第21話 「影」、迎え撃つ(その4)

「影」の行動は騎士たちの予想を完全に裏切るものだった。素手の人間がたったひとりで武装した集団に正面から突っ込んでくると、誰が考えられただろうか。おまけに黒い凶人の動きはあまりにも素早く、反撃することも避けることもできず、懐に潜り込まれたリーダーの胸に「影」の一撃が炸裂する。がん、という金属音が夜の森に響き渡り、刺客はすぐさま後ろに飛びのき、再び元の位置へと戻った。

首領の背後で戦闘態勢を取っていた3人の騎士たちはしばし呆然としたのちに安堵し、やがて、

(驚かせやがって)

と「影」を小馬鹿にしだした。自分たちの不意を突き、奇襲を仕掛けたまでは褒めてやってもいいが、それからやったことが全くもってお話にならなかった。鎧を素手で殴りつけたところで、傷の一つもつけられるはずがない。やはりこいつは頭のおかしい馬鹿者なのだ。もう同じ手は食わない、と今度は攻めに転じようとした男たちは、そこで異変に気付く。前に立っているリーダーがさっきからぴくりとも動かないのだ。それどころか、

「ぐ、ぐ、ぐ、ぐ」

苦しげな呻き声を漏らしているではないか。

「おかしら?」

どうされたんです? と部下たちが頭目の様子をうかがおうとしたそのとき、ごばあ、と兜から血が噴き出て、リーダーは地面に膝をついた。うわあ、と声を上げて後退る3人の騎士の目の前で、

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ああああああ!」

がくがくと震える武装集団を率いる男の鎧の隙間から血は流れ続け、そのうち彼は仰向けに倒れ込んだ。あまりの事態の急転に部下たちは息をするのも忘れる。兜を外して確認するまでもなく、リーダーが絶命しているのは明らかだ。だが、どうして彼に死がもたらされたのかがわからない。

(まさか)

唯一考えられるのはさっきの「影」の攻撃だが、しかし、目を凝らしてみても、リーダーの黒い鎧の表面にはへこみも傷も見当たらず、鈍い光をたたえたままだ。ならばどうして、と混乱するあまり動けずにいる騎士たちを、

(これがおれのとっておきだ)

少し離れた場所から「影」は眺めていた。

通し。

それが今繰り出した技の名前だ。通常とは異なり、内部から対象を破壊する異端の打撃だ。人に対して使ったのは初めてだが、もともとはセイジア・タリウスに対して用意していた技だった。「金色の戦乙女」に尋常の手段だけで勝てるはずもない、と思い詰めた闇の仕事人が苦心の末に編み出した必殺技である。とはいえ、「通し」のヒントを彼に与えたのもあの最強の女騎士だった、というのは実に皮肉な話でもあった。以前、彼女がカルペッタ・フーパスの全身の関節を外してしまったのに衝撃を受けた「影」は、

(どうにかして、おれもあの技を身につけたい)

と渇望するようになったが、猿真似をするのも嫌なので、自分なりにアレンジを加えることにした。セイはフーパス弟の手首を握ってそこから「波」を伝えたわけだが、ならば打撃で「波」を伝えられないか、とふと閃いたのだ。しかし、アイディアを思いつくのとそれを実現させるのはまるで別の問題で、全身を凶器と化すまでに鍛え抜いた「影」であっても簡単な話ではなかった。しかし、これまた皮肉な話なのだが、劇場の爆破未遂で逮捕され牢獄に収監されたことで、彼にはたくさんの時間が与えられた。独房の中で、自らの着想を現実のものとするために、金髪の美しい騎士への復讐心を燃やしながら、ただひたすら拳をふるい続けた。そして、ある夜のこと、

「むん!」

「影」は右の拳で壁を殴りつけた。かなりの勢いで殴ったはずなのに、石が積み上げられた壁にはまるで変化がない。だが、その代わりに、

「ううう、ううう」

そのときちょうど壁の向こうにある廊下を通りかかった看守が倒れていた。衝撃が壁を通り抜けてダメージを与えたのだ。「通し」が完成したのを感じた「影」の顔に黒い笑みが浮かび、そしてその夜のうちに彼は脱獄した。

(これならばやれる)

そして、今、「影」は自信を新たにしていた。人間相手に初めて用いた「通し」はリーダーの鎧を傷つけることなく、それでも彼を死に至らしめたのだ。これを食らえばセイジア・タリウスといえども無事では済まない、と確信した暗殺者の胸にくろぐろとした喜びが湧きあがり、予行演習の相手になってくれた男に感謝したい気持ちになっていた。だが、その一方で、統率する人間を失った部下たちは怒りに燃えていた。

