に噂され囃し立てられ口笛を吹かれるたびに、恥ずかしさのあまり身を縮めてしまうのが常だった。裏通りに引きずり込まれそうになって必死に抵抗して逃げたことも一度や二度ではない。そして、女たちも若く美しい同性に対して冷酷に振る舞う者が多く、嫌味や皮肉をぶつけられるのに慣れっこになってしまっていた。そんな経験が積み重ねられた結果、今のリブは美貌も肢体も利点ではなくハンデとしか思えずにいたのだ。

「もっと好きに生きたらいいんだよ」

テンヴィー婆さんは励ましてくれたが、後向きになった少女の精神にはほんの気休めとしか受け止められず、波間に漂う葉っぱのように、自分の意思ではどうにもできない力に翻弄され続け、貴族の令嬢として生まれながら、社会の最底辺へと転落していくのだろう、と諦めかけたリブの心の奥底で熱く眩く閃くものがあった。

(そうじゃない)

それだけを思っていた。「このままでは嫌だ」と自分から動き出そうとする。ふざけるんじゃない、と言ってやりたかった。自分に群がっている好色な連中だけでなく、このような立場に追いやった叔父夫婦や、旅をしている間も住居を得た今でも、老婆と自分に何かと圧力をかけてくる偏見に満ちた世間にNOを突き付けてやりたくて仕方がなかった。

(やられっぱなしなのは嫌。やりかえさなきゃ)

逆境において人間の本質があらわになる、とよく言われるが、それが確かならば、リブ・テンヴィーの中で眠っていた戦士が、このとき永い眠りから覚めて立ち上がろうとしていたのかもしれない。そして、

(よく考えてみるとおかしい)

聡い娘は自らの過ちに気づいていた。より詳しく言えば、あまりに一面的な見方をしすぎていたのを自覚していた。これまで自分は男たちの欲望に晒され続ける被害者だとばかり思っていた。だが、それだけではないのではないか。性欲に狂わされ、理性をかなぐり捨てざるを得なくなった男たちもまた被害者ではないだろうか。そして、彼らの動物的な本能を覚醒させたのはリブ本人なのだ。

(哀れなものね)

ひとたび真理を知ってしまうと、目に見えるものはまるで違ってしまうらしく、さっきまでは恐怖の対象でしかなかった対面の船乗りも、その背後で鼻息を荒くしている輩も、滑稽きわまる存在に成り下がっていた。おのれの欲望をセーブすることのできない、動物以下の存在だ。花の中には甘い香りで虫を誘き寄せて罠にかけて溶かして栄養にするものもあるという。つまり、弱者が魅力をもって強者を食い物にするのも、自然のシステムの一環として組み込まれているのだ、とかつて本で得た知識を真の意味で我が物としたのを感じたリブは思う。植物にだってやれていることだ。人間である自分にもできないはずがない、と。

(わたしなら、この男をどうにでもできる)

そう確信した瞬間に、リブ・テンヴィーは別の人間に生まれ変わったのを実感する。実体と理想像が重なり合って、本当の自分が完成したかのように思えた。弟子に自信を持ってもらおうとテンヴィー婆さんが仕組んだ「荒療治」は、うら若い女性の中に眠る恐るべき魔性までも目覚めさせようとしていた。


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