第126話 少年騎士、温泉に入る(後編)

「あ」

口ごもるセイを見てアルは固まってしまう。決闘に敗北した後で自暴自棄になって襲い掛かってそのまま強引に唇を奪おうとしたのに、彼女は気づいていたのだ。気づかない方がおかしいというものだ。

「それはその、セイさんには大変失礼なことをしてしまって、何とお詫びをすればいいのか。一命をもって謝するべき大罪であり、生きながらにして無間地獄に落ちても文句の言えないところでありますが、実に申し訳なく思うとともに本日は誠にお日柄も良く」

パニックになるあまり言語中枢が障害をきたしたのか、わけのわからないことを言ってしまう少年に、

「いや、わたしは別に気にしていないから謝ることはない。ただ、女性に対する扱いをもう少し考えた方がいい、とアドヴァイスしたいだけなんだ」

「はい?」

話の流れが読めずに首を捻るアルに、

「おまえも健康な男子だから、一時の欲望に駆られることもある、というのはわたしでもなんとなくわかる。でも、おまえだっていずれ誰かと結婚するんだ。そういう真似をすると相手を悲しませることになるぞ、と言っておきたいんだ」

(この人は何も分かっていない)

アルはショックのあまり頭がクラクラしてきたのを感じた。気を張っていないと溺れてしまいそうだ。自分が結婚したいのは「誰か」などではなく、セイジア・タリウスただ一人なのだ。だからこそ、遠路はるばる彼女の元を訪れたというのに、相も変わらず自分の恋心を分かってくれない上に、彼女自身を恋愛対象として考慮していないことに少年はどうしようもなく苛立ってしまう。

「そうじゃないでしょう」

だから、立ち上がって反論しようとしたが、抗議の言葉を吐き出す直前になって黙ってしまった。

「ぼくが好きなのはあなただけです」

と思い切って言おうと思っていた。だが、今はそれを言うべき状況ではない、というのにギリギリで気づいてもいた。

「は? じゃあ、何か? おまえは好きな相手に襲い掛かって力ずくでどうにかしようと思ったのか?」

と思われるに決まっているではないか。つくづく馬鹿げたことをしてくれたものだ、と昨晩の自分を責めたくなるが、時計の針を巻き戻すわけにもいかないので、過ちは過ちとして受け入れるしかないのだろう。したがって、告白は取りやめるしかなく、どうにか代わりになる言葉を探そうと苦心するアルだったが、

「ん?」

セイの様子がおかしいのに気づく。こちらを目を丸くして見ているではないか。何か変わったことでもあるのだろうか、と思っていると、

「あ」

変わっているのは自分だ、とアルはようやく気付く。温泉から立ち上がったおかげで全身を余すところなく彼女に曝け出してしまっているのだ。それは当然驚くだろう、と思うとともに、恥ずかしさで全身が熱くなるのを感じた。セイに裸を見られるのは前にもあったことだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいので、お湯につかって体を隠そうか、と思ったが、

(別に隠さなくてもいいんじゃないか?)

と思い直す。普通の女性なら裸体を見せるのは失礼にあたるかもしれないが、今彼の目の前にいる女性は最強の女騎士であり、明らかに「普通の女性」ではない。それに、彼女の方から彼に会いに温泉までやってきているのだ。変な言い方になるが、裸を見るのも覚悟の上なのだ、と考えることもできた。だから、

「いえ、それは確かにセイさんの仰る通りですね」

うんうん、と立ち上がったまま頷いて見せた。

「は?」

思いがけないアルの行動と言動にセイは固まってしまう。彼女の知っている少年なら、裸を見られたら大慌てで隠そうとするはずなのに、今の彼はその身体を見せつけるかのように堂々としている。というよりも、「そうじゃないでしょう」と言いながら立ち上がったのに「仰る通りですね」と続くのは明らかに矛盾している。わけがわからず混乱する女騎士に、

「貴族として、騎士として、常に女性に対して思いやりと節度を持って振る舞わなければならないのに、勝負に負けて悔しかったからとはいえ、我を忘れてしまったのは大いに反省しなければなりません。ご教授に感謝いたします」

真面目腐った態度で殊勝な物言いだったが、言っている当の本人が素っ裸なので間抜けにしか見えず、

「わかればいいんだ」

とセイも明後日の方向を見ながら頷くことしかできない。そんな彼女の反応を見て、

(あれ? セイさん、もしかして照れているのか?)

アルは驚く。これまで何度となく彼の裸を見てもそんな素振りを見せたことはなかったのだが、これまでにないリアクションに手ごたえを感じてしまったのか、少年騎士の中で悪戯心というか挑戦者精神とでも呼ぶべきものがうごめき出した。

(え?)

セイが面食らったのは、ざば、と水音を立ててアルが温泉から上がってこちらに近づいてきたからだ。もちろん裸のままだ。一体何をするつもりなのか、と緊張していると、

「一緒に入りませんか?」

と言って来たので、

「はあ?」

声に出して驚いてしまう。にもかかわらず、

「いや、そんなに驚くことはないでしょう。混浴の温泉は珍しくありませんし、それに」

少年騎士はいたずらっぽく笑って、

「セイさんはぼくの裸を見ても平気なんですよね?」

からかうように言われて、女騎士の頭に血が上り耳まで赤くなる。裸の若い男に近づかれた恥ずかしさもあったが、

(わたしは馬鹿だった)

と気づいてもいた。今までは確かにアルの裸を見てもなんとも思わなかった。だから、気安く少年に近づいていたのだが、世間一般における当たり前の常識を説明してしまうと、若い女性が迂闊に男のプライヴェート・ゾーンに踏み込むべきではなかったのだ。「親しき仲にも礼儀あり」というのは正しかった、とセイはたった今身をもって知ることとなっていた。

「いや、それはその、なんだ、いろいろと、差し障りがあるというか」

目をぐるぐる回しながらも抵抗を試みるが、

「どうしたんです? いつものセイさんらしくもない」

くすくす笑われてむかっ腹が立った。年下の少年に主導権を握られた悔しさもあったが、

(なんか、もう、まずい)

アルが一歩近づくたびに切迫感は増していき動悸も速まるばかりだ。顔は整っていてそこらへんの町娘よりも余程可愛らしいくらいなのに、身体は鍛え上げられ筋肉がごつごつしている。いつの間にそうなっちゃったんだ、と新人の頃の細い身体を懐かしむ余裕もなく、

「ほら。一緒に入りましょうよ」

と、少年騎士の手が伸びてきた瞬間、

「ぎゃーっ!」

と叫びながら、アルの顎をアッパーカットで思い切り撃ち抜いていた。天空高々と舞い上がった少年は15秒の後に、ぽちゃん、と音を立てて温泉に墜落する。はあはあ、と真っ赤な顔で息を荒くする女騎士は、

「何を考えてるんだ、この馬鹿。本当に馬鹿なんじゃないのか。馬鹿者め。アルの馬鹿」

ばーか! と大声で叫ぶと、セイジア・タリウスは大急ぎで山を下りていってしまう。

(そんなに馬鹿馬鹿言わなくても)

ぷかぷかと仰向けで熱い湯の中に浮かびながら、アリエル・フィッツシモンズはぼんやり考える。馬鹿なことをしてしまったのは、自分が一番よくわかっていた。次にセイと会う時のことを考えると今から頭が痛くなるが、しかしそれでも、

(よくわからないけど、あの人に初めて勝てた気がする)

得体のしれない勝利の感覚に胸が満たされたまま、アルはしばらく水面を漂い続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る