「てめえ! よくも!」

3人の騎士が「影」めがけて駆け出す。仇を取ってやる。突撃槍ランスを、矛槍ハルバードを、モーニングスターを食らわせてやる。激怒する男たちの勢いに恐れをなしたのか、「影」は黙って後方へと遁走を開始する。体勢を低くして疾走する黒い無法者の脚は速かったが、

「逃がすか!」

騎士たちも装甲を身に着けているとは思えないほどの俊足だった。距離を広げられることなく追いすがり、先頭に立つ騎士がモーニングスターを振り上げ、男の背中に鉄球を食らわせようとした瞬間、

「うっ」

首筋が急に寒くなった。夜中とはいえ夏なのにどうして、と思っていると、身体が急に軽くなり、頭が前方へと落ちていく。またおかしなことが起こった。一体何故なのか、と思っているうちに、彼の視界は完全に暗くなり、何も見えなくなった。

「これは?」

後からついてきた2人の騎士は足を止めていた。というよりも止めざるを得なかった。いきなり前を行く仲間の頭が胴体から切り離されれば、そうするしかなかった。目の前にぴんと張られた細い鋼線がモーニングスターの騎士の首を切断したのだ。ただでさえ闇夜で見えにくいうえに、金属線には墨が塗られていて、よく観察しなければ死の罠を免れることは不可能だと思われた。まして、仲間の死で逆上した者が逃れられるはずがない。

(しまった)

そこで残された騎士たちは失策にようやく気付く。自分たちは「影」の作戦に乗せられたのだ。たったひとりで襲撃者たちを殲滅するために、あの不気味な男はあらかじめ罠を用意していて、そこに誘導されたのだ。だが、それに気づいたときはもう遅かった。

「がっ!」

矛槍の騎士の首に縄が掛けられ、思い切り引き上げられていた。たちまち首が絞まり、呼吸が出来なくなる。じたばたしてみても足が地面に届かない。鎧を身にまとっているおかげで身体に余計に重みがかかり、動きが鈍くなる。防具によって命が奪われる、という行き過ぎたブラックジョークのような展開に、

「ひああああああ!」

我を失った突撃槍の騎士が無闇やたらに武器を振り回していると、

「わめくな。見苦しいぞ」

いつの間にか背後に回っていた「影」が懐から取り出した小さな革袋を投げつけてきた。ばしゃっ、と液体が全身にぶちまけられ、その臭いとねばっとした感触で、黒ずくめの男の狙いと、これから自分がされることを理解させられる。

「終わりだ」

「影」が次に投げてきた、焚火から取り出した燃えさしが最後に残った騎士に命中する。油にまみれた鎧に引火し、あっという間に全身火だるまになる。高熱に悶え苦しむ男の叫びは炎の音にかき消されて聞き取れない。燃え殻と化して地面に倒れ伏した男の動きが次第に鈍くなったのを見届けてから、裏社会の住人は視線を上に向ける。さっきまで騎士だったものは、枝からぶら下がった奇妙な果実に成り果てていた。あまりにあっさり片付いたせいなのか逆に徒労感をおぼえながら、「影」は煙を嗅いで失神した馬の方へと向かおうとして、その足を止めていた。

「おいおい。マジか」

そう言ったのは、馬の下敷きになって最初に戦闘不能になった騎士に気付いたからだ。仰向けに倒れた彼の頭部のまわりに血だまりが出来ていた。右手に握られた銀のナイフで頸動脈を切り裂いたものと思われた。生きて虜囚の辱めを受けるよりは死を選んだ、ということなのだろうか。この男だけは生かしておいて、襲撃犯の身元を聞き出そうと思っていた「影」は思わず舌打ちして、

「往生際が良すぎるのも考えものだ」

とひとり呟く。あてが外れた黒い男は黒い溜息を漏らしながらも、

(そういえば人を殺したのはずいぶんと久しぶりだ)

と思っていた。かつては日課のように殺人と暴力をこなしていた身が、今では小さな村で安逸な暮らしを送っていることに居心地の悪さを感じてしまう。そんな思いにとらわれたからなのか、吹き抜ける風に、ざざざ、と枝が揺れ動いても、男は身じろぎもせず、まさしく影のように、深夜の森でひとり立ち尽くしていた。

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